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安達裕哉に関するmakina129のブックマーク (8)

  • GoogleもFacebookも、Twitterもない国、中国でのインターネットの使われかた。

    6月4日から6月8日まで、ICJさんの視察に同行させていただき、中国の深センに行っていた。 その時の様子が、以下の記事だ。ここでは、町中で電子決済が使えることや、若いエネルギッシュな街であることを書いた。 日当に中国に完敗したのか。平均年齢が30代の街「深セン」を見てきた話。 私も街の素晴らしさと、途方もない可能性を感じずにはいられなかった点がある。 それは、街が「若い」ということだ。 事実、深センの住民の平均年齢は30代で、街中で老人を見かけることは殆ど無い。これが「新しいサービス」を受け入れる土壌になっていることは間違いないだろう。 しかし、私が深センに行った当の目的は、テクノロジーの視察や、街の様子を知ることではなかった。 では何をしに行ったのかといえば、実は「中国でのインターネットの使われ方」を調べに行ったのだ。 ご存知のかたも多いと思うが、中国はファイアウォールの影響で、

    GoogleもFacebookも、Twitterもない国、中国でのインターネットの使われかた。
  • 義理人情か合理性か。どちらを重視する側に立つか。

    最近、知人の会社の跡取り問題について、話を聞く機会があった。 社長はもう60代の後半で、引退を考えており、跡継ぎを息子にしようと思っているという。 だが、前途は多難だ。残念ながら、一代で会社を築き上げた極めて有能な社長に比べると、息子は能力的に平凡で、経営の手腕に不安が残る。 それなりの売上規模と利益のある会社なので、会社を継ぐほどの覚悟のある社員もいない。 そこで、何人かのアドバイザーは、こう聞いたらしい。 「会社をどこかの大手に売却するのが一番良いのでは?」 すると、社長は首を振った。 「会社を売却すれば、我々創業者一族の手元に多くのお金は残るだろう。だが、残された社員はどう思うだろうか。自分たちが売られた、と思う人もいるだろう。」 「それは、会社である以上、仕方ないのでは?」 「私にそれはできない。今の基盤があれば、息子に継がせても会社は10年は持つだろう。「創業者一族だけ逃げた」と

    義理人情か合理性か。どちらを重視する側に立つか。
  • 絶対的な貧困よりも、主観的な貧困が問題になる時代がやってきた。

    何かと「格差」「貧困」が話題となる昨今だ。 先日多くの人に読まれていた記事も、「格差」や「貧困」に関連して評している人も多かったように感じる。 参考:人手不足なのに給料が上がらないのは、経営者の強欲のせいではなく、仕事に要求される能力が高くなったから。 だが、事実としては、世界的に貧困は解決しつつあり「中間層」も増えている。 アジアでは、極度の貧困の中で暮らす人々の割合は一九八〇年に人口の七七パーセントを占めていたが、一九九八年には一四パーセントまで激減した。(中略) 多くの貧困諸国の急激な経済成長と、その結果生じる貧困の減少は、「グローバル中間層」の増加も後押ししている。 世界銀行によれば、二〇〇六年以降、二八カ国のかつての「低所得国」が、いわゆる「中所得国」の仲間入りを果たしたという。 グローバル経済に参加することができ、豊かに暮らすことができる人が急激に増えているのは、誠に喜ばしい、

    絶対的な貧困よりも、主観的な貧困が問題になる時代がやってきた。
  • 習慣を設計できると、人生のクオリティが極めて向上する件。

    人生を楽しむために、重要なことをひとつあげよ、と言われたら、何を挙げるだろうか。 もちろん正解はない。 人それぞれ、様々なことを挙げると思う。 が、私が個人的に強く感じているのは、実は「習慣化」である。 こういう話をすると 「また、石の上にも三年とか、継続は力なりとか、そんな話ですか、うんざりですよ」 という方もいるかも知れない。 だが、私が習慣化を重視しているのは、そんな理由からではない。 私は続けることが尊いとか、我慢が美徳だとかは、微塵も思わない。 ではなぜ、私が習慣化を重視しているのか。 それは、自発的な習慣化が「自信」を生み出すからである。 はっきり言えば、「習慣化」は非常に難しい。 「三日坊主」という言葉が示すように、人はやろうと思ったことを早ければ1週間、長くても1年、良き意図ではじめた、日記や運動、読書といった習慣も、途中で面倒になったり、忙しくなったりして、放棄してしまう

    習慣を設計できると、人生のクオリティが極めて向上する件。
  • 「そこそこ簡単で、それなりの給与と地位が約束される仕事」が消えた世の中では、見えにくい「弱者」が増えている。 | Books&Apps

    起業家や「勝ち組」のコミュニティは、障害者やマイノリティなどの社会的弱者には非常に優しい。 彼らはリベラルなので、そういった「生まれつきの属性」に対しては非常に寛容である。 だが「仕事ができない」「変化に対応できない」といった、「努力でなんとかなりそうな」弱者には、非常に厳しい人がゴロゴロいる。 「社会の役に立ちたい」と起業家や「勝ち組」たちは口を揃えて言う。 だが、彼らのいう「社会」に、「仕事のできない人」は含まれていない。 「動かないやつはほっときゃいいんだよ。落ちてくだけ。」と平然と述べる人は、特に珍しいわけではない。 確かに、健康で、大学を出ており、読み書きも普通にできるけれども、仕事が全くできない、という人を「社会的弱者」と認識するのは、通常の感覚ではないだろう。 でも、真実を言えば、実は彼らは現代では「弱者」に含まれる可能性がある。 彼らは単純な反復作業はできる。マニュアルがあ

    「そこそこ簡単で、それなりの給与と地位が約束される仕事」が消えた世の中では、見えにくい「弱者」が増えている。 | Books&Apps
  • 「書ける人」と「書けない人」は、一体何が違うのか。

    たまには業の話も書いてみる。 私の業は、「メディア運営」「記事広告」「コンテンツ制作」、そして、それらの「拡散」の4つである。 10年以上もやっていたコンサルティングを業とせず、なぜメディアをやっているかというと、webの素晴らしさに感銘を受けたからだ。 「こんなにwebには力があるのか」 と圧倒された。 何と言っても、webは名もなき個人の意見が、時に何百万人に届く。これは驚くべきことで、まさに「個が力を持つ」時代だ。 特に「拡散」という現象が、私にとっては非常に興味深い研究の対象だった。 そんなわけで、5年ほど前と比べて、様々なメディアに寄稿したり、集客したりと、手伝いをすることがとても多くなり、今に至る。 さて、PRはそれぐらいにして、そんな中で考えざるをえないのが、 「書く」というスキルについてだ。 「書く」は、ここ10年ほどでかなり重要なスキルとなった。 なぜか。 まず、w

    「書ける人」と「書けない人」は、一体何が違うのか。
    makina129
    makina129 2017/10/02
  • 「なんでこんなに仕事が手につかないんだろう?」と悩む人に読んで欲しい話。

    すぐ隣で仕事をしている人が、こんなことを言っていた。 「なんで自分にはこんなに集中力がないんだろう?仕事をはじめても30分で耐えられなくなってしまう。昨日の夜は溜まっていた仕事になかなか手がつけられず、つい朝まで寝てしまった。」 私は答えた。 「科学的には、「とりあえず、5分でも10分でもやってみる」とやる気が出るらしいですよ。」 参考:どうにもやる気がおこらない時、やる気を出せる技術。 「やる気」は脳の研究分野の1つでもあり、科学的なアプローチも進められてきた。 脳科学者の池谷裕二氏は著書の中で、「やる気」について言及しており、「何かを始める」と、側坐核という脳の部位が活性化し、やる気が出るとしている。 これはつまり「気分」「マインド」が先ではなく、「行動することでやる気が出る」という、従来のイメージと逆の主張だ。 確かに個人的にこれは思い当たるフシが数多くあり、「やる気がでない」と言う

    「なんでこんなに仕事が手につかないんだろう?」と悩む人に読んで欲しい話。
    makina129
    makina129 2017/09/09
  • 無能にペナルティを課しても、無能は組織からなくならない。では、どうするか。

    いろいろな会社で仕事をしていると、「ケアレスミスをする人」「同じミスを繰り返す人」に結構な割合で遭遇する。 やれるのにやらない、わかっていてもできない、大事なことを忘れる、そのような行動を繰り返す彼らに付けられる名前は無慈悲そのものだ。 すなわち、「無能」である。 そして、世間は無能には極めて厳しい。 ハーバード大学公衆衛生学のアトゥール・ガワンデ氏は次のように表現する。 私たちは、そのような「無能」の失敗に対しては感情的になってしまいがちだ。 「無知」による失敗は許せる。何がベストなのかわかっていない場合は、懸命に頑張ってくれれば私たちは満足できる。 しかし、知識があるにもかかわらず、それが正しく活用されてないと聞くと、私たちは憤慨せずにはいられない。 氏の述べる通り、「知っているのにやらない」時や、「わかっていてミスをした」時には、組織はミスをした人物に非常に冷酷な仕打ちをする。 叱責

    無能にペナルティを課しても、無能は組織からなくならない。では、どうするか。
    makina129
    makina129 2017/09/04
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