炎上系YouTuber「PCエンジンでNECパソコンが普及したんですよ」 →?「この人の言ってることは嘘です」 →炎上系YouTuber「は?ガチ勢の俺様に反論するの?お前誰よ」 →いわさきさん「私は開発者です」
それほど遠くない昔、何人かのテクノロジー評論家が、われわれがパーソナルコンピュータ(PC)として認識しているものは2020年までに絶滅すると予測した。PCの死亡日時を特定することさえできる。Steve Jobs氏が「iPad」を披露するためにサンフランシスコのステージに登壇した、太平洋時間の2010年1月27日午前10時だ。著名なテクノロジー評論家のNicholas Carr氏がその瞬間を「The New Republic」の「PCは今日、完全に死んだ」という印象的なタイトルの記事で紹介した。 その数カ月後、「CNN Money」がデータを添えた独自の追悼記事「デスクトップPCの(本当の)終えん」を公開した。 数年飛んで2013年の4月、「Forbes」は「PCの死は誇張ではない」という記事を公開した。2015年7月には、「Wired」が同じ決まり文句(作家のMark Twainが自分が死
今日はめでたく、49回目の誕生日を迎えました。 せっかくなので、思い出せる範囲で、これまでのパソコンの履歴をまとめておこうと思います。 13歳 コンピューターがほしくてほしくて仕方なくて、PC6001などを毎日、電気屋さんの店頭でいじっていて、毎日買って買ってと親に言い続けたら、とうとう、根負けして、東芝のパソピア買ってくれました。これが初めてのパソコン(マイコン) なぜパソピアだったかというと、たまたま友人が持っていたから。で、ソフトがないので、せっせと自作したり、マイコンやI/O買ったりして、打ち込みしていました。BASICもT-BASICでちょっと方言があったので、世の中のN-BASIC をせっせと翻訳したりしていましたねーーー。 15歳 さすがに、パソピアはマイナーすぎて、いろいろ支障があったので、PC8801mkIIに買い替え。やっとここで、普通のソフトやプログラムを使えるように
私(安岡孝一)の9月23日の日記の読者から、佐藤優の『「白兵戦」はなぜ起きた?ビジネスにも通じる「不条理の罠」の仕組み』(週刊現代, 第59巻, 第35号(2017年9月23・30日), pp.124-125)を読んでみてほしい、との御連絡をいただいた。読んでみたところ、菊澤研宗に騙されたらしく、QWERTY配列に関するガセネタが書き連ねられていた。 周知のように、現在、一般に使用されているタイプライターやコンピュータのキーボードの上段の配列は、QWERTY……の配列となっている。この標準的なキーボードの配列が成立したのは一九世紀であり、われわれは歴史的にその配列に慣れているので、その配列があたかも効率的であるかのように思い込んでいる。/しかし、実際には、使用される単語の頻度や指の動きなどに関する人間工学的観点からすると、この配列は必ずしも効率的ではないといわれている。事実、このQWERT
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世界最古のノート型PC「TRS-80」をハックしてインターネットしてみる2015.08.18 19:0010,329 mayumine 大学の頃使っていたような、分厚いNECやDELLのノート型パソコンが化石化する遥かむーかし昔、遡ること1983年のこと、当時はすでにノート型パソコンが存在していたのです。 キーボードと液晶ディスプレイを備え電池で駆動する、京セラのTRS-80 Model 100は、世界的に知られた最初のノート型パソコンです。 そして2015年現在、32年前の世界最古のノート型パソコンを復活させ、インターネット接続ができるようにハックした人が現れました。 テックメディアArs Technicaに、Sean Gallagher氏によるTRS-80(メモリは24KB、言い換えると0.000024GB)ハックレポートが掲載されています。そもそもこのノート型PCはインターネットより
今回のCPU黒歴史のネタは、安藤壽茂先生にも指摘された(関連リンク)「バグ付きPentium」の話である。何分18年前という古い話なので、ご存知ない方も多かろうと思う。そのため、まずは歴史的な経緯から説明したい。 NetNewsから火が付き あっという間に広がったFDIVバグの話題 18年前の1994年10月、米バージニア州リンチバーグ大学のThomas R.Nicely教授が、インテルに対して「Pentiumで非常に小さな値で割り算を行なうと、結果がおかしくなる」というレポートを送ったことに端を発する。インテルはこのエラーが起きたことは認めたものの、「そんな話はこれまでレポートされたことがない」と返答した。 そこで教授は、自身の送った内容とインテルからの返答を添えて、この問題が他のプロセッサー(486や他のPentium、あるいはPentium互換プロセッサー)でも発生するかどうか試して
MIPSアーキテクチャは、ミップス・コンピュータシステムズ(現ミップス・テクノロジーズ)が開発したRISCマイクロプロセッサの命令セット・アーキテクチャ (ISA) である。 概要[編集] MIPSは "Microprocessor without Interlocked Pipeline Stages"((命令)パイプラインのステージに「インターロックされたステージ」がないマイクロプロセッサ)に由来しており、R2000の頃のマイクロアーキテクチャの特徴からの命名である(が、その後そのような特徴が薄れていったのも、他のRISCと同様である)。MIPS値にも掛けている。 当初は32ビット幅のレジスタとデータバスを持つ32ビットの構成だったが、後に64ビットに拡張された。MIPSアーキテクチャには下位互換のある複数の命令セットが存在する。それぞれ、MIPS I、MIPS II、MIPS III
時代を彩ったかつての名機たち(1)...6809の良さを素直に味わえた名機FM-7 サーバーからパソコン...スパコンも含めた「すべてのコンピューターが揃うメーカー」富士通。その強烈な自負と自信を支えた黎明期の名機といえば...パソコンではFM-7を外すわけにはいきません。 今回は往年の名機「FM-7」についてのお話です。 世の中はすでにWindowsやMacOS、あるいはLinuxといった「高級OS」が主軸になっています。けれどその黎明期...MS-DOSやOS/9。あるいはCP/Mといった8BIT全盛の時代がありました。そして重なるように存在したBASIC標準搭載の時代。 今のように便利ではなかったけれど「パソコンを操作するためにはプログラムの知識が不可欠だった時代」。 そんな時代を彩ったかつての名機たちを主観だらけで紹介する記事となります。 FM-7について説明するにはまずFM-8の
弾道研究所に設置されたEDVAC EDVAC(エドバック、英: Electronic Discrete Variable Automatic Computerの略称)は、最初期の電子計算機(コンピュータ)の一つであった。その前身のENIACとは異なり、十進数ではなく二進数を使用しており、プログラム内蔵方式コンピュータとして設計された。 計画[編集] ENIACを開発したジョン・モークリーとジョン・プレスパー・エッカートはENIACがまともに動作するようになる前の1944年8月、EDVACの設計と構築を提案した。その設計はENIAC構築中に考案された多くの重要なアーキテクチャ上または論理上の改良を取り入れるもので、高速な遅延記憶装置を採用することにしていた[1]。ENIACと同様、EDVACはペンシルベニア大学が米陸軍のアバディーン実験場にある弾道研究所のために製作した。エッカートとモークリ
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