ミャンマーのヤンゴンを拠点とする人材紹介会社、J-SATの西垣充・代表取締役は今年5月、中国やフィリピン、インドネシア、ベトナムなど各国を代表する現地人材会社の幹部とともに、日本の医療・福祉関連企業が日本国内で開催したセミナーに登壇した。 このセミナーの場で、西垣代表は中国の人材会社から思いもよらない提案を受けた。「日本の介護施設で就労経験のあるミャンマー人材を紹介してくれないか。もちろん対価はきちんと払う」 この記事は会員登録で続きをご覧いただけます 残り1828文字 / 全文2048文字
世界の経済史を決定的に変えた東南アジア〜北米航路 東南アジア史はどういうわけか、日本ではあまり人気がない分野です。 日本史との接点も少なくないし、世界史に与えた影響も大きいんですが、歴史好きを公言する人でも東南アジア史の概要すらロクに知らなかったりする。それは一般的な日本人の東南アジア全般への関心の低さとも連動している気がします。 というわけで、今後歴ログでは東南アジア史を強化していこうと思っています。 今回は、いかに東南アジアが世界に与えた影響の大きさの好例として、「スペイン領フィリピン」の成立とその役割を追っていきたいと思います。 1. スペイン人到達前のフィリピン 現在のフィリピン共和国は、ミンダナオ島やルソン島を始めとした大小7107の島々で構成されています。これらの島々が「フィリピン」という政治的枠組みで統合されたのはスペインとアメリカの植民地支配によるもので、17世紀以前はこれ
AIIBとの違い 日本主導でありながら、設立当初から国際的な銀行となり、持続可能性も担保されていたアジア開発銀行(ADB) Cheryl Ravelo-REUTERS フィリピンの首都マニラ――。SMメガモールというアジア最大級のショッピングセンターから少し大通りを進むと、背の高い柵の中に巨大で重厚な薄い褐色の建物が見えてくる。セキュリティーチェックを終え中に入ると、そこには木材を基調とした落ち着いた空間が広がっており、まるで西洋の城にやって来たかのような印象をうける。 ここがアジア開発銀行(以下、ADB)の本部だ。1966年の設立以来、ADBは融資、グラント(無償支援)や技術協力などを通して、アジアにおける貧困の削減に取り組んできたほか、アジア地域の経済協力を推進してきた。67カ国・地域で構成され、職員3000人を擁し、アジア屈指の規模を誇る国際機関である。 2年前に中国の習近平国家主席
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く