タグ

歴史と経済に関するt-satのブックマーク (10)

  • タイラー・コーエン「イギリスで産業革命が起きなかったとしたら他の産業革命までどれくらいかかっただろう?」

    タイラー・コーエン「イギリスで産業革命が起きなかったとしたら他の産業革命までどれくらいかかっただろう?」 [Tyler Cowen, “How long until another Industrial Revolution would have taken place?” Marginal Revolution, May 9, 2017] こう仮定してみよう.どういうわけか,イギリスが産業革命の好機をのがしたか(しなくていい戦争で負けたとか),あるいはそもそも産業革命を起こす状況にいたらなかったとする(メキシコ湾流がなかったとか).その世界では,いったいいつ産業革命が起きただろうか? お忘れなきように――中国の宋はなんらかの突破口を開くのに比較的に近いところまで行ったけれど,産業革命を起こすにはいたらなかった.ローマ帝国についても同じことを言う評論家たちがいる. こう問いを立ててみてとり

    タイラー・コーエン「イギリスで産業革命が起きなかったとしたら他の産業革命までどれくらいかかっただろう?」
  • チャールズ・カロミリス, マルク・フランドロウ, ルーク・ラーヴェ 『最後の貸し手の政治的基礎』 (2016年9月19日)

    チャールズ・カロミリス, マルク・フランドロウ, ルーク・ラーヴェ 『最後の貸し手の政治的基礎』 (2016年9月19日) Charles Calomiris, Marc Flandreau, Luc Laeven,”Political foundations of the lender of last resort“, (VOX, 19 September 2016) グローバル危機は諸般の中央銀行による 『最後の貸し手』 政策がどこまで許されるべきかをめぐって様々な懸念を引き起こした。稿ではこれら政策が世界中でどのような発展を辿ってきたか、その歴史を繙いてゆく。最後の貸し手もまた政治権力の座の一つであり、そうした存在として、その創設は政治交渉の結果と見做されるべきものである。したがってこうした政策の採用傾向、並んでそこに付与する権限の取捨選択に関し、各国に差が在ったのも驚くには当たら

    チャールズ・カロミリス, マルク・フランドロウ, ルーク・ラーヴェ 『最後の貸し手の政治的基礎』 (2016年9月19日)
  • エルネスト・ダル・ボ, パブロ・エルナンデス-ラゴス, セバスティアン・マッツーカ 『破綻国家と文明のパラドックス』 (2016年7月26日)

    エルネスト・ダル・ボ, パブロ・エルナンデス-ラゴス, セバスティアン・マッツーカ 『破綻国家と文明のパラドックス』 (2016年7月26日) Ernesto Dal Bó, Pablo Hernandez-Lagos, Sebastián Mazzuca, “Failed states and the paradox of civilisation: New lessons from history“, (VOX, 26 July 2016) 国家破綻の事例がここ十年間に相次ぎ、この傾向は特に中東やサブ-サハラアフリカで目を惹くものとなっている。しかし国家破綻は何も新しい現象はではないのだ。歴史的実証データは、近代早期をはじめ、青銅時代まで遡るものであっても、形成国家の大半が繁栄ではなく破綻しきたことを明らかにしている。稿では 『文明のパラドックス』 というものを導入し、定住状態に達し

    エルネスト・ダル・ボ, パブロ・エルナンデス-ラゴス, セバスティアン・マッツーカ 『破綻国家と文明のパラドックス』 (2016年7月26日)
    t-sat
    t-sat 2016/08/13
    長々ともったいつけた末の結論が「そりゃそうだ」としか言い様がない身も蓋も無さ。/フィリピンを思い出して「そりゃそうだ」と言いたくなくなる自分を省みるべきなんだろうなあ。
  • 妖精さんたちの、そうごかけきん - こちらはニセ受験生です

  • 銀行はなぜ合併しなければならなかったのか

    江戸時代の日は米・金・銀という三種類の通貨システムを平行して扱っていた。徳川幕府と諸侯領(明治時代以降藩と呼ばれるようになるやつ)が入り乱れた連合国家であった。諸侯領間における政治経済システムの違いは大きかった(要するに戦国の遺風を引きずった藩とそうでない藩があった)。上記のような事情があった結果金融業の発達は著しく、幕末には多くの諸侯がこうした金融業者の支配下に置かれるありさまだった。 明治政府は戊辰戦争後、 近代的金融システムの成立戊辰戦争の戦費として発行された政府紙幣の償還金貨の流出が著しいという現状の対処などといった問題に対処するために、新貨条例および国立銀行条例が制定した。これらの制度は 実質金銀複合位制国立銀行というが国立銀行条例という法令に基づいているが実際は民間資による銀行である民間銀行が国債を担保に兌換券を発行することができるというなにがなんだか分からない制度になっ

    銀行はなぜ合併しなければならなかったのか
    t-sat
    t-sat 2016/07/07
    あまり関係無いが近代金融に紛れ込んでる「無尽」の異物感が好き。
  • シーラ・オーゴヴィー 「中世シャンパーニュの大市:発展への教示」

    Sheilagh Ogilvie, “Medieval Champagne fairs: Lessons for development” (VoxEU.org, 23 December 2015) 〈ある一群の経済学者たちが口を揃えて言うことには、強力な国家や公的機関がなくても経済は繁栄しうる、と。この記事では、中世ヨーロッパにおける「シャンパーニュの大市」を教材として、公共機関というものがいかに重要なものであり得るかを考察する。公的権威というものは、良きにつけ悪しきにつけ、決定的なものである。統治者がそれを全ての人が用いられる公益事業として提供したときに、シャンパーニュの大市は花開いた。そしてその利用を一部の人々のみの特権として認可したとき、交易は衰退し別の所へと移って行った。〉 経済史を語る上で広く支持されている説に、経済の成功には、国家、統治者、法制度といった正式な権威と結びつい

    シーラ・オーゴヴィー 「中世シャンパーニュの大市:発展への教示」
    t-sat
    t-sat 2016/04/08
    関東大砂漠を思い出した。
  • マーク・ソーマ 「社会保険の無い世界」(2005年3月16日)

    ●Mark Thoma, “Lest We Forget: Life After the Great Depression”(Economist’s View, March 16, 2005) こちらのエントリー〔拙訳はこちら(の前半の記事)〕では(経済面のリスクから身を守る上での)社会保険の必要性を抽象的な観点から論じたが、今回のエントリーでは個別具体的なエピソード(パーソナルストーリー)に焦点を合わせる。アメリカに社会保険の仕組みが導入されたのは1935年のことだが、まずはじめに紹介する「失業に関する事例研究」(Case studies of unemployment)サイトでは社会保険が導入される前のアメリカ社会における庶民の生活実態について数多くのエピソードが集められている。今回はその中の一つを引用するが、他にも保険の私的供給が「市場の失敗」に陥った事例も多数報告されていることも付

    マーク・ソーマ 「社会保険の無い世界」(2005年3月16日)
    t-sat
    t-sat 2016/01/26
    役割語訳はしなくてもいいんでは。
  • 服部正也氏の「ビッグ・プッシュ」(「ルワンダ中央銀行総裁日記」より) - himaginary’s diary

    少し前の話だが、石町日記さんが服部正也氏著「ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書 290)」*1を読んで非常に面白かったというエントリを上げていた。 実はこのを小生も持っていたのだが、これまで棚の奥にしまったままだった。それを今回ふと取り出して読んでみたのだが、確かに面白い。最後の離任のシーンなどは、冒険ダン吉のラストシーンを彷彿とさせた*2。ネットで検索してみても、このに素直に感動したという感想がいくつも見られる。 ただ、そうした物語的な面白さもさることながら、このには現代の経済学者、特に国際援助や成長論を論じる経済学者に取って非常に意義のある内容が含まれているのではないか、と思った。現在のその分野では、ローマーとルーカスが内生的成長論を発展させ、スティグリッツがIMFの画一性を批判し、サックスが先進国によるアフリカ援助を唱導し、そのサックスの大上段をイースタリーが批判する、と

    服部正也氏の「ビッグ・プッシュ」(「ルワンダ中央銀行総裁日記」より) - himaginary’s diary
    t-sat
    t-sat 2015/09/23
    『ルワンダ中央銀行総裁日記』紹介。リンク先も。
  • 反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと「予想」/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと「予想」 松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 経済 #フリードマン#合理的期待形成 さてこの連載では、国家が経済のことにいろいろ管理介入する1970年代までの体制が、80年代以降世界中で崩れている転換を、「転換X」と呼び、その正体は何だったのかを探っています。 それは「小さな政府」への転換だ──こう言って、企業が利潤をもとめて活動するのを自由にして、みんな競争させようという「新自由主義」や、それをマイルドにした「ブレア=クリントン=日民主党路線」が80年代以降今日に至るまでとられてきました。しかしそれは誤解だったというのが、この連載で言いたいことです。 そこで、70年代までのやり方が行き詰まった原因がどこにあって、それを解決するためにはどうしなければならないのか──それを、この転換を提唱した経済学者たちの言っ

    反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと「予想」/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
    t-sat
    t-sat 2014/03/01
    *13 は縁起が悪いので削除。
  • 「何故しぶとく生き延びるのか ゴキブリとマルクス」『諸君!』2005年8月号 - shinichiroinaba's blog

    松尾さんの新著をめぐって変に盛り上がっているのでお蔵出し。 何らかのネタの提供になるだろうか。 これと『教養』第7章を読んでいただければ、ぼくが疎外論的マルクス主義それ自体には割と批判的――正統派レーニン主義にもそれなりの事情があったし、その問題点が疎外論で克服できたわけでもない――と考えていることはお分かりになるでしょう。ただそれと今回の松尾さんのの評価とは、関係はあるが別の問題なわけだけど。(ていうかまだ読んでないし。) しかしこれを山形は全く知らないだろう70年代頃までの新左翼系の疎外論だの物象化論だのといったややこしい論争まで引っ張り起こしていじりまわすといったいどうなるのやら……(松尾さんには廣松渉批判の論文もあったな。廣松の「マルクス主義」がすでにマルクスから離れた別物であったというのは間違いじゃないだろうけど)。 ==============================

    「何故しぶとく生き延びるのか ゴキブリとマルクス」『諸君!』2005年8月号 - shinichiroinaba's blog
    t-sat
    t-sat 2008/06/18
    マルクス主義者の歴史。/ゴキブリがしぶとい理由については書いてない。
  • 1