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アイヌと宗教に関するskam666のブックマーク (16)

  • 「ゴールデンカムイ」監修者がアイヌ語を書き起こし 幻の祭を撮影した「チロンヌプカムイ イオマンテ」予告編

    アイヌ民族の知られざる祭祀を記録したドキュメンタリー「チロンヌプカムイ イオマンテ」の予告編が公開された(※タイトル「チロンヌプ」の「プ」は小文字が正式表記)。 1986年、屈斜路湖を望む美幌峠で、75年ぶりに「チロンヌプカムイ イオマンテ」が行われた。狩猟民族であるアイヌの教えでは、動物は自らの肉や毛皮を土産にして人間の国へやって来るとされる。彼らはキタキツネを我が子のように育てると、そのキタキツネに祈りを捧げて歌や踊りで喜ばせ、土産を背負わせて神の国へ送る「イオマンテ」を執り行う。祭祀を司るアイヌ長老・日川善次郎エカシは、祈りの言葉の一言一句に魂を込める。60年代から日とアジアの民族文化を撮り続けてきた北村皆雄監督が、86年当時の映像に2Kレストアを施し、貴重な祭祀の様子をよみがえらせた。漫画ゴールデンカムイ」のアイヌ語監修者・中川裕がアイヌ語の現代日語訳を担当した。 予告編では

    「ゴールデンカムイ」監修者がアイヌ語を書き起こし 幻の祭を撮影した「チロンヌプカムイ イオマンテ」予告編
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    skam666 2022/04/12
    “アイヌ民族の知られざる祭祀を記録したドキュメンタリー「チロンヌプカムイ イオマンテ」の予告編が公開された”
  • アイヌ:儀式を後世に 千葉の彫刻家が10年間かけ記録 | 毎日新聞

    アイヌ民族の伝統儀式を10年間かけて、映像に残す取り組みが17日、千葉県木更津市で始まる。古式を知るアイヌが減り続ける中、自然と共に生きた暮らしを後世に伝えようと、同市在住のアイヌ民族の彫刻家、差間(さしま)秀夫さん(70)が仲間たちと計画。17日は同市内で公開する。 差間さんは北海道白糠町(しらぬかちょう)出身。コタンコロクル(村長)の漁師の家に生まれた。固有の言語、服装などの文化を奪った明治政府のアイヌ同化政策の影響が残る中で育った。 自身もアイヌの文化に無関心だったが、18歳の時に転機が訪れる。「イヨマンテ(熊祭り)」などのアイヌ文化の伝承者として知られる故日川善次郎氏(1911~90年)と出会い、感銘を受けた。日川氏に師事し、「イチャルパ(先祖供養祭)」「アシリカムイチェップ(初めて遡上(そじょう)するサケへの感謝祭)」など8種類の儀式を学んだ。祭具の制作から儀式の進行まで、全ての

    アイヌ:儀式を後世に 千葉の彫刻家が10年間かけ記録 | 毎日新聞
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    skam666 2018/06/16
    “アイヌ民族の伝統儀式を10年間かけて、映像に残す取り組みが17日、千葉県木更津市で始まる。古式を知るアイヌが減り続ける中(中略)同市在住のアイヌ民族の彫刻家、差間(さしま)秀夫さん(70)が仲間たちと計画”
  • Toshimi Mikami_Top

    新しいホームページです。これから更新していくのでよろしくおねがいします。しばらく休止していた過去のページはこちらからどうぞ

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    skam666 2016/05/29
    MICA BOX(三上敏視)氏のサイト
  • 北海道)アイヌ祭具に「何か」が CT調査で封入物発見:朝日新聞デジタル

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    skam666 2014/10/17
    “アイヌ民族が祭祀に使う漆塗りの「トゥキ(杯)」の下部に木製と思われる薄い板状の封入物が内蔵されていた(中略)X線CTスキャナーで調べてわかった(中略)類例を見ない新発見で、学術的に極めて重要”
  • ここであえての神代文字 トップ10

    漢字が伝わる前にも、日に独自の文字が存在していたと言われているのをご存知ですか? 漢字でも、漢字から派生した平仮名や片仮名でもない、日オリジナルの文字のことです。 その文字の名は"神代文字"。 「かみよもじ」と読むこともあれば「じんだいもじ」と読むこともあり、研究者によってバラバラ。 ただ、共通するのは、日には中華文明よりも古くから古代文明が栄えていて、"神代文字"はそこで使用されていた、という見解です。 何らかの原因で日の古代文明は衰退してしまい、いつの間にかオリジナルの文字は廃れ、漢字にその座を奪われたのだと、神代文字論者たちは主張します。 でも、こういった主張は、韓国の起源論者と同じで、あまり信用出来ないように思えます。ほとんどは、江戸時代から明治時代にかけて中国や西洋の進んだ文明に触れた人々が、日文化の優秀性を証明するために、悔しさのあまりに歴史を捏造したのではないでしょ

    ここであえての神代文字 トップ10
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    skam666 2014/09/25
    阿比留草文字,阿波文字,カイダ文字,出雲文字,対馬卜兆文字,天名地鎮文字,サンカ文字,アイヌ文字.ヲシテ文字,カタカムナ文字
  • アイヌの祭祀と日本 - 北の考古学─日々の着想

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    skam666 2014/09/08
    “日本の山の神信仰におけるケズリカケと、アイヌのイナウは、いずれも神の依代でそれ自体神であるにとどまらず、これで背中を叩く呪術のほか、ほとんどすべての呪術的な用例が一致している”
  • 朝日新聞デジタル:イナウとアイヌ民族(下) 北原次郎太 - 北海道 - 地域

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    skam666 2014/06/04
    “北海道アイヌの間に人面意匠を忌避する文化が生まれ、神像の働きをイナウに負わせたとすれば、イナウが贈り物でありながら伝達や守護など擬人的な働きをすることも理解できる”
  • アイヌの樹木崇拝 - 北の考古学─日々の着想

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    skam666 2014/05/28
    “樹木を崇拝することをキム・オ・チパシクマ(山での教え)と言う”“狩りで山に入ろうとする時には、まず『イナウ』に向かって祈り、その後大きな木を選んでその木に宿る神に(略)祈りを上げた後(略)出かけて行く”
  • アイヌ祭儀と古代日本の農耕儀礼 その3 ― アイヌの農業神 - 北の考古学─日々の着想

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    skam666 2014/05/16
    “「狩猟採集民」において「新来」の農業神がきわめて大きな比重を占めていたのはなぜか、さらにはその農業神を含む四神がひとまとまりのものとして、アイヌの祭神のなかで重要な位置を占めていたのはなぜか”
  • 朝日新聞デジタル:イナウとアイヌ民族(上)  北原次郎太 - 北海道 - 地域

    skam666
    skam666 2014/05/15
    “大きな祭祀「カムイノミ」を行い祭壇には白木を削った美しい房飾りのようなものが立ち並ぶ。これをイナウと呼ぶ(略)似た民具はボルネオ島から日本列島(サハリン島を含む)にかけての東アジアとユーラシア西部にも”
  • アイヌ祭儀と古代日本の農耕儀礼 - 北の考古学─日々の着想

    アイヌのイナウとイクパスイの起源をめぐって行ってきた一連の考察の、これが決定打である。 アイヌ語には隣接する日語からの借用語は多くないとされる。しかし例外的に祭儀にかんしては日語からの、それも古代日語からの借用語が多くみられる。それはたとえばカムイ(神)・タマ(魂)・ノミ(祈む)・オンカミ(拝み)・ヌサ(幣)・タクサ(手草)・シトキ(粢)といったものであり、そこでアイヌ語学の中川裕は、アイヌ社会には古代日の宗教・儀礼そのものが入ってきたのではないか、と指摘しているのである(中川2010『アイヌ語のむこうに広がる世界』グループSURE)。 このような祭儀にかかわる核心的な概念が受容されるにあたっては、伝播といった間接的影響にとどまらない、日の祭儀を担った集団との濃密な交流を想定しなければならないが、北海道には7世紀後葉から9世紀にかけて東北北部から移住が行われ、石狩低地帯を中心に在

    アイヌ祭儀と古代日本の農耕儀礼 - 北の考古学─日々の着想
    skam666
    skam666 2014/05/09
    “アイヌ語には(中略)祭儀にかんしては日本語からの、それも古代日本語からの借用語が多くみられる(中略)北海道には7世紀後葉から9世紀にかけて東北北部から移住(中略)古代日本の祭儀の受容もその時期とみてよい”
  • 知里幸惠編訳 アイヌ神謡集

    序 その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう. 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀(さえ)ずる小鳥と共に歌い暮して蕗(ふき)とり蓬(よもぎ)摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝(かがり)も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円(まど)かな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく. 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影

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  • 朝日新聞デジタル:アイヌ民族と外来宗教 計良光範 - 北海道 - 地域

    【北の文化】アイヌ民族と外来宗教 計良光範 ●計良光範 ヤイユーカラの森運営委員長■差別の苦しみ「和人化」選ぶ  静内の故・葛野辰次郎エカシのイノンノ・イタク(神への祈り言葉)には、次のような一節が含まれていることが多かった。「神がおられますので人びとも生活し、暮らしていくことができますし、人間がおりますので神もあがめ奉られるものであります。たとえ神であっても、自らを神としたわけではありません。神の真実と言葉の真実がひとつの真実となって支えあうならば、神も人間もお互いに頼ることができます」 神と人間は基的には対等な関係にあるという、アイヌの世界観(信仰)を端的にあらわした表現だ。 そんなアイヌの人々は今日、多くが仏教徒やキリスト教者となっている。それは「幕末から明治期以後の同化政策の結果」と一般的に理解されているが、アイヌ社会にとって外来宗教はどんな意味を持ち実際にどう関わってきたのか?

    朝日新聞デジタル:アイヌ民族と外来宗教 計良光範 - 北海道 - 地域
    skam666
    skam666 2014/03/16
    “「官寺」に与えられた使命が『掟書』に残っている。そこには「蝦夷をして本邦の姿に帰化せしむる事」とあり、幕府の目的が外国に「国」として蝦夷地を認めさせるためにアイヌを和人化しようとしたことが分かる”
  • アイヌ民族への仏教布教を紹介 伊達の善光寺でフォーラム-北海道新聞[道央]

    アイヌ民族への仏教布教を紹介 伊達の善光寺でフォーラム (10/07 16:00) 念仏をアイヌ語に訳した弁瑞上人の肖像画と版木を見学するフォーラム参加者 【伊達】市内有珠町の善光寺の魅力を知る「第7回善光寺フォーラム」が5日、同寺で開かれた。北大アイヌ・先住民研究センター特任教授の佐々木利和さんが講演し、国の重要文化財に指定されている寺の宝物などを通し、アイヌ民族との関係が深い寺の歴史を紹介した。 徳川幕府が江戸後期の1804年に善光寺を建立した目的の一つはアイヌ民族に仏教を広めること。重文には、初期の住職らがアイヌ語に訳したお経や念仏の版木が含まれる。 佐々木さんは版木の文言について「極楽」を美しい世界を意味する「ピリカコタン」と呼び、アイヌ語になかった「念仏」を「ネンフチ」と表現したことなどを紹介。「有珠のアイヌ語の最も古い記録。信仰に関心を絞ったアイヌ語の重要な記録でもある」と話し

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    skam666 2013/10/10
    “幕府が江戸後期の1804年に善光寺を建立した目的の一つはアイヌ民族に仏教を広めること(中略)「極楽」を美しい世界を意味する「ピリカコタン」と呼び、アイヌ語になかった「念仏」を「ネンフチ」と表現”
  • 知里真志保 アイヌ宗教成立の史的背景

    座長(小林高四郎)では知里さんにお願いします。 知里(真志保)私ははじめ、言語から見たいわゆる貞操帯の起源、というような演題でお話しようかと思い、いささか資料も準備して来たのでありますが、はからずも先刻に河野広道氏がその問題にふれられ、ご親切にも私の持参した新資料―樺太アイヌのチャハチャンキ(chax-chanki)までも自発的に紹介の労をとって下さったので、その問題は一応ひっこめることにいたします。貞操帯に関する論議はなかなかデリケートな点にもふれなければなりませんし、かたがた病床から起きだして来たばかりの私にとってはそのようなよけいな神経を使うのはいささか重荷でもありますので、ここではアイヌに存在した呪術的仮装舞踊劇のことをお話して、神話の起源にふれ、神の観念の形成される史的背景を明らかにし、さいきん問題になっているイオルやパセオンカミの問題にもふれてみたいと存じます。 アイヌの社会に

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