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historyとtempleに関するkaorunのブックマーク (2)

  • 大慈山永久院 昌翁寺 | 天台宗東京教区 公式サイト

    昌翁寺は慶長年間(1596~1615)現在地に創建されました。 記録によれば「境内八段、堂七間半に六間、観音堂二間四方、表門八尺四方四趾柱なり」と記されています。残念なことに明治13年3月28日夜類焼によって悉く灰燼に帰し当時の面影をうかがい知ることはできません。 その後大正14年8月14日五間半四面の堂、庫裡、書院が再建されました。 次いで昭和60年6月に今の七間四面の堂、客殿と庫裡が現今需要の合理的な新築となりました。 開山した飯高主水貞政は、もと今川義元に仕え、のち処士として駿河国沼津に住んでいましたが天正18年(1590)家康公に召されて関東入国に随い徳川家旗下(のち破損奉行)として武蔵国仙川村に封ぜられ、采地百七十石廩米三十俵を賜りました。慶長5年関ケ原で勝利をはたした家康公が同8年征夷大将軍となって江戸幕府を開き全国統一を果たしたおり、すでに74歳になった主水貞政は家督を

  • 昌翁寺 | 今川義元遺臣の飯高氏が東京に建立した寺 – 日本の城巡り | MARO参上

    昌翁寺(しょうおうじ)は京王線仙川駅の北側、甲州街道を渡ったところにある寺です。 この一帯は江戸時代、徳川家康の旗・飯高主水貞政が統治しており、快要法印を師とあおぎ、その菩提寺として建立したとされています。 それだけの歴史背景ですと、当サイトは城郭または、戦国武将ゆかりの史跡を紹介するというコンセプトですので、ややい意趣違いな感じもありますが、その飯高氏は元は駿府の戦国大名・今川義元の武将だったという背景があります。 この仙川一帯は戦国武将ゆかりの街で、下仙川がこの今川遺臣の飯高氏が統治し、上仙川、中仙川(現三鷹市側)を織田信長の重臣・柴田勝家の孫・勝重(養子の子)が統治していました。 柴田氏については、その屋敷として島屋敷と呼ばれる跡地が特定されていたり、同じく三鷹市には柴田勝家の兜が祀られているとされる勝淵神社などゆかりの史跡が多いのに対し、下仙川の飯高氏は今川氏の重臣であったわけで

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