観光名所である京都・嵐山。桂川に架かる渡月橋を今の位置に架けたのも、角倉了以といわれる Photo:PIXTA 江戸時代初期、幕府が江戸に開かれて政治の中心は江戸に移った。実権も財力もない天皇と公家が残っただけなのに、その後の京都は奈良のように寂れてはいかなかった。どうしてだろう? それはある商人が仕掛けた大規模インフラ整備で、「京都」が文化・商業都市として改めて誕生したからだ。彼の名は角倉了以(すみのくら・りょうい)。その開発事業のおかげで、幕末維新の舞台もお膳立てされたと言っていい。(作家 黒田 涼) 【写真】京都市・高瀬川の風景 ● 政治力も財力もなくなった「平安京」 戦国時代終わりごろの京都は、現代の京都とはもちろん、平安京時代の京都とも大きく異なる姿だった。 建設当時の平安京は東西約4.5キロ、南北約5.2キロと広大な都だったが、朝廷の権威が落ち、応仁の乱など戦乱で荒れ果てると、