今からちょうど100年前、草創期だったサッカー日本代表の国際Aマッチでのチーム歴代初得点をアシストし、2ゴール目を自ら決めたストライカーがいた。そんな名選手が78年前の1945年8月6日、米軍が広島市に投下した原爆で命を奪われた。今では広島でも語られることの少ない名選手の生涯を取材でたどった。 【写真】被爆前の本通り商店街やドーム館内の写真 その選手は、清水直右衛門(なおえもん)さん。現在は「天皇杯」として知られる全日本選手権でも活躍した。 「とにかくスポーツが得意で、勉強もできる。だから、家族みなが頼りにしていたそうです」。清水さんのめいの玲子さん(80)=広島市東区=は自宅に遺影を飾り、伯父の供養を続けている。 サッカーのユニホーム姿で写真に納まる清水さんを見つめると、にっこりと笑みを浮かべた。「確かに頼りになりそうな、しゃきっとした男前でしょ」 清水さんには子どもがおらず、玲子さんが