信毎webを定期巡回していたら、西武グループの軽井沢開発の象徴とも言える「軽井沢スケートセンター」が閉鎖の方向で協議されているという記事を見つけた。堤一族による「西武王国」支配がわずか二代で完全に終焉を迎える証左としてとても興味深い。 軽井沢の開発・発展の歴史をひも解く上で、西武グループのプレゼンスは避けては通れない。初代となる堤康次郎は大正4年に中軽井沢駅の前身である沓掛駅に降り立ち、誰も手をつけなかった東長倉村の入会地60万坪(実測80万坪)を村長に掛け合い、彼自身の言葉を借りれば「刑務所の入り口までは行くが、中には入らない」というかなり危うい方法で手に入れた。彼は庶民の時代の到来を先読みした「五百円別荘」の販売を開始、隣接する星野温泉に逗留しながら理想の王国作りを進めて行った。 戦後、臣籍降下により財政的に逼迫した朝香宮の別荘を足許を見たやり方で買い上げ、これに宮家を意味する「プリン
国道17号と秋葉神社が、私をアキハバラに連れてきた その標識を見て「なんだ家のあたりから歩いてくればここにたどり着くのか!」と思った。秋葉原のいまやアニメ関連店のほうが多い(?)中央通りと、肉の万世のある外堀通りとの交差点に国道17号の標識が立っている。私の生まれた新潟県長岡市というところには、いわゆる一級国道として8号、17号が走っていたのを思い出したのだ。 国道17号は、上越線とほぼ並走していて三国街道から中山道へ入り目白通りから本郷を経由して秋葉原に出る。目白のオヤジこと田中角栄が、家を出て3回ハンドルを切れば新潟の実家まで帰れるという伝説があったのはこの通りである。 この《国道17号》ともう1つ、秋葉原について私の心の中でひっかかっていたことがあった。1985年に月刊アスキーの編集部に配属されて、仕事で頻繁に出かけることになった《秋葉原》だが、小学生の頃、遠足で《秋葉神社》というと
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