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ギリシャとインドに関するlaislanopiraのブックマーク (4)

  • 大英博物館にて各国の仏像を展示していて、ギリシャの像にはちんこがあるけど、日本の仏像にはちんこがない。一体どこで消えてしまったのかを研究した話 - Togetter

    剃毛botおじいちゃん🔥まいにち健康骨太 @semabochi 深夜だから言いますがが、過去の自由研究として、大英博物館に行った時に、ギリシャ起点のシルクロードに沿った各地域の仏像を展示していて、ギリシャの像にはちんこがあるけど、日の仏像にはちんこがない。一体どこで消えてしまったのかを研究しました。結果、カンボジアあたりでちんこは消えました 2022-03-11 02:43:56

    大英博物館にて各国の仏像を展示していて、ギリシャの像にはちんこがあるけど、日本の仏像にはちんこがない。一体どこで消えてしまったのかを研究した話 - Togetter
  • ミリンダ王の問い - Wikipedia

    ミリンダ王とナーガセーナ 『ミリンダ王の問い』(Milinda Pañha, ミリンダ・パンハ)は、仏典として伝えられるものの一つであり、紀元前2世紀後半、アフガニスタン・インド北部を支配したギリシャ人であるインド・グリーク朝の王メナンドロス1世と、比丘ナーガセーナ(那先)の問答を記録したものである。パーリ語経典経蔵の小部に含まれるが、タイ・スリランカ系の経典には収録されていない(外典扱い)。ミャンマー(ビルマ)系には収録されている。 戦前のパーリ語経典からの日語訳では、『弥蘭王問経』『弥蘭陀王問経』(みらん(だ)おうもんきょう)とも訳される。 概要[編集] インド・グリーク朝 インド・グリーク朝は、アレクサンドロス3世(大王)による大遠征の後、その遺民たちにより、アレクサンドロスのディアドコイ(後継者)の地位を巡って引き起こされたディアドコイ戦争の中で建国されたセレウコス朝シリアと、イ

    ミリンダ王の問い - Wikipedia
  • 枢軸時代 - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2021年12月) ギリシャの哲学者たち ラファエロ・サンティ『アテナイの学堂』(1510-11、フレスコ) 枢軸時代(すうじくじだい、ドイツ語: Achsenzeit英語: Axial Age)とは、ドイツの哲学者であり、精神科医でもあったカール・ヤスパース(1883年–1969年)[注釈 1] が唱えた紀元前500年頃に(広く年代幅をとれば紀元前800年頃から紀元前200年にかけて[注釈 2])おこった世界史的、文明史的な一大エポックのことである。枢軸時代の他に「軸の時代[1]」という訳語があてられることもある。 この時代、中国では諸子百家が活躍し、インドではウパニシャッド哲学や仏教、ジャイナ教が成立して、

    枢軸時代 - Wikipedia
    laislanopira
    laislanopira 2012/10/08
    長く続いた高度だけど変化のない大河の文明を引き裂いて登場した精神革命の時代
  • インド・グリーク朝 - Wikipedia

    インド・グリーク朝(インド・グリークちょう、英語: Indo-Greek Kingdom)は、紀元前2世紀頃から西暦後1世紀頃までの間に主にインド亜大陸北西部に勢力を持ったギリシア人の諸王国の総称である。この地域におけるギリシア人はアレクサンドロス大王の時代より存在したが、有力勢力として台頭するのはグレコ・バクトリア王国の王デメトリオス1世によるインド侵入以降である。一般にこの時期以降のインドにおけるギリシア人王国がインド・グリーク朝と呼ばれる。サカ人など他勢力の拡大につれてインド・ギリシア系の王国は姿を消したが、彼らの文化はインドに多くの影響を残した。 記録[編集] インド・ギリシア人に関する記録は少ない。メナンドロス1世(ミリンダ)など例外的に記録の多く残る王は存在するが、40人前後に上るインド・ギリシア人王の中で具体的な姿を読み取ることの出来る王は数名に過ぎない。 彼らについて知るた

    インド・グリーク朝 - Wikipedia
    laislanopira
    laislanopira 2012/06/10
    仏教にも影響したインドのギリシャ人王朝
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