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論理に関するomega314のブックマーク (257)

  • 記号論理学講義 - 東京大学出版会

    記号論理学における中級者を対象にしたテキスト.この領域の代表的理論を学び,数学の抽象化を推し進めた束論および圏論を援用して理解を深める.さらに「論理語がなぜ基的と見なされるか」などの知識をめぐる根的な問いを考察.30年間の講義をもとにした集大成. 第I部 記号論理の基礎理論 第1章 推理論――述語論理 第2章 計算論――帰納理論 第3章 計算論――λ計算論 第4章 集合論――公理的集合論ZFC 第II部 束論および圏論と記号論理 第1章 束論 第2章 記号論理と束 第3章 圏論 第4章 記号論理と圏 第III部 記号論理への知識論的考察 第1章 論理語の原始性 第2章 計算論における両義的領域 第3章 選択公理ACの正当性 付録 ゲーデル不完全性定理について

    omega314
    omega314 2013/02/15
    気になる。
  • 分析哲学 - Wikipedia

    分析哲学(ぶんせきてつがく、英: analytic philosophy)は、ゴットロープ・フレーゲとバートランド・ラッセルによる論理学(記号論理学)研究及び言語哲学研究の成果に起源を持ち、ラッセルの教えを受けたルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの言語哲学研究、及びウィトゲンシュタインの思想に対する誤解を含めて彼から多大な影響を受けた論理実証主義の受容とそれに対する批判、日常言語学派の発展と影響の拡大などの歴史を経て形成された現代哲学の総称である。なお広辞苑によれば、分析哲学の主唱者はジョージ・エドワード・ムーアである。 これは、現代の記号論理学や論理的言語分析、加えて、自然科学の方法及び成果の尊重を通じて形成された。20世紀には英語圏で主流となった哲学である。たとえばアメリカ合衆国の圧倒的多数の大学で、哲学科で教育され研究されるのは「分析哲学」である。これは、イギリスやカナダ、オーストラ

    分析哲学 - Wikipedia
  • 思考の記号化

    ネット世代の思考パターンの特徴に、記号による思考が挙げられる。物事を考 えるとき、対象を記号として認識し、それを組み合せることで答えを出すとい うやり方だ。もちろん、こういうやり方をしなくてはならない問題もあるが、 ネット世代の人はどんな問題でもこのやり方で解決しようとする。 彼らにとって、「理解」とは、入力となる文が、自分の持っている事実や推論 規則と矛盾しないことを確かめるという行為である。入ってきた文を「○○な ら××」というルールに分解し、そこに自分が既に知っている既存のルールを 加える。そして、それらのルールが矛盾なく組み合わさるならば、「理解でき た」とする。 彼らにとって、言葉とはジグソーパズルのピースである。そして、文章とはパ ズルのピースの組み合わせである。そして、たくさんの文章を集めたとき、パ ズルのピースが相互に組み合わさって一枚の絵ができることを、彼らは「理解」 と

  • 背理法と数学的帰納法はなぜ嫌われるか?

    背理法と数学的帰納法はなぜ嫌われるか?真鍋 和弘(札幌篠路高校)1.ぱじめに 証明法の中での背理法と数学的帰納法は日では高校1年生(数学A)で学ぶことになっているが,これは少し早すぎるような気がしている.伝統的に日では,数学は計算ができることが重視され,論理性を重んじるヨーロッパなどとは事情が異なるからである.しかし高校では背理法と数学的帰納法は必要ないかというと決してそうではなく,大学レベルの数学を学ぶ際には,これらのことに少しでも触れた経験がある学生とそうでない学生との間には相当の差が生じると思われる. 大学入試にあまり出題されないからという理由で,背理法と数学的帰納法をカットしている進学校も多いと思われるが,彼らが将来必要とする数学的素養はきちんと学ばせるべきだと思う.さらには,理工系の大学に進まない高校生にとっても,①背理法と数学的帰納法の考え方は面白く誰にでも理解できる内容で

    omega314
    omega314 2013/01/20
    今年のセンターで出題されて盛り上がってるみたいね、数学的帰納法。
  • カテゴリ (圏論), トポスを知るために読む本

    カテゴリ (圏論) とはブルバキ流の集合論とは対照的に, 存在 (集合) ではなく, 関係 (射) を基礎として数学を再定義するものです. 元々は代数幾何学の世界から出たものですが, 自分が関心があるのはトポスなど基礎論的な方面でした. 計算の意味論や型理論, 線形理論など, 計算機科学とも密接な関係があります. 興味からカテゴリ (圏論) を学んでみようと思っている非専門家の方のために, 手元にある参考書を挙げてみます. 層・圏・トポス - 現代的集合象を求めて, 竹内外史, 日評論社, 1978 古典的な (日語の) テキストですね. 僕は多分これを読んで圏論を知ったと思う. ぶっ飛んだ. 圏論の基礎, S.マックレーン, シュプリンガー・フェアラーク, 2005 これこそ古典的なテキストの第2版. "Categories for the Working Mathematician

  • オンラインで入手できる数理論理学・数学基礎論のテキスト

    オンラインで入手できる数理論理学・数学基礎論のテキスト 数理論理学、数学基礎論の教科書的に使えるテキスト(講義ノート、サーヴェイ、モノグラフ等)のうち、オンラインで入手できるものを集めました。 入門的概説 論理一般 高階論理と型理論 直観主義論理 コンビネータとラムダ計算 時相論理および時制論理 様相論理 適切さの論理 自然言語の論理 空間論理 モデル理論 安定性理論 無限論理 計算可能性理論および再帰理論 集合論 pcf理論 記述集合論 実数の集合論 選択公理 強制法と内部モデル 連続体仮説 NF 証明論と構成的数学 順序数解析 算術の体系と不完全性 証明可能性論理 線形論理 構成的数学 代数的論理と圏論 ブール代数 普遍代数 量子論理 圏論 歴史 入門的概説 [▲] 加茂静夫,「数理論理学(命題論理と述語論理)」.[PDF] 嘉田勝,「数理論理学 講義ノート(2013年度版)」. St

  • さあチャレンジ! 世界一難しい論理パズル(修正あり)

    これはNew Scientistがクリスマス特集で紹介してた世界一難しい論理学の問題です。 A、B、Cの3柱の神が召喚された。順不同で真、偽、ランダムで、真は必ず当のことを言い、偽は必ず嘘を言う。が、ランダムが当のことを言うか嘘を言うかは完全にランダムである。 YES/NO二択の3つの質問をし、A、B、Cの誰が真、偽、ランダムかを割り出せ。但し質問できる相手は1つの問いにつき1柱の神だけである。 神たちは英語を理解できるが、回答は神の言葉(「da」と「ja」)でする。あなたにはdaとjaのどちらがyesかnoかはわからない。 この問題の難しさは、言語のバリア、嘘、偶然という様々な要素が凝縮しているところにあります。哲学者の間では「解くことで論理それ自体の性が露わになるパズル」と言われているわけですが、さて答えはわかるかな? 回答は米国の論理学者ジョージ・ボーロス(George Boo

    さあチャレンジ! 世界一難しい論理パズル(修正あり)
  • 矛盾許容論理 - Wikipedia

    矛盾許容論理(むじゅんきょようろんり、Paraconsistent Logic)とは、矛盾を特別な方法で扱う論理体系。また、矛盾に対して耐性のある論理を研究・構築する論理学の一分野を指す。矛盾許容型論理とも。 矛盾許容論理は1910年ごろにはすでに存在していた(原始的な形ではアリストテレスまで遡る)。しかし、矛盾許容(Paraconsistent)という用語が使われるようになったのは 1976年であり、ペルー人哲学者 Francisco Miró Quesada が最初である[1]。 定義[編集] 古典論理や直観主義論理では、矛盾からはあらゆることが導かれる。この特徴を爆発律(英語版)[2]などと呼び、形式的には次のように表される: ここで は論理的帰結関係を意味する。言葉で表すならば、「AかつAでないならば、Bである」という意味である。このBは任意である、つまり全てが自明となる。 上記の

  • 数学はメンタルな「行為」だと主張した人/ブラウワー |  TETRA’s MATH

    先日帰省したときに、旅のおともの1冊として、『ダメットにたどりつくまで ―― 反実在論とは何か ――』(金子洋之著/勁草書房/2006)を持って行きました。実際には、帰省しているあいだは序論と第1章、第2章をざっとながめただけでほとんど読めなかったのですが、ざっとながめただけでも、なんというのか、スリリングな予感がしました。 まず驚いたのは、「ブラウワーって人はそんなこと考えていたの!?」ということ(第2章)。ブラウワーについてはこのブログでもちょっと触れていますが(*)、私はこれまでブラウワーのことを、「排中律を拒否した人」くらいに認識していました。もちろん、「存在することは構成されること」という構成主義的立場も一応頭に入れていましたが、実はもっと過激な(!?)ことを考えていたのだと、このたび初めて知りました。 その直観主義数学の基的な見解とは、次のようなものだそうです。 (1) 数学

  • 直観主義 (数学の哲学) - Wikipedia

    数学の哲学において、直観主義(ちょっかんしゅぎ、英: Intuitionism)とは、数学の基礎を数学者の直観におく立場のことを指す。 来歴と評価[編集] これに類する主張は、カントールの集合論に対抗する形でクロネッカーやポアンカレによってもなされていたが、最も明確に表明したのはオランダの位相幾何学者ブラウワーである。ブラウワーの立場に対してポアンカレらの立場は前直観主義と言われることがある。ブラウワーは、数学的概念とは数学者の精神の産物であり、その存在はその構成によって示されるべきだという立場から、無限集合において背理法によって非存在の矛盾から存在を示す証明を認めなかった。それゆえ、無限集合において「排中律」、すなわちある命題は真であるか偽であるかのどちらかであるという推論法則を捨てるべきだと主張し、ヒルベルトとの間に有名な論争を引き起こした。 ヒルベルトの形式主義は、直接的にはブラウワ

    omega314
    omega314 2012/12/20
    無限に対して反実在論的(構成主義的)な立場を取って、無限が関係する議論においては排中律を拒否する。
  • 直観主義論理 - Wikipedia

    直観主義論理(ちょっかんしゅぎろんり、英: intuitionistic logic)または直観論理(ちょっかんろんり)、あるいは構成的論理(こうせいてきろんり、英: constructive logic)とは、ある種の論理体系であり、伝統的な真理値の概念が構成的証明の概念に置き換わっている点で古典論理とは異なる。例えば古典論理では、全ての論理式に真か偽の真理値 ( ) が割り当てられる。このときその真理値に対する直接的なエビデンスを持つか否かは問題にしない。これはどのような曖昧な命題においても「真か偽かが決定可能である」ということを意味する。対照的に、直観主義論理では確定的に論理式に真理値を割り当てるのではなく、それが真であるとは「直接的なエビデンス」つまり「証明」があることと見做す。 証明論的な視点から見ると、直観主義論理は古典論理の制限であって排中律や二重否定除去が公理として許容され

    omega314
    omega314 2012/12/20
    共感するところがある。
  • 排中律 - Wikipedia

    排中律(はいちゅうりつ、英: Law of excluded middle、仏: Principe du tiers exclu)とは、論理学において、任意の命題 P に対し「P であるか、または P でない」という命題は常に成り立つという原理である。 概要[編集] ラテン語で「第三の命題が排除される原理」 Principium tertii exclusiあるいは「第三の命題(可能性)は存在しない」 Tertium non daturと称され、英語ではLaw of excluded middle(排中律・排中原理・排中法)または Law of the excluded third(排除される第三者の原理[1]、第三者拒斥の原理[2])と呼ばれる。 排中律は任意の命題Pに対してそれが成り立つか成り立たないかのいずれか一方であって、その中間は無いことを述べた論理学の法則であり、 P ∨ ¬P

  • ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン - Wikipedia

    言語の写像理論(Picture theory of language)、真理関数、事態(State of affairs)、論理的真実・論理的必然性(Logical truth、Logical necessity)、意味の使用説(Meaning is use)、言語ゲーム、私的言語論、家族的類似、規則遵守(Rule following)、生活形式、ウィトゲンシュタインの信仰主義(Wittgensteinian fideism)、反実在論、ウィトゲンシュタインの数理哲学(Ludwig Wittgenstein's philosophy of mathematics)、日常言語学派(Ordinary language philosophy)、人工言語学派(理想言語学派)、意味の懐疑論(Meaning scepticism)、記憶の懐疑論(Memory scepticism)、意味論的外在主義(

    ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン - Wikipedia
  • 独今論者のカップ麺

    最近、芸術の意味について話し合う機会があり、今日はまた差別について話し合う機会があった。それでどちらもその「芸術」や「差別」という言葉の意味自体を同定することが困難なところがそっくりだなあと感じた。今日はその話を簡単に。 「芸術とは何か」も「差別とは何か」もかなり困難な問いで、それぞれの分野で長く論争のテーマになっている。 「芸術」のなかでも特に日語で「アート」と呼ばれるものには、多種様々な対象がアートとして同定され得る状況がある。ネイルを塗ることも便器にサインしただけのものもアートとされ得るかもしれない。アートとすることができないものなど無いのじゃないかと思われる状況であるらしい。だから何がアートで何が違うのかをみんなで共有するということは不可能なんじゃないかと思われる。 「差別」も同様の困難がある。置かれている状況が違ったり、時代の変化だったりのために、ある同じ出来事が「差別」だとさ

    独今論者のカップ麺
  • グッドマンのグルーのパラドックス - 異端的考察

    グルーのパラドックスとは、以下のようなものである。 今まで観察されたすべてのエメラルドは緑であったとする。そうすると、帰納的推測により、2009年に観察されるエメラルドも緑色だろうと確証することができる。 ここで、「2008年までに観察されれば緑色を指し、2009年以降ならば青色を指す単語」として「グルー」という語を導入すると、これまで観察されたエメラルドは緑色であると同時にグルーでもあることになる。つまり、エメラルドが緑であることとグルーであることとは同程度に確証されることとなり、2009年以降のエメラルドについては、帰納的推測によって緑ともグルー(=2009年以降なので青)とも同程度に確証されてしまう。 しかし、グルーとはいかにも不自然な単語ではないか、との反論に、グルーのパラドックスの提唱者グッドマンは以下のように反論する。時刻tまではブルーであり、時刻t以降はグリーンであることを意

    グッドマンのグルーのパラドックス - 異端的考察
  • 理性 - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2016年7月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2016年7月) 出典検索?: "理性" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 理性(りせい、希: λόγος、羅: ratio、仏: raison、英: reason、独: Vernunft)とは、人間に来的に備わっているとされる知的能力の一つである。言い換えれば推論(reasoning)能力である。知識・認識や判断の源泉として、この理性に依拠する態度を理性主義と言う。 哲学における理性[編集] 知性と理性の区別はギリシア哲学におけるヌース(知・叡智)とディアノイア(di

  • 『情況証拠=弱い証拠』という根本的誤解について。

    ystk @lawkus 近年,刑事裁判に対する関心が高まったためか,「情況証拠(状況証拠,間接証拠)」の語句を,ネット上でもよく目にするようになった。しかし,どうも「情況証拠=弱い証拠」というような根的誤解をしている人がほとんどであるように見受けられる。そこで,この後,連ツイにて初歩的な講釈を少々。 2012-12-04 19:22:32

    『情況証拠=弱い証拠』という根本的誤解について。
  • logic

    回  テーマ 論理学の歴史 言語の構造 思考の法則 カテゴリー 定言判断 クラス論理学-定言的三段論法- 仮言的三段論法 両刀論法 記号論理・命題論理 論理法則 思考の節約-ストローク関数- 命題論理の応用← new 10/09 関係論理 述語論理 ゲーデルの不完全性定理 ファジイ論理 様相論理 『言語・記号論』へのリンク 『人工知能論』へのリンク Copyright (C) Media Network Center, WASEDA University. 2004 All rights reserved.

  • 鳩の巣原理 - Wikipedia

    n = 10 羽の鳩が m = 9 つの巣の中にいる。したがって少なくとも1つの巣には2羽以上の鳩がいる。 鳩の巣原理(はとのすげんり、英: Pigeonhole principle)[1]、またはディリクレの箱入れ原理(ディリクレのはこいれげんり、英: Dirichlet's box principle, Dirichlet's drawer principle)、あるいは部屋割り論法とは、n 個の物を m 個の箱に入れるとき、n > m であれば、少なくとも1個の箱には1個より多い物が中にある、という原理である。別の言い方をすれば、1つの箱に1つの物を入れるとき、m 個の箱には最大 m 個の物しか入れることができない(もう1つ物を入れたいなら、箱の1つを再利用しないといけないから)、ということである。 鳩の巣原理は数え上げ問題の例の一つで、一対一対応ができない無限集合など、多くの形式的

    鳩の巣原理 - Wikipedia
  •  TETRA’s MATH

    上野修『スピノザの世界』の、図が示されている部分を中心に読んでいる。 前回、スーパービーンという言葉で説明されている状況を見てきたが、無限知性の中にある「人間身体の観念」も、「しかじかの人間のこのような個体特性を内容としていると考えられる」とのこと。 その観念がその人間の「精神」だとはどういうことかを考えるにあたり、再び「半円が回転→球」が出てくる。以前見たように、「半円が回転」は「近接原因」であり、「半円が回転」という思考がなければこの観念は理解不能だし、逆に、「半円が回転」という思考があれば、その思考は必然的に「半円が回転→球」という理解にすすむことになる。 つまり、 「半円が回転」→「半円が回転→球」 ということ。 もし、アニメーションで説明するのであれば、「半円が回転」をまず示し、これは近接原因で単独では意味がないので、すぐに「→球」が浮かび上がるというイメージなのだろうと私は理解

     TETRA’s MATH