鈴木貴之さんの「ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう」を読んでた。いま「ミニマムな表象主義」(6章)まで来たところ。 この「ミニマムな表象主義」、すごく合点がいった。ここでの表象主義は行動に利用されるかどうかによって決まるような「消費理論」的な表象であって、外的な刺激をそっくり写しとるような「再現表象」ではない。 つまり鈴木さんの説では表象主義のうちの「意識経験は(思考や痛みも含めて)すべて知覚経験である」(クオリアの志向説)を温存したうえで、再現表象ではなくてどう行動に活かされるかという意味での表象(消費理論的な表象)に作り変えていて、標準的な表象主義とは違うものなのだな。 これはようするに表象主義側からsensorimotor contingency (SMC)的な方向に向かったという言い方ができるかもしれない。SMCな人たちがシンプルなロボット(サブサンプション