一昨年、蔵書のほとんどすべてを失ったことで、体調に変化をきたじ、これを機に蔵書とは何かということを考えるようになりました。 近年、蔵書処分をめぐって悩む人が増えているそうで、1つの世代的な現象なのかもしれません。私の場合はあらためて近代の蔵書形成期を振り返りながら、その中に自らを位置づけ、さらに蔵書の可能性と限界について考えてみました。 すでに脱稿し、出版の方向に向けて動き始めています。私の最後の本になると思うので、時間をかけて仕上げたいと思っています。
一昨年、蔵書のほとんどすべてを失ったことで、体調に変化をきたじ、これを機に蔵書とは何かということを考えるようになりました。 近年、蔵書処分をめぐって悩む人が増えているそうで、1つの世代的な現象なのかもしれません。私の場合はあらためて近代の蔵書形成期を振り返りながら、その中に自らを位置づけ、さらに蔵書の可能性と限界について考えてみました。 すでに脱稿し、出版の方向に向けて動き始めています。私の最後の本になると思うので、時間をかけて仕上げたいと思っています。
白内障の手術を受け、右眼が約1ヶ月、左眼が20日間ほど経過した。幸い順調なので、これから同じことをしたいという方々のご参考に、経験したことの一端を記しておきたい。 ◆思ったより大変だった 眼科専門の医院で定期検診のさい、「白内障が出てますよ」といわれたのは2年ほど前のことだが、あまりピンと来ないで、近眼用のメガネを新調することばかり考えていた。新調といっても、遠近両用となると廉価なものではない。ためらっているうちに昨年秋ごろ、「もう手術しても早過ぎはしませんよ」といわれてしまった。 昨年の前半から夏にかけて、いろいろ心労が重なったので、白内障の症状もだいぶ進んだに相違ない。すぐにも手術をと考えたが、折悪しく移転話が持ち上がった。一口に移転といっても、四十年間住んだ土地を離れ、三万冊の蔵書を処分しなければならないのだから、半生に経験したことのない“大難”である。もう白内障どころの騒ぎではなく
私が初めて古書ミステリを手がけたのは一九八二年であるから、もう四半世紀も昔のことになる。当時までの古書を扱ったエンタテインメントといえば、梶山季之『せどり男爵数奇譚』などを除けば、せいぜい夢野久作の『悪魔祈祷書』やマルコ・ペイジの『古書殺人事件』、それに野呂邦暢『愛についてのデッサン』などが思い浮かぶにすぎなかった。 そんな時期に古書ミステリを書こうという気になったのは、雑誌「幻影城」の編集長だった島崎博氏(*注)と関わりがある。いまやミステリ愛好家の間で伝説的な存在となっている島崎氏は、一九七〇年代の半ばごろ、神田神保町で古書店を営んでいた。当時都営地下鉄線の神保町駅が開通したのを機に靖国通りに建設された、小宮山書店ビルの中二階である。 かねてミステリ本の収集家として知られた島崎氏が「本を集めるには古本屋になってしまうのが一番」という考えで開業した店である。小さな貸室内で他の店と同居にせ
毎年いまごろになると、生命保険会社の新生児の名前ランキングが出る。去年の1位はは男児が大翔くん、女児が陽菜ちゃんだったそうな。どのような名前でもよいが、漢字仮名交じり文化という特異な条件下にある日本は、国際化に向けて現在よりも多少は可読性の高い名前をつけるよう、一人一人が考える必要がありそうだ。 むずかしい話はさておき、私が人名に関心をもったきっかけは、三十五年前に「日本一長い名前」というのを調べたときにはじまる。たしか『ギネスブック』の日本版をつくっていたときだった。原本を参照していると、世界最長の名前はドイツ人でアドルフ・ブレイン・チャールズ・ダヴィッド・アール・フレデリック・ジェラルド……以下延々五百八十四語も続き、ふだんは寿限無にならないよう、アドルフ+590と署名していたということがわかった。 さて、日本人ではだれが一番長いか。苦心して調べた結果、戦前では高知県に「山中いろはにほ
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