タグ

scienceとhistoryに関するtarchanのブックマーク (5)

  • プレートテクトニクスの拒絶と受容 - 東京大学出版会

    1960年代後半に登場したプレートテクトニクスは,欧米では70年代初めには地球科学の支配的なパラダイムとなった.しかし,日の地質学界ではその受容に10年以上の遅れが見られた.なぜこのような事態が生じたのか?多くの資料をもとにその謎を解明する. まえがき 序 章 プレートテクトニクスと日の科学史 第1章 大陸移動説からプレートテクトニクスへ――地球科学の革命 第2章 戦前の日の地球科学の発展とその特徴 第3章 戦後の日の民主主義運動と地学団体研究会 第4章 「2つの科学」と地学団体研究会 第5章 日独自の「地向斜造山論」の形成 第6章 プレートテクトニクスの登場と日の地球科学 第7章 「日列島=付加体」説の形成とプレートテクトニクスの受容 終 章 プレートテクトニクスの受容とそれ以降の日の地球科学 あとがき 年表/参考資料/事項索引/人名索引

  • 生物を大量絶滅させたのは小惑星

    生物を大量絶滅させたのは小惑星 【2010年3月10日 University of Cambridge/東北大学 津波工学研究室】 約6,500万年前の白亜期に起こった生物の大量絶滅は、小惑星の衝突によって引き起こされたと結論づける研究成果が発表された。小惑星の大きさは直径が約15kmで、衝突の威力は広島型原子爆弾の10億倍以上だったと推定されている。 地球に衝突する小惑星の想像図。クリックで拡大(提供:NASA/Don Davis) メキシコのユカタン半島にあるチクシュルーブ・クレーター周辺の地図(提供:World Book Map) 約6,500万年前の白亜期に生物の大量絶滅が起こった。その原因は、メキシコのユカタン半島にチクシュルーブ・クレーター(チチュルブ・クレーターとも呼ばれる)を作った小惑星の衝突か、それともインドのデカン高原で150万年ほど続いた大規模な火山活動か、長い間議論

  • asahi.com(朝日新聞社):苅谷俊介さん・児玉清さんも興奮 纒向遺跡、現地説明会 - 社会

    臨時列車も運行され、説明会には大勢の人が詰めかけた=14日午前、奈良県桜井市、小玉重隆撮影俳優で考古学研究者の苅谷俊介さん=14日午前、奈良県桜井市、小玉重隆撮影  「卑弥呼がここにいたかもしれない」。3世紀前半では国内最大の大型建物跡が見つかった奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(2世紀末〜4世紀初め)で14日、現地説明会が開かれた。古代史最大の謎、邪馬台国の所在地論争に影響する発見とあって、全国から約3600人の考古学ファンが訪れた。  未明から降り続いた雨は午前8時過ぎにあがり、説明会は予定通り午前10時に始まった。発掘現場そばのJR巻向駅には、説明会のため増発された臨時電車などで考古学ファンが到着した。  午前中は約1600人が集まった。一番乗りは大阪東大阪市の派遣会社員、山紀昭さん(40)。中学1年の長男と一緒に訪れた。「遺跡発掘の説明会に来たのは初めて。歴史的な発見なのでぜ

  • 皆既日食:明治人が見た…市民のスケッチ100枚発見 - 毎日jp(毎日新聞)

    右下に2のコロナが延びる。「此図甚可し(この図はなはだよし)」などのコメントも添えられている=国立天文台提供 122年前の皆既日の際、明治政府の呼びかけで市民が描いた太陽コロナのスケッチ約100枚が国立天文台(東京都三鷹市)で見つかった。一般市民による国内初の皆既日の観測記録で、同天文台は「近代化を目指し、科学の重要性を広く浸透させようとした明治政府と、それに応えた市民の姿を示す歴史的に貴重な資料」としている。【足立旬子】 1887(明治20)年8月19日の皆既日は、新潟、福島、茨城の各県などで見られた。世界中から観測隊が集まり、国内初の近代的な観測が行われた。 当時、月が太陽をすっぽり隠す皆既日は不吉な現象と考えられ、市民が家にこもることなどが想定された。そこで、文部省(当時)は、事前に官報に「白光(コロナ)写図心得」との観測マニュアルを示し、皆既日が見られる地域の役所や

  • フォトレポート:人類初の月軌道周回--「アポロ8号」を振り返る

    Apollo宇宙計画は人類が初めて月面に到達したことで長年有名だが、その計画の進行中には、計画が成功する保証はなかった。実際1968年には、Kennedy米大統領が大胆に宣言したその目標の達成期限である1960年代の終わりが近づいていた。1968年12月、最終的に月に着陸することになる月着陸船の制作が続けられる中、地球の軌道外へ人類を初めて送り、月を周回させる中間ミッションのために、Apollo 8号が打ち上げられた。 この写真にはApollo 8号の乗組員が撮影されている。左からWilliam Anders氏、Jim Lovell氏、Frank Borman氏。 提供:NASA/Johnson Space Center Apollo宇宙計画は人類が初めて月面に到達したことで長年有名だが、その計画の進行中には、計画が成功する保証はなかった。実際1968年には、Kennedy米大統領が大胆に

    フォトレポート:人類初の月軌道周回--「アポロ8号」を振り返る
  • 1