「高麗連邦制」を通じた対南吸収統一、50年の幻想から目覚めた北朝鮮【寄稿】 ▲写真=UTOIMAGE カルタゴの将軍ハンニバルは紀元前218年、2万6000人の少数兵力でアルプスを越えてローマに侵攻した。当時、欧州最強国だったローマは、毎年9万人の大兵力を動員して徹底抗戦したものの、ハンニバルの神出鬼没な戦略で連戦連敗を余儀なくされた。ハンニバルはその後16年間もイタリア半島を縦横無尽に駆け巡りながら、10余りの都市国家で構成されたローマ連合の構成国がローマを裏切ってカルタゴに自ら服属してくるのをひたすらに待った。しかし、ハンニバルの軍隊の圧倒的な威勢にもかかわらず、ローマを裏切った都市国家は1、2カ国にとどまったことで、結局ハンニバルによるローマ征服は失敗に終わった。 韓国戦争(朝鮮戦争)当時、南労党総帥の朴憲永(パク・ホンヨン)は北朝鮮軍がひとまずソウルを占領すれば、韓国全域で左翼勢力