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左翼に関するnao_cw2のブックマーク (4)

  • 左翼の最後の砦 - 池田信夫 blog

    今日は、大阪のよみうりテレビで「たかじんのそこまで言って委員会」という番組に出演した(放送は日曜)。例の「あるある」をめぐって「テレビの何が問題か」というテーマだったが、ちょっと驚いたのは、司会者が拙著『電波利権』を紹介し、ゲストが新聞社とテレビ局の系列化などを批判していたことだ。これまでCSやラジオではこのの話をしたが、ようやく関西ローカルまで来たか。いや、実は関西以外でも19局ネットしていて、「見えないのは首都圏だけ」だそうだが。 題とは関係ないところでおもしろかったのは、なぜか田嶋陽子氏が「この番組は保守派ばっかりだ」とキレたことだ。彼女によると「海外経験者が少ない」のが問題だという。これに三宅久之氏が「あんたのような欧米崇拝はもう古い」と茶々を入れると、田嶋氏が気で腹を立てていた。 「日は遅れている」「欧米では**だ」というのが、戦後の左翼(および近代主義者)のマントラ

  • 大江健三郎という病 - 池田信夫 blog

    第2次大戦末期の沖縄戦で、日軍が住民に集団自決を命じたという記述が、今年の検定で教科書から削除するよう求められた。その理由として文部科学省は、沖縄の慶良間守備隊長だった赤松嘉次元大尉の遺族らが大江健三郎氏と岩波書店を相手どって起こした訴訟をあげている。大江氏は『沖縄ノート』(岩波新書)で次のように記す:新聞は、慶良間諸島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男[赤松元大尉]が、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた。[...]かれは25年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、渡嘉敷島で実際におこったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想までもいだきえたであろう。(pp.208-211、強調は引用者)。といった独特の悪文で、たった一つの新聞記事をもとにして、赤松大尉を(ナチの戦犯として処刑

  • なぜインターネットはナショナリズムを強化するのか - 池田信夫 blog

    4/7の記事へのコメントに「日のマスコミは、戦前・軍部・ファシズムを糾弾してさえいれば心理的には『道徳的戦勝国』側にいられるので、ただ楽な方を選んでいるのです」という指摘があった。たしかに、左翼的知識人にあるのは「ナショナリズムなんか信じているのは感情をコントロールできない頭の悪い奴だ。自分はそういう感情を克服して普遍的正義の側に立っているのだ」という優越感である。これは戦前からの伝統で、かつてマルクス主義に走った人々に大地主の子弟が多かったのも、「財産を捨てて貧しい人に尽くす」ことに道徳的な満足を覚えていたからだ。 こういう露悪的エリート意識は、いまだにカルスタやポスコロやフェミニスト一派に多い。彼らはマスメディアの言葉尻をとらえて「潜在的な差別意識」を指摘し、それを「脱構築」することが正義だと信じているが、自分の依拠する価値観が他ならぬオリエンタリズムだということに気づいていない。

  • なぜ石原を支持しちゃうオバサンがいるのか(もしくは左派に関する考察) - kmizusawaの日記

    田中秀征「ミーハーの好き嫌いっていうのはうんと当たる」 - 一人でお茶をを読んで考えたこと。というより以前から思っていたこと(以前にも似たようなこと書いたかも)。左派(右派にもいるが)のダメなところのひとつは、自分と同じ考えを持たない人たち、自分と違う価値観にしたがっている人たちの「センス」を馬鹿にしまくる(自覚はないのかもしれないが)ことだと思う。「石原を支持するやつはダメだ」ってなことをすぐに言っちゃう。時には石原人を批判するより楽しげにそう言っちゃう。「石原的なものはなぜ危ないのか」と説いてるはずが(説いてないわけじゃないんだが)「石原の危険性がわからないやつは云々」になってしまう。主義主張とか考え方、物事の進め方のまずさ、その立場にある者としてどうかの指摘をしていたはずが往々にして、「そういう主張をする」人の人格とか人としてのセンスがどうこうという話になってしまう。石原個人に対し

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