2015年7月18日(土) 会場:アテネ・フランセ文化センター 中公新書から6月25日(木)に刊行される「テロルと映画」。その出版を記念し、この半世紀テロリスムがどのように描かれてきたかを、四方田犬彦が様々な映像資料を用いながら検討していく。 映画とテロルは不機嫌な姉妹だ。 映画が暴力の表象をスペクタクルにするとすれば、テロルは暴力そのものをメディアの内側で スペクタクルに仕立て上げる。9・11の厄難は『ダイ・ハード』を連想させ、『エッセンシャル・キリング』はありえたかもしれぬテロリストの逃走劇であった。ブニュエル、ファスビンダー、ベロッキオ、エリア・スレイマン、そして若松孝二といったシネアストが、これまでテロルに向き合い、映画を通してテロルを分析しようとした。誰がテロルを名づけるのか。それを問うことは、誰が映画を名づけるのかということと、ほとんど同義である。 四方田犬彦(比較文化・映画研