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未来に関するtnakamrのブックマーク (6)

  • 手詰まらないこと - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Leica M10P, 50/1.4 Summilux, RAW @尾道 (これはおそらく時限的なポスティングです。) 昨日、自分の社内対象だが、かなり大きなレクチャーと対話のセッションを行った。少なくとも、3,500名ぐらいは参加申込みがあったらしい。 そこで、僕に与えられたのは「未来がますます不確実になっているなかでどう行動すべきか」「"残すに値する未来"をつくるために何が必要か」という重たい二つのお題だった。 まず、僕が話したのは、手詰まらないことの大切さだった。不確実性の高い状況において、生き延びることが出来る企業やそうじゃない企業の違いは、マッキンゼーで相当に研究され、半ば結論が出ている。目先で確実なことしかやっていないか、中長期もしくは未来の視点でそれなり以上の取り組みを埋め込めているか、だ。 これは囲碁や将棋などのボードゲームで言えば「手詰まらない」こと、ということになる。基

    手詰まらないこと - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
  • 真剣にヤバい日本経済の行方|池田直渡

    ガソリン車廃止問題は相当深刻な状況だ。日のメーカーの製品が100%EVだけになったとしても、その時代の環境負荷尺度がLCAだったとしたら、もう日でモノ作りをやっていては絶対に勝てない。 その理由は、電源の化石燃料率にある。日は現状非化石燃料は30%程度しかない。グローバルなカーボンプライシング規制が始まれば、製造時のCO2負荷で莫大な罰則税を受けるだろうから、非化石燃料比率を90%とかに上げない限り、競争に参加すらできない。そう言うルールになったら、全ての電気を使う、かつ国際的商品を作る製造業は日を出て、電源のキレイな国へ移転するしか方法がない。 ではその時までに電源改革が間に合うのか。そういう話になれば、政治的難しさを全部ねじ伏せて原発の新規建設を大々的にやる以外に選択肢がない。ホントにできるのか? もちろん質的には電源の脱CO2をやらないで済む出口はない。だから何としてもやら

    真剣にヤバい日本経済の行方|池田直渡
  • 「平常に戻る」ことはない

    イギリスNESTA(科学技術芸術国家基金)より。日にも当てはまる。 パンデミックは世界を永久に、そして根から変えるだろう。例えば、各国が今後数か月でCOVID-19の蔓延を抑制できたとしても、政治的、経済的、社会的、技術的、法的、環境的な影響が何十年も続くことになるだろう。 この記事では、世界がどのように変化するかについて、様々な見方(しばしば反対の見方)を要約し、総合的にまとめている。明らかに、これらは空論である。未来がどのようなものになるか誰にも分からない。しかし、危機は必ず深く予期しない変化を促し、パンデミック前の正常な状態に戻ることを期待している人々は、以前のシステム、構造、規範、仕事の多くが消滅しており、戻る事はないと知って愕然とするかも知れない。 そのため、適応能力とイノベーションはこれまで以上に重要になってくる。数か月でビジネスが通常どおり再開することを期待する経営陣にと

  • 日本だけじゃなく世界的に終わっているし、終わっているのは個人の未来だ - フロイドの狂気日記

    ロンドンで留学して良かったことの一つに、色んな国の人たちと話せることがある。 www.blogx3.com はてブで時折、日終了エントリが見れるけど、はっきりと言えるのは世界的に終わってる感が半端ないということだ。 日は少子高齢だから、人口減少だから投資の価値がないからみたいなことを強調されるけど、色んな国の人達が似たようなことを考えてて、それで自分だけでも助かろうと英語を勉強しにロンドンくんだりまで来ているわけだ。 仲良くなった台湾の女の子は日の現在の経済力についてすごく評価していた。 それに比べて台湾はダメみたいなことを自虐的に言うのだ。 彼女は特に今の総統は頭が悪いという評価をしている。僕はシャープの買収なんかを見て台湾は上り調子、一人当たりのGDPもアゲアゲだと思っていた。 なので鴻海みたいな会社があるじゃないか、と言うと 鴻海はすごいしリスペクトするけど、工場は全部大陸にあ

    日本だけじゃなく世界的に終わっているし、終わっているのは個人の未来だ - フロイドの狂気日記
  • 巨人たちが語るディープラーニングの未来(翻訳記事) - Preferred Networks Research & Development

    比戸です。スムージーの美味しい季節ですね。 今回は「ディープラーニングの未来」というパネルディスカッションに関するブログの翻訳をお送りします。この業界の有名人が多数参加していて、とても興味深い内容だったため、日のコミュニティでも共有できたらと思ったのです。 それは2015年7月に開かれた機械学習の国際会議・ICML内のDeep Learning Workshopの企画でした。元記事はワークショップ主催者のKyunghyun Cho氏のBrief Summary of the Panel Discussion at DL Workshop @ICML 2015です。ご人の許可を得られたので、以下に日語訳を掲載します。なるべく原文に忠実に訳したつもりですが、分かりづらい部分は意訳が入っているため、もし誤りがあればご指摘下さい。 — ここから翻訳 <はじめに> ICML 2015で開かれた

    巨人たちが語るディープラーニングの未来(翻訳記事) - Preferred Networks Research & Development
  • 「人工知能に対する楽観的な妄想」はいつか来た道 - 渋谷駅前で働くデータサイエンティストのブログ

    こんな名文が話題になっていたようで。 非常に面白い文章で、特に以下の下りは痛快だなと感心しながら読んでました。 2006 年頃、「現在の人工知能研究の先には新興宗教にはまる計算機が出てくる」というネタを思いついたが、知人の反応が悪かったのでお蔵入りした。それから 10 年近くたったが状態に変化はない。人間を超える知能という楽観的な妄想がどこから来るのか不思議で仕方がない。 同じような光景を以前見たことがあるなぁと思い出したので、その時のことを回想しながら現在の「人工知能ブーム」ないし「人工知能に対する楽観的な妄想」についてちょっと思うところを書いてみました。 なお、僕自身は人工知能というか機械学習の専門家ではなくどちらかというとそれらのアルゴリズムのユーザーという立場なので、その立場から主に世論の動きについて論じてみましたという立ち位置です。 人工知能そしてsingularityという「夢

    「人工知能に対する楽観的な妄想」はいつか来た道 - 渋谷駅前で働くデータサイエンティストのブログ
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