いつかいちくん✈︎@3/30-4/2_Hokkaido @itsukaichi_engi ジオグラフィック航空アナリスト✈︎🟥🟩airplane(ヒコーキ)/train(鉄道)/city(都市🌃)/ geography(地理)/traffic(交通)✈︎/population(人口)/紅組(JAL)🟥/ヒロシマ風お好み/Quiz(クイズ番組)/HIJ✈HND/Baseball(やきう)/ホテル kuizy.net/user/tsucheeee…
京都の古い資料を見ていると京都盆地はかつて湖だったといいう文言をよく目にします。奈良盆地に関しても、以前の関西高低差大学の講義終了後の質疑応答で、「奈良盆地には、万葉集が詠まれた時代に湖があったのですか?」という質問があり、「湖と呼べる規模のものがあったかは懐疑的だが、今度調べてみますね」とお答えし、私・新之介の宿題になっていました。地形のなりたちを遡っていくと京都や奈良にも海水が侵入した時期がありましたが、それらは何十万年も前の話で、インターネット上にはその痕跡として湖が残っていたというような記事が存在しているようです。今回は、学校では教えてくれなかった京都盆地や奈良盆地の湖のお話です。 まずは大阪層群の変遷のはなし大阪平野や京都盆地、奈良盆地などの地下には、「大阪層群」と呼ばれる地層が存在しています。礫・砂・粘土を主とする厚い地層で、その中に「海成粘土層」と呼ばれる地層が複数存在し、そ
奈良県橿原市の弥生時代の遺跡から、川と川をつなぐ形で人工的に掘った溝の跡が見つかりました。弥生時代の川の治水の跡が見つかるのは全国で初めてだということで、専門家は「集落を守るために弥生時代の人が行った工夫がうかがえる貴重な史料だ」と話しています。 奈良県立橿原考古学研究所が橿原市にある弥生時代の遺跡、およそ6000平方メートルを発掘調査したところ、およそ1900年前の弥生時代後期のものとみられる川の跡などが新たに見つかりました。 また、蛇行した川に接続する形で幅およそ1.5メートル、深さが40センチほどの水路のような人工の溝がおよそ50メートルにわたって掘られていたことが分かりました。 現場が低地であることや、人工の溝には農業用として使われた場合の特有の特徴もみられないことから、一定の水深を超えた川の水をう回させたり、あふれ出た水が近くの集落に流れ込むのを防いだりするために使われたとみられ
古墳時代はここから始まった。 古代より信仰の対象となっている三輪山(みわやま)。麓にある我が国最古の神社といわれる大神(おおみわ)神社には今でも本殿がなく、この三輪山を御神体として祀っています。 その三輪山にほど近い場所に箸墓(はしはか)古墳があります。 全長が約280mと全国で11番目の規模を誇る大型前方後円墳で、築造は3世紀中ごろ〜後半と我が国最古級。古墳時代の始まりを示すエポックメーキングな存在であり、近年では卑弥呼の墓ではないかということでも話題になっています。 奥に見えるのがさきほどの三輪山。 近づいてみましょう。 なかなか新鮮な角度の箸墓古墳だ。 宮内庁の管轄ですので、前方部に拝所があります。 孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命(こうれいてんのうひめみこやまとととひももそひめのみこと) 大市墓(おおいちのはか) 日本人の私もこれは読めない… 倭迹々日百襲姫命大市墓(やまとととひももそ
飛鳥アースダイバー 難波を知るために飛鳥へ 猿石・鬼の俎・鬼の雪隠・檜隈坂合陵・檜隈大内陵 古代に想いを馳せながら大阪アースダイバーや上町台地の高低差を歩いていると、次は日本の始まりの地域であるヤマトを歩きたくなってきました。特に明日香村に点在する石造物に強く引かれています。明日香村には古代の遺構がたくさん残っている。ぜひこの目で見て感じたい。ということで、飛鳥アースダイビングをはじめることにしました。 (Evernoteで大きく見る) カシミール3Dで作成した高低差地図に古道を重ねています。難波と飛鳥を結ぶ道が日本最古の官道だったそうで、日本書紀巻第二十二推古天皇紀の中に「廿一年冬十一月、作掖上池・畝傍池・和珥池。又自難波至京置大道。」という一文があります。「自難波至京置大道」とは「難波から京に至る大道を置く」と読みます。難波とは当時外交の重要な港であった難波津で、京とは飛鳥京〈小墾田宮
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