こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。ここ数か月というもの、自民党の政治家とオリンピック関係者が口を開けばふたこと目には「安全安心」。具体的にどんな対策でどれくらい安全になるのかは示されず、連日連夜、「安全安心」というおまじないの言葉だけを何千回も聞かされてきたことにうんざり、イライラしてるかたも少なくないのでは。 そんなみなさんに残念なお知らせです。彼らは安全安心の連呼をやめないでしょう。なにしろ、「安全安心」というおまじないを日本中に広めたのは、他ならぬ自民党だったのです。 「安全安心」「安心安全」は、1980年代中頃に食品業界の一部でぼちぼち使われはじめた言葉です。それ以前の日本人には、「安全」と「安心」を同時に組み合わせて使う発想がほぼありませんでした。 数少ない例外が、1969年4月号の『月刊社会党』に掲載された論文「安全の論理と安心の論理」。 ん、社会党? 自民党じゃないの?
最近ね、タコを買ったんですよね。イギリス人はあまり食べないのでどうしても高くなるから、イギリスでタコを買うっていうのはちょっと「えいや!」って感じなんですけれど、良い魚屋さんと出会ったおかげで割と入手しやすくなりまして。タコ焼きも、スペイン料理のプルポ・ア・ラ・ガジェガも好きなだけ作れる!という幸福な状態に今あります。 それで大体食べたいものは作り尽くして、日本語で料理法を色々探していたら、いやあ、出てくること出てくること「欧米ではタコはデビルフィッシュと呼ばれるくらい嫌われていて」という文面。 そこで「はてな?」と思ったわけです。私、タコのことを「デビルフィッシュ」なんて呼ぶイギリス人にもアメリカ人にもオーストラリア人にも会ったこと、ないんですよね。 本当にタコってデビルフィッシュなんて呼ばれてるんでしょーか?イギリスに来てから南部で8年ぐらい。北部に引っ越して9年近く。途中で日本でも暮
ようやく見えた「戦後ゼロ年」の真実 今年も8月15日がめぐってきた。だが、73年前の敗戦をめぐる記憶は日々確実に薄れている。 とりわけ記憶の劣化が著しいのは、敗戦直後の一年間、いわゆる「戦後ゼロ年」であろう。みじめな焼け跡暮らし、占領の屈辱、飢え、虚脱感、思い出したくもないヤミ買い。高度成長という威勢の良い華やかなサクセス・ストーリーの陰で、暗い役回りを押し付けられたせいかもしれない。 だがもっと本質的なことは、敗戦直後の時代には、その時代を経験した人であっても知ることのできなかった秘密がたくさんあるということだ。 占領軍は、情報をコントロールしていることを悟られないような巧妙なやり方で検閲をおこない、メディアを支配する情報戦を仕組んでいた。その結果、占領政策にとって都合の悪い出来事や情報は隠されたまま、いわばブラックホールのなかへ姿を消してしまった。 「戦後社会の原点」とみなされる時代で
国際連盟委員会。前列左から珍田捨巳(日本駐英大使)、牧野伸顕(日本元外相)、レオン・ブルジョワ(フランス元首相)、ロバート・セシル(イギリス元封鎖相)、ヴィットーリオ・エマヌエーレ・オルランド(イタリア王国首相)、 エピタシオ・ペソア(英語版)(ブラジル上院議員、後に大統領)、エレフテリオス・ヴェニゼロス(ギリシャ王国首相)。後列にはエドワード・ハウス(アメリカ、左から3人目)、ロマン・ドモフスキ(英語版)(ポーランド、左から5人目)、ヤン・スマッツ(南アフリカ連邦国防相、左から8人目)、ウッドロウ・ウィルソン(アメリカ合衆国大統領、左から9人目)、カレル・クラマーシュ(チェコスロバキア首相、左から10人目)、顧維鈞(中華民国駐米公使、左から12人目)、など 人種的差別撤廃提案(じんしゅてきさべつてっぱいていあん、旧字体:人種的󠄁差別撤廢提案、英語: Racial Equality Pr
こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。あまりブログを更新できてませんが、昨年あまり仕事ができなかったぶんを取り戻すべく、書き下ろしの新刊執筆にはげんでいるためです。トロッコ問題をありがたがる哲学者気取りの連中をイジるのは、その新刊のなかでやろうかなと思ってます。おたのしみに。 そんな矢先に、6年使ったノートパソコンが、コンセントにつないでるのになんの前触れもなく電源が落ちる現象に二度見舞われました。いままで使ったパソコンのなかで一番気にいってたので、Windows8.1のサポート終了まで使い続けるつもりだったのに。あきらめて、Windows10のパソコンへ移行しました。 ちょっと前の話ですが、国会で夫婦別姓の話が出ただけでヤジが飛んだのには、がっかりしました。多様性を尊重する社会への道は、まだまだ険しそうです。 べつに日本人全員に夫婦別姓を強制しようっていってるわけじゃないのに。おそらく
こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。先日の『チコちゃん』でシュウマイの問題が出題されてて笑っちゃいました。シュウマイまでぶっ壊そうとしたあいつへのあてつけかな。 あいつと同類じゃないかと誤解されるのは迷惑なので、はっきりさせておきます。じつは私も以前、NHKはニュースと天気予報以外をスクランブルしたらどうかと提案したことがあります。 参考記事:ホットコーヒー裁判の真相 このブログ記事を読んでいただければおわかりになるはずですが、私はNHKに好意的です。私がぶっとばしたいのは、本当は見てるくせに、見てないから受信料は払わないとウソついてる連中です。 さて、先週だったか、NHKの『クローズアップ現代』で改名についてやってました。最近は、トランスジェンダー関連や、親につけられたキラキラネームで生活に支障をきたしているなどの理由で改名するひとが多いのだとか。 正式に改名するには裁判所に申し立て
こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。こんなご時世だからこそぜひ読んでいただきたい良書を紹介します。木村幹さんの『日韓歴史認識問題とは何か』(ミネルヴァ書房)。 この本の特徴は、日韓両国の新聞など文献資料をきちんと踏まえ、根拠のある事実をまとめている点にあります。といわれて、そんなのはあたりまえじゃないかというひとは、まるでわかってません。そのあたりまえの作業をやらずに偏見を述べてるひとが圧倒的に多いのですから。 韓国を目の敵にしてる日本人のほとんどは、韓国語が読めません。日本を目の敵にしてる韓国人のほとんども、日本語が読めません。彼らはいったい何を根拠に互いを攻撃し合ってるのでしょう? 彼らが頼りにしてるのは、自国語だけの伝聞と報道です。相手の国民がどんなことを考え、どんな主張をしてるのかを、自分で確かめる能力のないひとたちが、根拠のあいまいな政治イデオロギーで誹謗中傷合戦を繰り広げて
はんどう・かずとし/昭和5(1930)年生まれ。東大文学部を卒業後、文藝春秋入社。専務取締役を経て文筆業に。『日本のいちばん長い日』は終戦の日を描いたベストセラーとなり、映画化もされている。『ノモンハンの夏』『昭和史』『文士の遺言』など著書多数 「昨年、当時の天皇陛下の侍従から、『秋篠宮悠仁(ひさひと)殿下に、太平洋戦争はなぜ起こったのかを、わかりやすく話してください』という依頼があった。ですが、私は最初断ったんです。だって相手は小学校6年生の坊やですよ。そんな幼い子に単純明快に話せるようなことじゃない、無理です、と。だけど何度もお願いされて、じゃあさわりだけでも話しましょう、と出かけていったのが、8月15日でした」 秋篠宮悠仁親王は、まさに次代の天皇家を背負って立つ。その進講役として白羽の矢が立ったのが、昭和史研究家でもある作家・半藤一利氏(89)だ。秋篠宮家の”家庭教師”になったのが「
ベルリン工科大学観光歴史アーカイブに所蔵されているKdFの旅行パンフレット。「休日の旅を 1938」とある=玉川透撮影 ■世界最大の旅行代理店 ナチスが1933年に発足させたこの組織は、「KdF」という略称で呼ばれ、イタリアのファシスト党が組織した「ドーボ・ラボーロ」(労働の後)をモデルとしていた。 「ナチスは、それまで富裕層のシンボルだった『余暇』を、労働者にも手の届くものにしようとしたのです」。ベルリン工科大学観光歴史アーカイブのハッソ・シュポーデ教授(67)は、こう指摘する。 シュポーデ氏によれば、ナチスが政権をとる以前から、ドイツは他国と比べても「休み」を重視するお国柄だったが、それでも多くの企業で有給休暇は年3、4日しか認められていなかった。たとえ休みがとれたとしても、旅行は何カ月分もの給料に相当する費用がかかり、当時の労働者たちには高嶺(たかね)の花だった。 「ナチスの幹部たち
時代区分を見直す中世史家 保立道久・東京大学名誉教授 歴史には時代区分がある。だが、日本史で一般的に使われる「平安」も「鎌倉」も「室町」も問題だと指摘し、新たな区分を提案する歴史家が現れた。名付けを見直し、区切る事件を変える。歴史の大きな流れが理解しやすくなるというのだ。明治以前を「古墳→大和(やまと)→山城(やましろ)→北条→足利→織豊(しょくほう)→徳川」にすべきだ、というそのわけは。 ――時代区分を変える必要などあるのでしょうか。 「時代区分は、歴史を少しでも分かりやすくするための印です。学界も習慣的に使っていますが、社会への影響が大きく、もっと深く考えるべきだと思いました」 「ヨーロッパや中国などの外国は、王朝交代で時代を区切ります。日本の天皇は『万世一系』ですから難しいのですが、前近代の政治の中心は王権です。王権の変化で区切るほかありません」 ――では、最初の王権はいつできたので
衆議院解散後、マスメディアでは「リベラル」「保守」という2つの言葉をよく目にする。公示直前に新党が相次いででき、その位置づけを明確にしようという意図があるのだろうが、言葉の使われ方や解説には、どうもピンとこないことが多い。今回の選挙が、「3極対決」「三つ巴」などと表現されたのにも疑問を感じた。 長らく保守政党と見られていた自民党だが、保守派論客から「安倍政権は保守ではない」との指摘も相次ぐ。では、「保守」でないなら何なのだろうか? 立憲民主党を立ち上げた枝野幸男代表は、自らを「保守でありリベラル」と位置づけている。「保守」と「リベラル」は対立概念として使われがちだが、そうではないのだろうか? さらに、小池百合子都知事は自らが代表となっている希望の党を「寛容な改革の精神に燃えた保守」と称している。なんだか言葉の組み合わせがミスマッチに感じられ、その実がよく分からない。 こうした様々な疑問や違
こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。カズレーザーさんは学生時代から私の本をチェックしてくれてるそうです。やっぱり勢いのある人は本を選ぶセンスもいいですね。きっと宇治原さんは、私の本を読んでないんじゃないかなぁ…… さて、今月もWeb春秋の連載『会社苦いかしょっぱいか』が更新されました。 今月のテーマは都会の会社員とは切っても切れない通勤電車。鉄道にまったく興味がない私ですが、今回いろいろ調べたおかげで、むかしの鉄道文化にちょっと詳しくなりました。 あ、そういえば先日、電車で化粧する女性は大正時代からいたとツイートしたところ、多くの反響がありました。そのなかに、大正時代に電車に乗るのは一部の上流階級だけだったのだろう、なんて意見がありましたけど、そんなことはないですよ。大正時代には、電車や市電が庶民の足として欠かせないものになってました。 そして、現在電車でのマナー違反とされる行為はほぼ
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