韓国で最も優秀な理工系の人材が集まる国立大学KAIST(Korea Advanced Institute of Science and Technology)の1年生が「成績が良くない」ことを悲観して自殺した。「これは個人の問題ではない。大学や韓国社会が1人の天才を殺した」として社会問題になっている。 KAISTと言えば、普通の韓国人にとって天才の中の天才が集まる大学というイメージがある。KAISTを舞台に大学生活の苦悩と青春を描いた人気ドラマもあったほど、手の届かないあこがれの大学である。そういえば、KAISTを舞台にしたドラマでも主人公の友達が自殺するという話があった。。。 KAISTでは毎年のように成績に悩む学生が自殺している。韓国では成績と自殺はきっても切れない関係なのかもしれない。1989年には「幸せは成績順ではないじゃない」という映画が大ヒットしたほどだ。 ところが今回の自殺は
こんにちは。これは楽しい!と思った本があるのでご紹介させていただきます。「あたらしいみかんのむきかた」…こちらは昨年末息子に買った「小学一年生」*1という雑誌に広告が載っていたのですが、その剥かれた皮の写真と「ぼくむくよ もっとみかんをむくよ」という煽り文句だけで心を奪われ、即、アマゾンさーん!!これくださーい!!と注文した一冊です。 本の冒頭…「なにかむなさわぎがする そんな大晦日がはじまろうとしていました」 「むきお」くんと「むきみ」ちゃん。主人公であるむきおくんは当然、溢れんばかりの才能を持った天才ピーラーなわけですが、妹であるむきみちゃんもまた天才です。さらっとぺろっと龍をむきあげたりします。この兄妹が切磋琢磨してみかんと向き合う…剥き合う…?様子は、同じく上に男の子・下に女の子の二人兄妹の親である私にとっても胸を熱くさせるものでした。 ちなみに作品一つ一つにむきおくんの日記風コメ
ルールを守ることがどこまで必要なのかを高校時代に友達とよく議論した。 覚えているのは「交通信号をどこまで守るべきか?」というテーマについての議論だ。高校生なので、とうぜんながら歩行者の立場からの議論だ。 赤信号のときにクルマがきていない。そのときに横断歩道をわたることは人間として、どこまで許されるかというお題についていくつかの面白い立場がでてきた。 (1)ルールはルール派。どんなときであっても信号は守るべき。 (2)at your own risk派。大丈夫だと思ったら、自分の判断で渡っていい。ただし、それで事故にあっても警察に捕まっても自分の責任だ。それを自覚して信号無視するのであれば、人間の生き方としては許される。 (3)信号?なにそれ派。もっとも交通事故率の高い大阪ならではの考え方。赤信号であってもクルマがいなければ渡る。青信号であってもクルマがきてれば渡らない。そもそもクルマも歩行
「野球部の練習にジャマ!」 中学野球部員の親ら、グラウンドに重機持ちこみ芝生剥がす…大阪 1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ :2010/12/16(木) 10:35:39 ID:???0 大阪府岸和田市立春木中学校で、同校野球部員の保護者らが、「練習に差し障りがある」として、グラウンドの芝生約3000平方メートルを無断で剥がしていたことがわかった。同校は、府の「みどりづくり推進事業」を利用し、グラウンドの全面芝生化を実施しており、府は修復されない場合、補助金の一部返還を求める方針で、同校は保護者側に原状回復を要求する。 同校によると、同校は昨年度、府の補助金300万円と地域住民らの寄付金など 計約800万円で、グラウンドの芝生化を実施。苗の育成や芝生の植え付けなどは 全校生徒や地域住民がボランティアで行った。 今年11月になって、野球部やソフトボール部の保護
10-12-31 追記部分を除いて削除。 此処から先は追記。 予想と違う反応が来て戸惑ってる。 私は「偉そうなことをいって、結局母親のせいにしてるだけじゃねーか」ってツッコミをされると思ってた。 というのも、つい最近、そういう母親の教育も含めて子どもの教育を考える塾というのを見てきたからだ。 私よりずっと踏み込んで努力してる人は世の中に山ほどいるのだと知った。 しかもそれが私より若い人だったりしたから、結構凹んだが、なるほど、やろうと思えばやれるのだ。 そもそも、私が子供の母親に信頼されてないから、母親もついつい不安になって 子供にあれこれ口出しするんだろうというのもある。 有名進学塾とかに母親が子供を通わせるのも、それだけ信頼されているということだろうから、 元塾講師の立場から言うと、中学受験の失敗は母親を上手く操縦できない講師の力が9割5分 改善できればそれに越したことはないけどね。
娘曰く、とある学級が「学級崩壊」状態で授業が破綻する事が度々あるらしい。 「時々(つまり一日に数回)、先生の声が聞こえなくなるくらいに隣のクラスがうるさくなる」と。 その噂は保護者間でもある程度認識されていて、「どうしたものか」とPTA等で時折話題に上っていた。 その際に発覚したのが、そのクラスの担任(40代女性)の指導手法だった。 たとえば「○○係」といった役割は、通常であれば生徒間で持ち回りで割り振られるのだが、当然そのクラスではそれが通用しない。 順番だからと諭しても「嫌だ嫌だ」と連呼し、その場で「分かりました。やります」と約束させても当日はすっぽかす。それをとがめると「やりたくないもん」の繰り返し。 そんな状態に対する苦肉の策として、そのクラスの担任が考案した手法がちょっと問題になった。 具体的には、朝礼で今日の星占い、今週の血液型占いなどと称して、○○座で×型の人は、□□□□をす
親の目的は、「わが子を大人にする」に尽きる。 そして、あらゆる子育て本は、「そのためにどうする?」を語ったもの。それ以上でも以下でもない。 もし、プラスアルファとか別の「目的」をわが子に見出した場合、無理強いや歪みを引き起こす。どんな時代にも、おかしな親がいる。自分が果たせなかった夢を子どもに押し付けたり、自分の思い通りにわが子を操ろうとしたり(わたしの子ども時代には、『母原病』なる言葉が流行った)。わが子は小学校の高学年。そろそろ難しい年頃にさしかかる前に、予習のつもりで読んでみる。予想通り、厳しい(でも王道の)言葉が並んでいる。 本書の真髄はここになる。 赤ちゃんは、肌を離すな 幼児からは、肌を離しても手を離すな 小児からは、手を離しても目を離すな 少年からは、目を離しても心を離すな ← ここ もちろん「少年」に限らず「少女」も同じ。肌をくっつけ存在を知らせ、手を引いて歩き、迷わないよ
マイケル・サンデルというハーバードの先生の哲学の講義が面白いというので話題になり、TV番組化されて日本でも中継されたり、サンデル先生自身が日本の東京大学で模擬授業を行って喝采を浴びたりしているようです。本当はこうした現象は70年代の後半ぐらいからスタートしていれば良かったのですが、遅いから無意味とは思えません。今からでも遅くないので、日本でも高等教育の指導法としてこうした抽象的な論議の訓練ということを導入すべきだと思います。 まず、誤解を解きたいのは、このサンデル先生の講義というのは、私がビデオクリップで見た範囲では、サンデル先生の専売特許でも、ハーバードの特殊な優位性を表しているものでも何でもありません。確かに日常的な問題から抽象的な原理原則の話に気づかせるとか、学生の反応に当意即妙なレスポンスができるという意味では、教育者として優秀な資質を持った先生だと思いますが、アメリカの大学教育の
子どもが分かっているとき/「穴埋め」させる どうすればいいか/なにをしてはいけないか、大人が思っているよりは、いくらか/ずいぶんと、子どもは分かっていることが多い。 子どもからすると、分かっていることを言われるので、くさる。 しかも大人は、必要以上のことをいろいろ言いがちだ。「××してはいけない」というかわりに、たとえば「××するような奴は……になるぞ」みたいなことを言ったりする。 大人からすると、言っても聞かないから、もっとひどい言い方をしているのだ、ということになる。しかし、言い方をエスカレートしても、効き目はすぐになくなる。さらにもっとひどい言い方をしたくなる。 「穴埋め」とは何か? 人は、他人に言われたことよりも、自ら口に出したことにコントロールされる。 「叱る」内容を、子ども自身に言わせる方法なんてあるのだろうか? 手はいくつかある。 「わざと間違える」というのがわかりやすいが、
思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
年を重ねれば肉体的には大人になれるものの、精神的に大人になることはなかなか難しいもの。どうすれば精神的に大人になれるのか。筆者は3つのポイントがあると主張する。 「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは? はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん(Twitter:@InsideCHIKIRIN)。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。 ※本記事は、「Chikirinの日記」において、2008年8月23日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。 ちきりんは“子どもな人”が苦手です。 いい大人の年齢に達していても、精神的な態度や成熟度という意味で子どもっぽい人と一緒にいるととても疲れます。では、“大人である”というのは具体的にどういうことなのか。今回は独断と偏見による“大人の定義”を書い
もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに この話を読んで、僕は小学校5・6年生の頃、美術と習字と音楽を担当していた先生を思い出した。 その先生は隣のクラスの担当で、上記3つの時だけ僕のクラスで教えていた。 2人1組になってお互いの顔を描きましょう、なんて隣の人(女子)と気まずくなるためだけのイベントだったし、 筆でぐーぐっっと書きなさいと怒る先生の言ってることは意味不明だったし、 目で声を出すんです!頭の上から歌うんです!とか生体構造を無視したことを言われていた。 ところが、5年生の時から来たその先生は、僕らの美術嫌い、習字嫌い、音楽嫌いを一瞬で直してしまった。 その先生ははっきり言えば少し人間性に問題のある先生で、みんなにイメージを持ってもらうために多少大げさに言えば、 通常の先生 + (GTOの鬼塚 ÷ 10) - 金八先生 こんなんだった。 もちろん小学校の先生なので、無
ニコニコVIPユーザー様、お世話になっております! 暖かくなってきて、出会いも多くなる季節になってきましたね。 そんなチャンスをガッチリ掴むためにも、服装は重要です。 「この前、合コンした人の週末の服装がダサかった・・」 なんて言われたくないですよね!? 「でもコーディネイトとか、めんどいしなあ・・」 そんなアナタにはコーディネイトセットってのもありますよ! もっとオシャレになって、一緒に春を楽しみましょう♪ ご来店、お待ちしております! by店長:宇賀神 ⇒今なら宇賀神が書いた本、プレゼント! 1 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/03/15(月) 22:05:35.69 ID:npOJzPXK0 どうして自分は助かったのか不思議なほどの英才教育をうけた。 そんな話需要ある? 2 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:
若い世代のコミュニケーション ―その変化の背景そして処方箋― 宮 台 真 司 自己紹介 宮台真司と申します。もともとは理論社会学で博士号を取りました。国家権力の構造を数理的に記述する研究です。そのあとサブカルチャー研究や若者研究にシフトし、みなさんのお目にふれるようになったと思います。 宗教や性愛、特に売買春のフィールドワークを1980年代から90年代前半ぐらいにかけて全国的に展開をしました。1993年にブルセラ女子高生の存在を世に知らせる記事を朝日新聞に載せたことから、いろんな反響が起こりました。 思春期の少女たちに対する思い込みがポンチ絵にすぎないことをはっきりさせるために、マスコミを使ってキャンペーンを展開したのですが、最近の僕は、出発点である国家権力の分析に戻りました。『日本の難点』もそうした方向性です。 問題設定の意味 本題に入ります。御依頼いただいた主題が、「若い世代のコミュニ
アゴラの松本徹三さんが日本の中学受験を批判するエントリーを書いておられた。 今日、日本に住んで長くなるイタリア人の友人と食事をしましたが、彼は、中学を受験しているご子息のことで深刻に悩んでいました。この人はお父さんの代から学者だった教養人で、イタリアで知りあった日本人の奥さんは日本の某超一流大学の準教授です。そういうご夫婦ですから、息子さんを「中高一貫教育をしてくれる良い中学校」に入れたかったのですが、うまくいっていません。 中略 私の考えは、目の前にいる私の友人の子供である、日伊混血の可哀想な少年のことから、日本人の若者全体の将来のことに広がりました。何も知らずに、「塾システム」に象徴されるような「日本の奇妙な教育システム」の中にどっぷり漬かっていく日本の若者達の方が、実はもっと可哀想なのだと思えてきたのです。 教育の改革は火急の問題 結論からいうとこれはとんでもない思い違いという他ない
1月16日の土曜日、アメリカニュージャージー州のプリンストン大学では、バイオリニスト五嶋みどり氏による公開レッスン(マスター・クラス)が行われました。バイオリンを学んでいる3人の学生が演奏し、これに対して五嶋氏がレッスンをつけるという2時間のプログラムで、私はたまたま見学する機会を得たのですが、「音楽とは何か」という根本の問題に迫る素晴らしいレッスンでした。五嶋氏は独奏者としては世界のトップレベルであるのは間違いありませんが、教育者としても最高の資質を、そして真摯な姿勢を持った方だということを知り、深い感動の余韻が続いています。 サン・サーンスの協奏曲三番の第三楽章を弾いた最初の学生に対して五嶋氏は、まず「この楽章の冒頭部では音楽のディレクション(方向)はどこを向いているのか?」という問い掛けをおこないました。面食らう学生に対して五嶋氏は「第三楽章は第二楽章を受けて始まり、第三楽章という新
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