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wikipediaと映画に関するlaislanopiraのブックマーク (127)

  • wikipediaの『園子温(山本孝之)』の記事、例の事件のことについて書くと、捨て垢がきて削除していくらしい、怖い

    ウィキペディアの通常のページには、内容の改善点について利用者が質問や議論を行うための管理ページが付属しています。ノートページやノート[1]と呼ばれます。 wikipediaより

    wikipediaの『園子温(山本孝之)』の記事、例の事件のことについて書くと、捨て垢がきて削除していくらしい、怖い
  • wikipediaの園子温の項目から性加害疑惑に関する記述が無くなっている

    追記:5月9日0時現在で記述は復活している https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%92%E5%AD%90%E6%B8%A9 2月18日の編集で、性加害疑惑に関する記述が全て削除されている。 確かに23年12月に園と週刊女性PRIMEとの間での裁判は和解となり、記事は削除された。 しかしこの和解では記事が削除されただけであり、記事の内容が事実であったかどうかについては園自身も全く触れていない。 そして23年1月には、性加害を告発した女優は自死を選んでしまった。 つまり今後、この性加害が事実であったかどうか明らかになることはまず無くなってしまったのだ。 週刊女性側も、告発した女優が自死してしまった以上、記事の真実性を証明することが難しくなり、和解を選ぶことになったのかもしれない。 ここで園と話題になった草津町長は推定無罪という点では共通している、だからこの疑

    wikipediaの園子温の項目から性加害疑惑に関する記述が無くなっている
  • 現存しない、詳細不明の映画

    現存しない映画をウィキペディアで調べていました。なかなか興味深いです。 プリントやフィルムが現存しなくても、詳細が分かり、台が残っている映画はまだ良いですよね。 「芋川椋三玄関番の巻」はストーリーの内容や編時間など全く不明だそうです。劇場で公開された日制作のアニメ映画としては最も古いものであると言われてきたが異論もあるそうです。 芋川椋三玄関番の巻 https://ja.wikipedia.org/wiki/芋川椋三玄関番の巻 「塙凹内かっぱまつり」これも分からないことだらけです。 塙凹内かっぱまつり https://ja.wikipedia.org/wiki/塙凹内かっぱまつり 『塙凹内かっぱまつり』(はなわへこない‐)は、1917年(大正6年)公開の日の短篇アニメーション映画である。詳しい劇場公開日は不明だが1917年の9月から12月までの間に公開されたと思われる。フィルムは2

    現存しない、詳細不明の映画
    laislanopira
    laislanopira 2023/08/17
    ウィッカーマンも完全版は現存してない
  • 予算めちゃくちゃかかってるのに大コケした映画ってなんかある?教えて!..

    予算めちゃくちゃかかってるのに大コケした映画ってなんかある?教えて!!!

    予算めちゃくちゃかかってるのに大コケした映画ってなんかある?教えて!..
  • アテレコ論争 - Wikipedia

    アテレコ論争(アテレコろんそう)[1]は、俳優の東野英治郎が『東京新聞』に発表したコラムを発端として起こった、演技とアテレコに関する論争である。 概要[編集] 2003年(平成15年)に発表された森川友義と辻谷耕史の共著論文『声優のプロ誕生--海外テレビドラマと声優』では、1962年(昭和37年)の東野英治郎、安部徹、夏川大二郎の意見、1981年(昭和56年)の永井一郎の意見、この四者の意見をもってアテレコ論争と定義している。 共著論文では、東野と夏川の意見は伝統的舞台俳優としての視点であり、安部と永井の意見は(アテレコだけに留まらない)広い意味での声優の視点だと分析している。また、海外ドラマの吹き替えは、オリジナルの役者の声を消し去った上で違う言語の違う声を当てはめるという点と、翻訳の過程で失われたり付け加えられたりするものも多いという点で、最初から声が挿入されていないアニメやラジオドラ

  • 大いなる力には、大いなる責任が伴う - Wikipedia

    『大いなる力には、大いなる責任が伴う』(おおいなるちからには、おおいなるせきにんがともなう)は、古くからの格言であり、少なくとも紀元前4世紀には「ダモクレスの剣」の引喩にあった。この定型句は、ジャーナリストや作家などの文筆家、そして政治、君主の修辞、法の執行、公共の安全、そして様々なメディアで使われてきた[1][2][3][4]。 この成句はスパイダーマンが登場するマーベル・コミックや、その映画化作品に登場したことで、さらに大衆化した。 歴史[編集] ウィキメディアがウィキペディアの編集方法に関するガイドラインにこの成句を使用しているスクリーンショット。 この格言は、キリスト教の聖書の「忠実な僕のたとえ(英語版)」(ルカによる福音書12章48節)と特に類似している:「多く与えられた者からは多く求められ、多く任せられた者からは更に多く要求されるのである。」。 また、ムハンマドの言葉にも、「あ

  • アイドル映画 - Wikipedia

    アイドル映画アイドルえいが)は、日においてアイドルを主演とする映画である[1][2][3]。似た言葉に歌謡映画があるが、歌謡映画が流行りの歌謡曲をモチーフに作られた映画に対して[4]、アイドル映画は例外もあるが、曲をモチーフにはしないケースが多い。曲をモチーフにしない映画を歌謡映画とは呼ばないため、この点では歌謡映画とは異なると言える。近年では「歌謡映画」より「アイドル映画」の方が使用されるケースが多い。 2021年2月16日から4月24日まで、国立映画アーカイブで開催された「1980年代日映画――試行と新生」では、「日が経済大国となり、消費社会が到来した1980年代。映画にもさまざまな変化が訪れました。1970年代に始まる大作化の流れが一層顕著になる一方、若年観客向けのアイドル映画やアニメーションがヒットし、新たな企業やプロダクションが映画作りに参加、何よりも新しい才能が続々とデ

  • 恐る恐る、噂のフェミニスト批評家を訪ねてみたら | 著名人 | LEON レオン オフィシャルWebサイト

    【第9回前編】北村紗衣(イギリス文学者、批評家) 恐る恐る、噂のフェミニスト批評家を訪ねてみたら世のオヤジを代表して作家の樋口毅宏さんが今どきの才能溢れる女性に接近遭遇! その素顔に舌鋒鋭く迫る連載。第9回目のゲストは、イギリス文学者、批評家の北村紗衣さん。深い学識に裏付けされた鋭い分析をもとに、フェミニスト批評、映画評論、ウィキペディアの執筆・編集……とさまざまな活動を行う注目の研究家です。 CREDIT :写真/内田裕介 文/井上真規子 PEOPLE樋口毅宏の「手玉にとられたい!」 『さらば雑司が谷』『タモリ論』などの著書で知られる作家の樋口毅宏さんが、各界で活躍する才能ある女性の魅力に迫る連載対談企画「樋口毅宏の手玉にとられたい!」。 第9回のゲストは、イギリス文学者、批評家の北村紗衣さん。東京大学を卒業後、イギリスのキングス・カレッジ・ロンドンで「ジェンダーとシェイクスピアの受容」

    恐る恐る、噂のフェミニスト批評家を訪ねてみたら | 著名人 | LEON レオン オフィシャルWebサイト
  • レイア姫のビキニ - Wikipedia

    レイア姫のビキニ(Princess Leia bikini)とは、1983年の映画『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』でキャリー・フィッシャーの演じるレイア姫が着用したことで知られるコスチュームである。 制作[編集] ジャバに囚われたレイア姫の蝋人形(マダム・タッソー館) このビキニは、ヴィジュアル・エフェクトの制作会社インダストリアル・ライト&マジックにいた[1]、アギー・ゲイラード・ロジャースとニロ・ロディス=ジャメロが共同でつくりあげた衣装である[3]。ロジャースの回想によれば、製作総指揮のジョージ・ルーカスはジャバの宮殿にレイアが捕らわれる場面についてごくあたりさわりのない説明しかしなかったものの、彼がそこに特別なコスチュームを求めているのはわかった。彼女はもともと「そのシーンいっぱい25ヤードの生地をはためかせる」ことを考えていたが、実現はしなかった[1]。 スケッ

    レイア姫のビキニ - Wikipedia
  • Samurai Cop - Wikipedia

    laislanopira
    laislanopira 2020/12/19
    すごく頭悪そうな映画
  • ザ・ルーム - Wikipedia

    『ザ・ルーム』(原題:The Room)は2003年のアメリカ合衆国の恋愛映画。製作、監督および主演はトミー・ウィゾー(ワイゾーとも発音される)が務めた。公開された当初、単純なストーリーにもかかわらず理解に苦しむ演出や編集、脚、演技の拙さなど、作のほぼ全ての要素が酷評されたが、その酷さゆえの面白さを見い出す観衆が次第に増え、現在では「駄作界の市民ケーン」とも称されるカルト映画としての地位を確立している[4][5]。 後述のように、来この作品はもっと酷い出来映えのものになるはずだったが、映画製作が初めてだったウィゾーを差し置いて現場スタッフが尽力することで、根的問題の幾つかを何とか回避した。しかし酷評を免れるまでには程遠く、その混乱した製作過程は2017年の映画『ディザスター・アーティスト』で描かれている。 ウィゾーは作がカルト映画と呼ばれている事態に異を唱えており、「この映画は表

    laislanopira
    laislanopira 2020/12/19
    駄作界の『市民ケーン』
  • ナチゾンビ - Wikipedia

    ナチゾンビ(ジェイク・アンド・ディノス・チャップマン作) ナチゾンビ(Nazi zombies)は、フィクションにおいて見られるトロープ(英語版)で、主に「ナチス・ドイツ(またはナチズムに傾倒する科学者)が開発したゾンビ兵士」という設定で登場する。 概要[編集] 『Nazisploitation!: The Nazi Image in Low-Brow Cinema and Culture』では、「ナチゾンビ」は「ホラー映画に属するシェアの小さなジャンル」と説明されている[1]。初期のナチゾンビ映画として、1941年公開の『死霊が漂う孤島』、1943年公開の続編『Revenge of the Zombies』が挙げられている[2]。第二次世界大戦終結後に商業主義的なナチスプロイテーションが数多く製作され[3]、その中のサブジャンルの一つとして『Shock Waves』『Night of t

    ナチゾンビ - Wikipedia
  • 絶叫クイーン - Wikipedia

    英語版記事を日語へ機械翻訳したバージョン(Google翻訳)。 万が一翻訳の手がかりとして機械翻訳を用いた場合、翻訳者は必ず翻訳元原文を参照して機械翻訳の誤りを訂正し、正確な翻訳にしなければなりません。これが成されていない場合、記事は削除の方針G-3に基づき、削除される可能性があります。 信頼性が低いまたは低品質な文章を翻訳しないでください。もし可能ならば、文章を他言語版記事に示された文献で正しいかどうかを確認してください。 履歴継承を行うため、要約欄に翻訳元となった記事のページ名・版について記述する必要があります。記述方法については、Wikipedia:翻訳のガイドライン#要約欄への記入を参照ください。 翻訳後、{{翻訳告知|en|Scream queen|…}}をノートに追加することもできます。 Wikipedia:翻訳のガイドラインに、より詳細な翻訳の手順・指針についての説明があり

  • ファイナル・ガール - Wikipedia

    ファイナル・ガール (The Final Girl) は、ホラー映画に登場する人物類型である。1960年代後半以降のアメリカで大量に作られたホラー映画が、一様に「純粋な若い女性が男の殺戮者と対決するが最後には生き残る」という構造をもっていることが映画研究の分野で注目され、この類型的な女性像が映画研究者キャロル・クローバーによって「ファイナル・ガール」と命名された[1]。英語圏の映画研究・映画批評においては、とくにフェミニスト映画理論の分野で重要な概念とみなされている[1]。 背景[編集] アメリカでホラー映画が脚光を浴びるきっかけとなった映画『サイコ』 (1960) アメリカのホラー映画は、映画草創期の1910年に公開された短編『フランケンシュタイン』以来、くりかえし製作されてきたが、1960年にヒッチコックの『サイコ』が世界的な成功をおさめると、多くの製作者が参入するようになった。197

    laislanopira
    laislanopira 2020/09/26
    スラッシャー映画の前半では、カメラは女を襲う殺人鬼(男)の立場にあるが、後半は殺人鬼から逃げたり立ち向かったりする女の視線に移動する
  • 東映ポルノ - Wikipedia

    東映ポルノ(とうえいポルノ)は、日の大手映画会社である東映が1960年代後半から製作を開始したエロティックな映画の総称。 初出と見られるのは『週刊朝日』1971年11月26日号の池玲子のインタビュー記事で、「東映ポルノの看板スター池玲子」と小見出しがあり[1]、『週刊映画ニュース』1971年12月4日号に「東映ポルノ映画」と書かれている[2]。 『近代映画』(近代映画社)1972年3月号の「ポルノ女優の身上調査」という記事にも「日活ポルノ対東映ポルノ」という小見出しがある[3]。以降も、"東映ポルノ"という言葉は多くの文献で使われている[4][5][6]。 製作の始まりは1967年頃、終了は東映を含めた大手映画会社が一立て興行に移行した1970年代の終わりと見られる。 "ポルノ"という言葉は、この"東映ポルノ"から生まれた言葉とされ[7][8]、荒木一郎は「"日活ロマンポルノ"は、"東

  • 音楽 (アニメーション映画) - Wikipedia

    音楽」(おんがく)は、2019年に制作された日のアニメーション映画。大橋裕之の漫画音楽漫画』『音楽 完全版』を原作に、岩井澤健治が監督、脚、絵コンテ、キャラクターデザイン、作画監督、美術監督、編集を担当、4万枚を超える作画で構成される。声優には主演の坂慎太郎、岡村靖幸と音楽関係者が参加している。 映画は2020年1月11日に日で劇場公開された[1]。 制作背景[編集] 監督、脚、絵コンテ、キャラクターデザイン、作画・美術監督、編集を担った岩井澤健治は作の制作に7年以上の期間を要し、数名のスタッフによって4万枚に及ぶ大量の作画を手がけた。アニメーションにはロトスコープの手法が用いられ、終盤の野外での音楽ライブシーンでは実際にステージを設営し、ミュージシャン、観客を動員したライブの撮影が実施された[2]。声優には俳優として活躍する人物が連なる中、ソロミュージシャンとして活動す

  • 一条さゆり 濡れた欲情 - Wikipedia

    『一条さゆり 濡れた欲情』(いちじょうさゆり ぬれたよくじょう)は[† 1]、1972年10月に公開された、神代辰巳脚、監督の日活制作の映画作品である。ロマンポルノの名を高めた傑作とされ、1972年度のキネマ旬報の日映画ベストテン8位、映画芸術ベストテン2位、脚の神代辰巳は1972年度キネマ旬報監督賞、主演の伊佐山ひろ子はキネマ旬報女優賞を受賞した。また、仁義なき戦いに影響を与えた作品であることも知られている。 あらすじ[編集] まず最初に、「この映画はあくまでストリップの女王、一条さゆりに託したフィクションです」との字幕が流される[1]。 うだるような夏の日、24~25歳くらいのストリッパーのはるみ(伊佐山ひろ子)と、彼女と同年齢くらいの男が阪神電車野田駅に現れる。はるみは白いパラソルを差し、男はバカでかいトランクを担いでいる。男はストリッパーはるみのヒモであった。ちょうどこの日、

  • アート映画 - Wikipedia

    カール・テオドア・ドライヤー(写真:1965年撮影)は1928年に『裁かるるジャンヌ』を監督した。 アート映画英語: Art film)とは、一般的に、芸術性が高く、大衆市場よりもニッチ市場向けに作られた自主制作映画のことである[1]。「格的かつ芸術的な作品で、しばしば実験的な要素が入ることを意図していて、幅広い人気を集めることは念頭に置いておらず[2]」、「主に商業的な利益のためではなく美的感覚を追究するという理由で作られ[3]」、そして「 型にはまらない、あるいは非常に象徴的な内容」を含んでいる[4]。 映画評論家や映画学者たちは、概ねアート映画は「主流なハリウッド映画との違いを示す形式ばった特性」をもつものとして定義している[5]。これらの特性にはとりわけ、わかりやすい、目的がはっきりした物語とは対照的な、社会派リアリズムの感覚や監督の作家性に基づいた表現力の豊かさの強調、そして

    アート映画 - Wikipedia
  • マトリックス・コード - Wikipedia

    この項目では、映画『マトリックス』に登場するデジタル雨の映像について説明しています。マトリックス式二次元コードについては「二次元コード#マトリックス式」をご覧ください。 デジタル雨の一例 マトリックス・コード (英語: Matrix code) あるいはマトリックスのデジタル雨 (英語: Matrix digital rain)とは、『マトリックス』シリーズに登場する、緑色で雨が降るような動きで表示されるコンピュータコードである。画面の上から下に落ちてくる緑色のコードは、映画の中でマトリックスのヴァーチャルリアリティ環境における活動を表現するために用いられている。マトリックスシリーズの4映画全てとスピンオフである『アニマトリックス』のエピソードはこの落ちてくるコードの映像で始まる。「特に『マトリックス』らしいシーン[1]」と考えられており、スター・ウォーズシリーズにおけるオープニングク

    マトリックス・コード - Wikipedia
  • スラッシャー映画 - Wikipedia

    この項目「スラッシャー映画」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文::en:Slasher film 09:08, 11 November 2019の版) 修正、加筆に協力し、現在の表現をより自然な表現にして下さる方を求めています。ノートページや履歴も参照してください。(2019年11月) スラッシャー映画シリーズ「13日の金曜日」で連続殺人犯ジェイソン・ボーヒーズが着用したアイスホッケーマスクの複製には、偽の血が飛び散った。 スラッシャー映画(スラッシャーえいが、英語: slasher film)は、ホラー映画のサブジャンルのうち、サイコパスの殺人鬼が集団をつけ狙い、多くの場合は刃物で殺害する内容のものを指す[1]。「スラッシャー」という用語は人殺しを含むホラー映画全体を指して使用されることがあるが、

    スラッシャー映画 - Wikipedia