自民党が目指す憲法改正に理解を得ようと、稲田幹事長代行は14日から各都道府県を回る「全国行脚」を始めました。 この中で稲田氏は「人事のあと初めて開かれた役員会で、安倍総理大臣は自民党の悲願である憲法改正をあと2年の任期で実現するため一丸となって取り組むと強く述べた」と説明しました。 そして「憲法改正がなぜ必要なのかまだ国民に理解されていない。幹事長代行として、この1年、全国津々浦々を回ってなぜ必要か訴えていきたい」と述べました。 また「災害があると自衛隊は頑張っているが、自衛隊は憲法違反だという指摘もある」として、自衛隊の明記など党が目指す憲法改正に理解を求めました。 憲法改正に向けて自民党は推進本部長などの体制を一新し、来月召集される見通しの臨時国会で議論を進めたい考えです。
防衛省は7日、存在しないとしてきた自衛隊のイラク派遣の際の活動報告(日報)について、昨年2月に探索を求めた当時の稲田朋美防衛相の「指示」は口頭で、「本当にないのか」と疑問を投げかけるものだったことを明らかにした。統合幕僚監部の幹部は指示を防衛省・自衛隊全体に伝達しておらず、統幕は不適切だったと認めた。 陸上自衛隊が日報を把握しながら1年にわたり隠蔽(いんぺい)したとされる問題が、大臣の指示内容と統幕が適切に伝達したかという問題にも発展した形だ。防衛省・自衛隊内の文民統制に対する認識も厳しく問われる。 防衛省によると、昨年2月22日に防衛省大臣室で、稲田氏が辰己昌良・統幕総括官(現・大臣官房審議官)に対し、「イラクの『日報』は本当にないのか」と口頭で探索を「指示」した。同日、辰己氏の部下である統幕参事官付が「RE:イラクの日報」との件名で統幕、陸空の幕僚監部の一部の部署の担当者あてにメールを
存在していないとしていた陸上自衛隊のイラク派遣時の活動報告(日報)が見つかった問題をめぐり、新たな事実が明らかになった。陸自内部では昨年3月に見つかっていたが、当時の稲田朋美防衛相ら防衛省幹部に報告されず、1年以上にわたり伏せられていたという。ずさんな文書管理が相次いで発覚したことに政権は戸惑い、文民統制(シビリアンコントロール)が問われる事態だと野党は批判を強めている。 「大きな問題であり、大変遺憾だ」 4日夜、東京・市谷の防衛省玄関前。記者団の前に姿を現した小野寺五典防衛相は、日報が昨年3月下旬に陸自内で見つかっていながら、当時の稲田朋美防衛相らに報告されていなかったことなどを語り始めた。 過去の国会答弁で存在を否定していた、イラクに派遣された陸自部隊の日報が見つかったと公表したのは今月2日。それからわずか2日後に、昨年3月に把握していながら1年以上も隠蔽(いんぺい)していた疑いが浮上
陸上自衛隊のイラク派遣時の活動報告(日報)が見つかった問題で、防衛相時代に存在しないと国会答弁した稲田朋美元防衛相が3日、国会内で記者団の取材に応じた。「南スーダン(PKO日報問題)の反省のもと、しっかりと文書管理をするということで、今回徹底的に捜索をした結果、見つかった」と述べ、自身の責任については答えなかった。 稲田氏は防衛相として昨年2月の国会で「(イラク派遣時の日報は)見つけることはできなかった」と答弁した。このことについて「その時は確認したが発見されず、その報告を受けて答弁した」と説明。当時徹底した捜索指示を出したのかとの問いには、「南スーダンの時も捜せばあるのではないかということで、捜させて出した」と述べた。 昨年、南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報データを「廃棄した」とした後、陸自内に保管されていたことが発覚。稲田氏はその責任をとるとして防衛相を辞任している。
「安倍首相の秘蔵っ子」として初の女性総理候補と目された稲田朋美前防衛大臣。しかし2017年前半、稲田氏は強烈な逆風にさらされた。森友学園問題に関する国会答弁、東京都議選での応援演説において相次いで失言。その後、南スーダンPKO日報隠蔽問題で防衛省を混乱させた責任を取る形で、7月28日に大臣を辞任した。それからおよそ半年。稲田氏は何を思うのか。その心中をまとめてもらった。 志半ばで大臣を辞任したことは、誠に遺憾 2005年に衆議院議員になって以来、この1年はもっとも苦しい期間だった。防衛大臣に任命された時は、まさに青天の霹靂(へきれき)だった。私は、いわゆる防衛族ではないし、防衛政策についての専門的知識があるわけでもない。それでもこのような重責を任せてくださった安倍晋三首相の期待になんとか応え、政治家として日本をとりまく非常に厳しい国際情勢の中で、しっかりと日本の安全保障を進めていきたいとい
不祥事のオンパレードで辞任に追い込まれた稲田元防衛相ですが、再選されたことで禊ぎは済んだとの認識のようです。詳細は以下から。 安倍首相のお気に入りで次期首相の声も囁かれていながら、南スーダンPKO日誌隠蔽問題を筆頭に不祥事と失言の総合商社状態となり、内閣改造直前に辞任に追い込まれた稲田朋美元防衛大臣。 ですが、10月の国難突破解散・総選挙で再選されたことで禊ぎは済んだと認識しているようです。稲田氏は11月19日に地元の福井市内で講演、10月の衆院選を「今回の選挙ほど苦しいものはなかった」「胸がいっぱいになる」と涙ぐんで見せながら振り返りました。 しかし「厳しい選挙を戦って前回よりも114票伸ばした」として禊ぎが済んだことを強調、「安倍晋三首相が歴史的チャレンジと言っている憲法改正が現実味を帯びている。自民党国会議員のひとりであることの責任と役割を果たしていきたい」「どんな困難にも負けない福
2016年8月4日 18時30分。 新幹線で東京に向かっている。 午前中は、東京で幾つかの大事な会合へ。 午後から地元に入った。 前橋市内で2つのミーティングをこなし、東京にとんぼ返りする途中だ。 この後は都内での夕食会。 参院沖縄選挙区のために頑張ってくれた2人の若手を慰労する。 第二次安倍再改造内閣の目玉は、何と言っても稲田朋美・防衛大臣だろう。 女性では、小池百合子防衛大臣に続く史上2人目の防衛大臣ということになる。 「稲田姫」(いなだひめ)は、必ずしも安全保障政策のスペシャリストではない。 が、このひとなら、防衛大臣として十分な実績を残せると信じている。 政調会長として、あらゆる分野の政策を勉強していることに加え、国防に関する確固たる理念を持っている。 野党のいかなる追及に対しても、動じることはないだろう。 参院からは、世耕弘成・前官房副長官が、満を持して経済産業大臣に任命された。
安倍首相が将来の首相候補の一人として目をかけた稲田前防衛相、いったん「退場」です。今回の問題で受けた傷は深いですが、この経験を次に生かせるか。政治家としての胆力が問われます。(ま)https://t.co/VfBklNTd2X
辞任会見でも、またやらかした。稲田防衛相は記者から辞任を決めたタイミングを問われると、「かねてより総理と相談してきた。そのつど、そのつど自分の気持ちを伝えてきた」と答えた。 辞任の相談をしてきたのなら、安倍首相に「その原因」も説明しなければ不自然だ。稲田防衛相は日報問題を巡る監督責任を取って辞めるわけだが、日報問題について安倍首相は、特別防衛監察の実施中であることを理由に「一切、報告を受けていない」と国会で繰り返し答弁してきた。 辞任を相談していたなら、安倍首相にも日報問題を詳細に説明したのではないか。だとすれば、安倍首相の国会答弁は虚偽にあたる――。 記者団がそう繰り返しても、稲田防衛相は目を泳がせながら「漠然と相談してきた」とゴマカし続けた。この人の失言癖は一生直らない。
稲田朋美大臣が「日報」問題の責任を取る形で辞意を表明した。2012年末の第二次安倍政権発足以来、内閣府特命担当大臣として初入閣、第三次安倍内閣(2016年~)では防衛大臣の要職を務めた。 2005年の総選挙(郵政選挙)での当選以来、福井1区から代議士としてのキャリアを進めた稲田朋美は、安倍総理からの「寵愛」ともとれる厚遇を受けるとともに、入閣前から圧倒的なネット上の右派クラスタ(以下ネット右翼)からの熱狂的な支持を集めた。 当時、ネット上での愛称は「ともちん」。「初の女性総理待望論」まで出るほど、彼女の見せかけの評価はうなぎ登りに上昇していった。そんな稲田に、第二次安倍内閣で入閣の秋波が送られたのは必然の理、と言える。 そもそもなぜ稲田はネット右翼に熱狂的な支持を受けるに至り、「ともちん」の愛称で呼ばれるほどの「アイドル」として登場してきたのか。きっかけは2003年。弁護士であった稲田が毎
丸川珠代五輪担当相(発言録) (稲田朋美防衛相の辞意表明について)大変残念です。女性政治家として申し上げますと、大変ファンの多い、「ファン」というより「信奉者」と言った方が正確かもしれませんが、(信奉者の)多い方だと身近で拝見していて感じていました。そうした皆様方の信頼に、これからも応える努力をなさっていくのだろうと思っております。(閣議後の記者会見で)
「8月3日に内閣改造が予定されているのに、なぜいま、辞任なのか」。自民党福井県連の斉藤新緑幹事長(県議)は話した。「ここ何日かの中央の政治の動きは不可解で分かりにくい」と語る一方、「防衛省という、経験のない部署で気苦労もあったと思う」とねぎらった。 一方、福井県の別の自民県議は「遅すぎる。(3月に)森友学園問題をめぐり、うそをついたと言われても仕方のない答弁をして謝罪したが、あのときに辞めるべきだった」と話した。「選挙に勝てばいいというだけでない。謙虚に周りの人の意見を聞いて判断する姿勢がなかったのではないか」との見方を示し、「ここまで長引いたことで本人にとっても傷がついた」と語った。 自民党が歴史的惨敗を喫した…
稲田防衛大臣は、破棄したとしていたPKO部隊の日報を陸上自衛隊が保管していた問題で、28日に特別防衛監察の結果が公表されることから、みずからも監督責任を取りたいとして、防衛大臣を辞任する意向を固めました。
面白い資料が出てきた 森友学園問題、加計学園問題については、本コラムでそれぞれの問題の本質を明らかにしてきた。 森友学園問題では、当初の段階で公開入札手続きをとらなかったという近畿財務局のチョンボ(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51362)であり、加計学園問題では、50年以上獣医学部の新設を拒否してきた文科省告示の存在とそれを巡る既得権派と規制緩和派の争いである(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52245)、というものだ。 その問題本質の理解を妨げたのが、役所における公文書管理である。筆者にとっては、各種資料から、森友学園問題、加計学園問題について結論を出しているが、一般からみてそれらが分かりにくいのは事実だ。 森友学園問題では、「森友学園側の不正補助金授受」という形で事件化されて、ことが終わろうとしている。
南スーダン国連平和維持活動(PKO)への派遣部隊が作成した日報をめぐる問題で、安倍晋三首相は24日午前の衆院予算委員会の閉会中審査で「稲田朋美防衛相には徹底的な調査を行い、改めるべき点があれば、大臣の責任において徹底的に改善し、再発防止を図ることによりその責任を果たしてもらいたい」と答弁と述べ、稲田氏をただちに罷免(ひめん)する考えのないことを明らかにした。 大串博志氏(民進)の質問に答えた。日報問題をめぐっては、情報公開請求に対して「廃棄した」とした後、陸上自衛隊内に日報の電子データが保管されていることが判明したものの、防衛省として非公表にすると判断。こうした経緯について稲田氏が報告を受けていたのかといった点などの事実解明が、焦点になっている。 大串氏は、防衛相直轄の防衛監察本部の特別防衛監察で稲田氏自身が聴取を受ける事態になったことを受け、「(特別防衛監察は)まったく効果を発揮しない」
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