毎日のニュースで見聞きする日経平均株価。その源流となる株価指数の算出が今から70年前のきょう、1950年9月7日に始まりました。まだ日本が占領下にあったころの話です。当時は東京証券取引所が算出していましたが、途中から日本経済新聞社が引き継ぎ、現在に至ります。史上最高値はいくら? 1日で大きく下げたのはいつ? あの時はどんな動きだった?――。この連載では70年の歴史を誇る日経平均のいろいろな「なる
今週は私は休暇で、論文のようなものを家に缶詰になって執筆している。 その過程で面白い話を見つけたのでご紹介。 日本ブランドの工業生産の輸出は、戦後のイトヘン・カネヘンとか、ソニーのトランジスタラジオやトヨタの車などで始まったイメージの人も多いかもしれないが、実は戦前からかなり盛んに日本ブランドの構築と輸出が行われていた。 その一つが、生糸(絹糸になる前段階の糸。これを撚ることで絹糸が出来る)の輸出である。 明治政府の「殖産興業」の政策の一つは、「貿易による外貨獲得」であった。 1868年(安政5年)に開国した日本が当時輸出できるものといえば、農産品の生糸と緑茶くらいだった。 が、緑茶の方は当時のグローバル市場ではインドの紅茶に徐々に敗退しつつあった(参考)。 生糸は、次第に農業器具の改善が進んで手工業化が進んでいた農村で農婦が繭から糸車などを使って生産するものだ。(日本史でやったでしょ?)
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