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思想と都市と自然に関するlaislanopiraのブックマーク (3)

  • 都市の緑地開発問題を「倫理学」で斬る――公正、分配的正義、賢慮の観点から/吉永明弘 - SYNODOS

    稿は、2017年10月にシノドスに掲載された「都市に「緑地」はなぜ必要か――「市街化調整区域」を真面目に考える」(以下、2017年記事と呼ぶ、https://synodos.jp/opinion/society/20444/)の続編である。この記事では主に、横浜市の瀬上沢緑地の開発問題を取り上げたが、その後、都市の再開発に伴う樹木伐採、緑地減少、公園の再整備などが、日各地で問題視されるようになった。 例えばChange.orgという署名サイトでは、この間、神宮外苑再開発(イチョウ並木景観の変容と樹木伐採、神宮球場建て替え、秩父宮ラグビー場建て替えを含む)を筆頭に、都立日比谷公園の樹木伐採、都立井の頭公園の樹木伐採、横浜市上瀬谷で開催予定の「花博」に伴うソメイヨシノの伐採、兵庫県明石公園の樹木伐採、京都府立植物園の再整備、千代田区神田警察通りのイチョウの伐採、茨城県つくば市の洞峰公園のグ

    都市の緑地開発問題を「倫理学」で斬る――公正、分配的正義、賢慮の観点から/吉永明弘 - SYNODOS
  • 海の家としての公園のカフェ(石川初:大学教授)

    石川初 1964年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部教授。著書=『ランドスケール・ブック──地上へのまなざし』(LIXIL出版、2012)、『今和次郎「日の民家」再訪』(共著、平凡社、2012)、『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い──歩くこと、見つけること、育てること』(LIXIL出版、2018)ほか。 http://hajimelab.net/ どこまでが都市? 「都市の際」はどこにあるのだろうか。 「際」のあらわれかたは、都市をどう定義するかによって違うだろう。 土地の状態に注目するなら、そこが人為的に操作可能な施設で覆われている範囲を都市、操作不能な現象が卓越する範囲を非・都市とまずは言うことができるだろう。 そのようにみなせばたしかに都市は明快な際をもっている。 たとえば海岸である。 海の近くに発達した都市の土地は海岸で果てている。 舗装され建築され照明が当たる陸側は都市

    海の家としての公園のカフェ(石川初:大学教授)
  • 「自然環境」のみが環境ではない――いまなぜ「都市の環境倫理」を問うのか/吉永明弘 - SYNODOS

    2014年1月に『都市の環境倫理――持続可能性、都市における自然、アメニティ』(勁草書房)を上梓した。「環境倫理」とは、環境や環境問題に関する人間社会の行動規範といった意味で、1970年代からアメリカで用いられるようになった言葉である。 環境倫理を探求する学問分野が「環境倫理学」で、当初は「自然を守る理由は何か、自然にはいかなる価値があるのか」とか「自然物にも権利があるのではないか、人間は自然物の権利を尊重すべきではないか」といった議論がさかんになされた。つまり、そこでの環境はもっぱら「自然環境」を指していた。それに対して、このでは「都市」という環境を問題にしたところに特色がある。 「都市の環境倫理」がテーマ化されたのは、アメリカでも2000年代に入ってからである。日では、今道友信『エコエティカ』(講談社学術文庫)と御子柴善之「都市生活者の環境倫理」を除いては、現在でも都市環境は議論の

    「自然環境」のみが環境ではない――いまなぜ「都市の環境倫理」を問うのか/吉永明弘 - SYNODOS
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