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ブックマーク / samatsutei.hatenablog.com (3)

  • 赤堀又次郎伝記考証(46) - 瑣事加減

    ・赤堀又次郎の歿年(1) 前回、赤堀氏が昭和20年(1945)1月号まで雑誌2誌で言論活動を行っていたことを指摘した。 ・月刊「日及日人」第四百三十九號(昭和二十年一月號)(昭和二十年一月五日印刷納・昭和二十年一月八日發行・定價五拾錢・政教社・三十二頁) この号には27頁1~2段め(4段組)に伊勢神宮に関連した「神都・神領」を寄稿している。月刊「日及日人」はその次の第四百四十號(昭和二十年二月號)(昭和二十年二月五日印刷納・昭和二十年二月八日發行・定價五拾錢・政教社・三十三頁)を最後に休廃刊に追い込まれたようだが、この最終号には赤堀氏は寄稿していない。 月刊誌の一月号の寄稿であれば年末が締切だろうから、年明けまで確実に生存していたかどうかは分からない。編輯後記のようなものもなく、寄稿者の動向を細かく伝えるような態勢にはなっていないようだが、赤堀氏ほどの人物であればもし年末までに

    赤堀又次郎伝記考証(46) - 瑣事加減
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2023/05/12
    「これで赤堀又次郎の生歿年は確定出来た。慶應二年(1866)九月十日に現在の愛知県に生れ、昭和20年(1945)の、5月までに、恐らく東京都牛込区早稲田南町四番地の自宅で死去したのであろう」
  • 赤堀又次郎伝記考証(43) - 瑣事加減

    ・反町茂雄「辞書のはなし」(1) 村嶋英治「最初のタイ留学日人織田得能(生田得能)と近代化途上のタイ仏教」が赤堀氏の生歿年を「赤堀又次郎(1866‒1943?)」としている理由の1つは、前回検討したHN「書物蔵」のブログ「書物蔵 古オモシロガリズム」の、4月20日付(30)に整理した赤堀氏に関する諸氏のブログ記事のうち仮に【⑦書物蔵】との番号を附した、2011-06-30「赤堀又次郎 1866-1943?について」にあるのだと思っている。 尤も「書物蔵」は記事の題には「1943?」としているのだが文では根拠とした資料の検討から「少なくとも昭和17年まで生きていたと考えてよいだろう。没年は不明だが、higotosukeさんの引用から、未亡人が反町にを売りに来*1ているので、昭和18年から昭和20年5月(山の手が空襲にあう)の間であろう。」と書いていて、飽くまでも慎重である。「higo

    赤堀又次郎伝記考証(43) - 瑣事加減
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2023/05/07
    日本図書館協会初期に活躍した図書館員で国文学者で微妙に在野研究者だった古書コレクター赤堀又次郎。その没年をめぐる考証。いま改めてデジコレを見たらΣ(・ω・ノ)ノ!→https://dl.ndl.go.jp/pid/1596016/1/15
  • 赤堀又次郎伝記考証(29) - 瑣事加減

    昨日の続き。 ・石井敦 編著『簡約日図書館先賢事典(未定稿)』(3) もちろん、石井氏は不完全であることを謙退しつつも、4頁23~25行め「‥‥,/今回のチャンスに,少しでも多くの研究者に役立てば,/と,全くの未定稿のままだけれど,お贈りすることに/した。」とて意義あるものとの自信を覗かせてもいる。 とにかく、前回ざっと眺めた「まえがき」の記述から、「簡約」を冠しているのは当に簡約に造っているからで、そして未定稿と断った上で敢えて刊行した理由についても、ほぼ諒解出来たように思っていたのだが、「あとがき」を見ると何とも意外なことが書いてある。147頁17~20行め、 記述はまず自筆の履歴書を中心にした。そのほか,/各種人名録,名鑑,職員録,諸雑誌の追悼・死亡記事/などである。今回は典拠を明記しなかったが,完稿/(後述)では是非実現させたい。【147】 と「完稿」が持ち出される。続く148

    赤堀又次郎伝記考証(29) - 瑣事加減
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2023/04/20
    「『日本図書館関係人名事典』の編纂資料は、引き継いでいないことになりそうである。資料も、関係者も、一体何処に行ってしまったのだろう」 これ、結局誰も見たことがなかったんでは(´・ω・)ノ
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