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固定的人間関係原理から見た解釈の矛盾──新自由主義と「第三の道」の場合 松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 経済 #リスク・責任・決定、そして自由!#ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼 前回は、1970年代までの国家主導的なシステム、とくに、アメリカ・リベラル派や旧来の社会民主主義の担った福祉国家システムが、固定的人間関係原理と流動的人間関係原理との「幸せな総合」によって根拠づけられていたということを見ました。この「総合」を可能にしたのが、社会契約説の理屈で、前回はとくにアメリカ・リベラル派の代表的政治哲学者、ジョン・ロールズの「無知のベール=天使の社会契約」の論理について検討しました。 こうした社会契約説の理屈付けはたしかにフィクションですが、私は、1970年代までの先進国の状況の中では、人々に自然に受け入れられる現実的根拠を持っていたのだと述べました。しかし、そのあと1980
ある学会誌からインタビューの申し込みがありました。携帯の廃棄物としての重要性を論じるという切り口だったのですけれど、いつのまにあぜんぜん違う話になってしまいました・・・ 学会誌なので、一般読者の目に触れる機会がないと思いますので、ここに採録しておきます。 現在、人口比一人1.3台所持しているといわれる携帯電話。その一方で、出荷数2,610万台のうち、その70%の1,780万台が廃棄されています。これだけ消費されている携帯電話ですが、ケータイやネットによるいじめや犯罪など、現代の社会問題としてもクローズアップされてきています。この膨大な廃棄物となる携帯電話は、何のために利用され、わたしたちのくらしとどう折り合いをつけていくのか。人間の社会活動に造詣の深く日和らない、武道家であり思想家である内田樹氏に、ネット社会のありようやこれからの社会の行方を伺いました。みなさんとともに考えていきたいと思い
ここ最近、宗教に関する議論が盛んだ。まず上田紀行さんの記事でジャブが放たれて、佐々木俊尚さんの記事で一気に噴き上がった感じ。日本人の宗教アレルギーにはあらめて驚かされる。みんな、ほんとに「宗教」って言葉が嫌いだね。脊髄反射で「宗教はけしからん!」と感じる心理状態のほうが、よほど宗教的だと私は思う。 自分を無宗教だと信じている人は大抵、自分の信仰心に気づいていないだけだ。本当に無宗教な人間にはなかなか出会えない。かくいう私も、宗教的な行為(※初詣とか)をしないわけではない。けれど、そういった日常の行為を「宗教的だ」と認識できる程度には、無宗教だ。 今回の記事では「本当の無宗教とはどんなものか?」を考えたい。私の宗教観について、ちょっとまとめておこう。 【参考】 ■「宗教信じてないならお守りをズタズタに切って」宗教学者と大学教授の対談が話題に ■佐々木俊尚氏、幸福の科学・ジョブズ霊言本セミナー
藤田直哉 郊外は都市の回復ゾーンなのか、それとREM睡眠に入る前の精神状態のように、受動的でありながら想像力にあふれた精神領域への純粋な前進の一歩なのか? 手に負えない都市の身体とは異なり、郊外の身体は完全に飼い慣らされている。郊外は巨大な動物園となり、住人の身体が有毛の哺乳動物のサンプルとなっているのである――J・G・バラード(木原善彦訳) モダニズムには「都市の美学」という側面があった。ここでモダニズムと言うときに想定しているのは、ダダ・シュルレアリスムや、T・S・エリオットらのような、都市が出現し、交通が出現し、電話などが出現し、工場が出現し、その変化を作品の中に取り込もうとした一連の表現のことを想定している。ダダには第一次世界大戦における戦車や毒ガスなどの兵器の出現が大きく影響を及ぼしていたし、シュルレアリストたちも録音技術や映画などの影響を強く受けた。大きく言えば、社会を構成する
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 先日、「本の未来」と題されたシンポジウム(日本ペンクラブ主催。9月29日、早稲田大学小野記念講堂で開催)にパネラーとして参加した。そこで語ったこと、あるいは語ろうとしていたことを要約すると、本の未来を「所有」と「使用」、「公」と「私」の組み合わせで考えたらどうかということだった。 そして、その未来像はジャーナリズムの未来とも深く関わる。そこで本稿ではシンポジウムでの発言内容を再現しつつ、電子書籍時代のジャーナリズムのあり方についても少し書いておきたい。 電子データは「所有」か「使用」か 本の「所有」と「使用」について考えさせられたのは、2009年の夏に起きた「事件」からだった。アマゾンから販売されていた読書端末「キンドル(Kindle)」でジ
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