表象文化論学会で、前橋の地にふさわしく萩原朔太郎に関するパネルディスカッションが行われた。わたしはけして萩原朔太郎の熱心な読者とは言えないが、立体写真とパノラマに関心を寄せるものとして、朔太郎について改めていろいろと考えさせられた。 とくに栗原飛宇馬氏の「手品」と立体写真に関する発表は、朔太郎にとっての立体写真のあり方を考え直させる内容だった。 朔太郎がただの「写真」ではなく「立体写真」に魅せられるのは、ひとつにはその奥行き空間ゆえだろう。そしてその奥行き空間とは、両眼に異なる像を見せることによって表される一種の「手品」の産物なのだが、この手品に朔太郎は「郷愁」を感じる。栗原氏はこの点についてこう指摘している。「朔太郎はまた、通常の平面の写真を「リアリスチツクであればあるほど、いよいよ僕の心の「夢」や「詩」から遠ざかつて」いくものと述べている。換言すれば、彼が立体写真に見る〈郷愁〉とは、こ
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