食糧の帝国――食物が決定づけた文明の勃興と崩壊 (ヒストリカル・スタディーズ) 論点がよくわからなかった。 そう思ってしまったのは、緑の革命への言及というか評価が見られなかったせいもある。 個別の議論については興味深い。ただ、個別の部分で議論すると別の議論もできそうに思えて、そこももやもやとした印象を残した。
昨日、ツイッターで、「仏性」について少しつぶやいた。つぶやきながら、これは伝わらないだろうなという諦め感があった。 ごく簡単にいうと、仏教についてネットで語る人は、自分が仏教に詳しくて、人に説教なり指導したいという人が多い。こういうタイプの人にはほとんど何も通じない。 さらに、「仏性」というのが、こういうと誤解されやすいのだけど、ほとんどの仏教徒が誤解している。そこまで言う理由は、道元に拠っていて、まず道元の系統以外ではほとんど「仏性」は理解されていない。厳密にいうと、チベット仏教では理解されているので、その系統なら通じる面はある。 このように説明すると、道元という特定派の仏性理解にすぎず、各派にそれぞれ仏性の理解があってもよいという意見が出てくる。それも理解できる。これについても、道元は縷説しているので、それ以上に、ネットのような場では語りづらい。基本、各人が仏教だと信じるものを信じれば
金融政策のあり方が衆院選の焦点に浮上しています。それはメディアの「誤報」が発端でした。政権を選ぶ選挙で、あってはならない事態です。 金融政策に大きな注目が集まったのは、自民党の安倍晋三総裁が先月十七日、熊本市内の講演で語った次の発言がきっかけでした。「建設国債をできれば日銀に全部買ってもらうという買いオペをしてもらうことによって、新しいマネーが強制的に市場に出ていく」 この発言について、多くのメディアは「買いオペ」の部分を省いて「安倍総裁が建設国債の全額日銀引き受けを検討する考えを示した」といった調子で報じました。 ◆買いオペは普通の手段 一見、どこがどう違うのかと思われるかもしれません。ところが、実は大違いなのです。 買いオペとは、政府が発行した国債を日銀が金融市場で買う操作をいいます。日銀にとっては、市中に流通するお金の量を調節する重要な手段になっていて、毎月のように実施しています。
朝日・毎日vs読売・産経、がくっきりした日の社説。民主党なあ。 問題はこれなんだが⇒オピニオン:円高を許した日銀の重責と政府の使命=ジョルゲンソン教授 | 外国為替 | 外国為替フォーラム | Reuters 率直に言って、日銀はこのことに対して重大な責任を負っている。金融危機からほどなくして、米連邦準備理事会(FRB)に追随し、実質ゼロ金利政策を復活させたものの、資産購入を増やし量的金融緩和の観点でバランスシートを拡大し始めたのはようやく最近になってからだ。FRB、欧州中央銀行(ECB)、イングランド銀行(英中央銀行)は、2008―09年の金融危機の最中にバランスシート拡大の方向に大胆に舵を切っている。しかし、日銀は主要中銀の中では唯一、そうした動きに同調しなかった。その結果が、円レートの急上昇である。 日銀はその後遅ればせながら量的緩和に踏み出し、今年2月には消費者物価の前年比上昇率1
まあ、産経だしなあ。沖縄県民をきちんと日本国の理念に統合することのほうがはるかに対中抑止になるのだが、そういうことはわからないだろう。
中国という国は、こうした事態になったとき、何もしないで我慢することはありません。つまり、なんらかの明示的な軍事行動に出ます。 そしてその軍事行動の目的は実際のところ尖閣諸島ではない。もっとひどいことにもなりかねないが、中国という国はこういうときに軍事行動を抑えることができない国。 なので、裏から、というわけなんだと朝日新聞にも話は行っているということでこの社説を味わうとよろしいかと。 ああ、しょうもないなあ。 日本人は実際のところ中国を甘く見ているけど、そういうことないんですよ。 事態が具体的に動いたとき、日本が沸騰しちゃうんだろうな。 補足 ちょっと誤解を招きやすい書き方になってしまったので補足。 基本は、中国はメンツが潰されるとやってけない、ということで、中国の国家の建前では尖閣諸島は中国領土なので、それを防衛する軍部が、中国国民からメンツ丸つぶれのままでいることはないということ。 な
I am at home. Fear is the stranger here. Acimをどう捉えるかは人によると思うが、私は最近では、これは信仰や信念というよりも、「死」というものに一つの受容のありかたなのではないかと思う。人の意識=存在というのは不思議なもので、それはハイデガーが言うように死に先駆され、そこに規定されている。が、そうでもないかもしれないというのが復活のメッセージであり、復活というのはその内実は、赦しであり、赦しというのは「死」の一つのありかたなのではないか。憎しみをすべて人はいずれ捨ててこの世界を去る。人は日常的には自分が死んでもこの世界がある、存在すると思っているが、その認識の主体である自我も記憶もなくなってなお、この世界があるとしてもナンセンスに過ぎない。「私の死」にあっては世界は存在しない。そして終わりといえば終わりだが、そのとき、私が抱えてきた私を苦しめるもの
外信につよい毎日だけのことはあるな。よく書けている。 BMWとアウディに乗った犯人グループは大使公用車を尾行し、1台が幅寄せして停車させたという。インターネットで流れる反日宣伝に浮かされて街頭でデモをする普通の若者たちの仕業ではない。高級外車は、中国では軍や党の高官やその子女、あるいは「黒社会」と呼ばれる反社会組織の幹部が乗ると思われている車だ。背後関係がありそうだ。 大使館員が犯人の顔写真、犯行車両のナンバーを撮影して、公安当局に提出したという。北京市は防犯カメラが網の目のように設置され、テレビカメラを使ったナンバー読み取り追跡装置も発達している。犯人割り出しは難しいことではなかろう。 つまり読み出しが前提の犯行。 首都の大通りで、白昼堂々自動車強盗まがいの事件が起きたのは、中国の警備体制が緩んでいるからだろうか。そうではあるまい。秋の共産党大会を控えて、社会的な混乱は未然に防ぎたいとい
活動家らは、普段から過激な民主化運動で知られる「筋金入り」の人たちだ。中国共産党の一党支配に抵抗もしている。中国政府と直接のつながりはないものの、親中派実業家の資金援助も受けている。 香港政府はこれまで、船の不正改造などを理由に出航を阻んできたが、今回は止めなかった。上部の中国政府の意向を受けた、との見方がある。 ただ、合流を目指した中国本土のグループは船が手配できなかった。香港の活動家は中国政府が阻止したと受け止める。 中国政府は、本土の動きは抑えて日中関係の過度な悪化を防ぎつつ、香港での動きを黙認することで、一定のガス抜きを図った可能性がある。 朝日新聞にしてはよく書けている。これに先日の香港との関係が指摘できれば朝日新聞としては80点くらいかな。 7月2日⇒CNN.co.jp : 香港返還から15年 市民が抗議デモ、中国への反発強める つまり、香港の反愛国主義的な傾向を御得意の反日で
日本が劣化したともいえるし韓国が劣化したとも言える。双方劣化したとはいえるが、これは韓国があきらかに日本を読み違えている。 従軍慰安婦問題については普通の日本人は自国民の慰安婦の歴史を忘れてしまってはいるものの、戦時下だからということで朝鮮人の慰安婦に対しては罪責感を持っている。可能な限り対処したいものだと大衆的にも思っているし、韓国人の暴挙にも見える対応もしかたないだろうと思っている。竹島問題については、日本人の大半は地図を見て、日本と韓国と等距離にあり、両国その間にさしたる諸島もないことからこれは中間だなと思っている。中間というのは、揉める理由が双方にあることだと思ってる。これを争えば喧嘩両成敗だと思っている。そして日本人はこういうとき、相手が騒いでも喧嘩両成敗に立ち入るのは下品なことだと思っている。で、どうなるか。ある程度揉めるのはしかたがないから、一定の礼節を守ろうとする。相手もそ
混合診療解禁、株式会社の病院経営などを要求され、日本の医療制度が崩壊するという論もある。だが、公的医療制度が通商交渉のテーマになった例はなくTPPだけ違う交渉になることは考えられない。 TPPでは投資家が投資先の政策で被害を受けた場合、その国を訴えることができるという制度(ISDS)が議論される。それを「治外法権」などと攻撃する声がある。 だが、今後、日本企業はどんどん途上国への展開を加速する。してみれば、外資系企業に対し差別的扱いがあった場合、企業側に対抗手段があることは、全体として日本にメリットが多いと考えるべきだろう。 また、遺伝子組み換え食品について米国で安全と認定された食品は、食品表示に遺伝子組み換え食品であることを表示する必要はない、というのが米国の態度だ。これを押しつけられるのではないかという懸念があるが、豪州もニュージーランドも米国に反対であり、米国の主張が通ることは考えら
ブータン国王の婚礼で話題の中心は王妃となるジェツン・ペマさん(21)だろう。たいそうな美人である。王様もイケメンではあるが。▼ブータンで私の世代が思うのは切手である。変わり種の切手が多かった。外貨収入のためもあって奇抜なデザインとしたのだろう。貧しい国だった。今でもそうだと言えるのだろうが、物質的な豊かさではなく、心の充実「国民総幸福量(GNH)」を国政の指針としているということで、日本でも支持者が多い。日本の着物に似た民族衣装を守っていることも懐古的な感傷になるのだろう。▼ブータンでは今回の王妃も民間から採ったように民主化が進んでいる。が、最近ではどうか知らないが、ブータン国民は民族衣装着用を義務づける法律があった。「伝統的な価値と礼儀作法を守る運動」もあった。ナショナリズムである。当然、排外主義でもある。かつては人口の三割にも達したネパール人を追い出す政策でもあった。▼ブータン王国に隣
どう生きたらいいかを考えさせる本などといった話題は書くものではないと思っていたが、ちょっとした機会でもあるので簡単に書いてみたい。 人生とは何かということをもっとも究極的な形で描きだしているのは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」(参照)だろうと思う。が、これは万人向けではない。皆目わからない人もいる。お薦めはしづらい。 日本人として生きていて、人生で突き当たる本質的な問題を実験的な形で描いていったのは夏目漱石の小説である。極点は「明暗」(参照)だろうが、できれば、その他の小説から読み進めたほうがよい。おそらく日本近代の知識人が抱える本質的な問題が、人によってはということはあるだろうが、自分のことのように問われている。 このブログを書き始めてからはなぜか言及してこなかったが、ドストエフスキーやら漱石といった、いかにも文学というものでなければ、山本周五郎の小説を薦めたい。人情と人生とい
ロケスタ社長さんが結婚したというツイートがヘッドラインに上がっていた。私はこの人を知らないが、ブログを長くやっているのでなんとなく見かけているという印象があり、ブログのエントリも読んだ。おめでとう。▼「誰のために世界をよくしたいのか、というときに、それをわからせてくれたのが彼女でした」と、感動的に聞こえるが、その言葉が意味するものは私などにはわからない。私にわかるのは、それが私には理解できないことと、原理的に理解しづらい面があること。後者はいろいろ考えてきた。▼「世界」というのは共同幻想の領域にあり、「彼女(恋人・愛人・妻)」というのは対幻想の領域にある。この幻想は交わらない。交わらないがゆえに、人は後者を基点に生きていける。人は後者を基点に生きていくのが原型と言ってよい。▼世界にどう向き合うかということは、恋人に向き合うことの残余から出てくる。世界というのはそういう派生の形で捉えるときに
FRBは6000億ドル(約48兆円)もの米国債を買い入れ、市場への資金供給を増やした。景気下支えを狙うとともに、デフレ懸念を封じ込める苦肉の策だった。 その結果、長期金利が低下して、企業の設備投資の呼び水になった。米株式相場の上昇に伴い、個人消費も持ち直してきた。デフレ懸念も後退している。 とりあえずこのくらい理解できたなら、なぜ日銀にQEを求めないのか不可解。
簡単な原則にまとめておきますかね。 基本は4群点数法、だけど、マジにとりくむと難しいので、簡便法を説明しますが、いちおうまず基本はこれ。 ⇒4群点数法 : 香川綾 - Wikipedia 1. 食品を次の4つの群に分類する。 第1群: 乳・乳製品、卵 第2群: 魚介類、肉類、大豆・大豆製品 第3群: 野菜、芋類、果物 第4群: 穀物、砂糖、油脂 2. 食材毎に80kcal=1点の「点数」が公表されている。 3. 一日の食事で摂取した食材の点数の合計が20点になるように食事を整える。(性別や職業などによって点数は増減する。) 4. 第1群、第2群、第3群からそれぞれ3点以上を採るようにし、残りを第4群の点数で摂取するようにする。 点数計算なんかふつうはできない。 ので、「第1群、第2群、第3群からそれぞれ3点以上を採る」を原則にして、第4群でカロリー調整をする(この群はGIにも注意)。 とい
⇒東奔政走:鳩山政権は緩やかな崩落過程に 統治能力が疑われる普天間問題 - 毎日jp(毎日新聞) 首相の執務室には、毎日のように寺島実郎・日本総合研究所会長からファクスが届くそうだ。首相官邸では「寺島メモ」と呼ばれている。寺島氏は、首相と同じ1947年生まれで、かつ首相の選挙区のある北海道出身。リベラルの立場から「対等な日米同盟」を唱えてきた。このメモを仲介しているのは寺島氏の紹介で住友銀行(現三井住友銀行)のシカゴ支店長代理から民主党職員に転身した須川清司氏。外交が専門の須川氏は現在、内閣官房専門調査員として官邸で勤務している。 外務省や防衛省は「寺島−須川ライン」が首相の外交判断に大きな影響を及ぼしていると見ている。官僚機構が「日米関係が危ない」とどんなにアラームを発しても、聞く耳を持とうとせず、懸案を先送りするのが「政治主導」の実態である。 メモ。
⇒「暴力装置」の起源と系譜 - 名無しさんの弁明 おつかれ様でした。 異論はないですよ。実は、ヴェーバーは「暴力の独占」は述べたけど、「暴力装置」という用語はこの文脈では使っていなかった。だから、「暴力装置」は厳密にはヴェーバーに由来する用語ではないです。 ただ、社会学の慣例としてヴェーバーの「暴力の独占」が「暴力装置」と理解されてきたので、では、そういうことで整合的に説明しましょうかということでした。 そして整合的に説明するとたぶん私の解になると思う。少なからぬ人が罵声を投げかけてきたけど、理詰めで考えてごらん、そうなるから。 とはいえ。 「暴力の独占」を前提に「暴力装置」をきちんと理解すると、暴力装置とは国家である、ただそれだけ、という帰結しかない、ということ。 ただどこかに、ヴェーバーの「暴力の独占」と、流布されている「暴力装置」を繋ぐリンクがあるはずで、調べていたけど、よくわからな
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く