あるまちの要保護児童地域対策協議会に出ました。 新規のケースが両手ほど出ました。 衝撃的だったのは母親のほとんどが病理を抱えていたという こと。 それもかなり深刻な。 統合失調や解離性障害などの診断名です。 母親の病理はここまで進んでいるのか? こうなってくると虐待対応というよりは精神保健対策の充実や 支援資源の創造の方が重要なのではと思ってしまいました。 その切り口でソーシャルワークをしていった方がこどもの環境 へのアプローチになる。 まあ、一方で病気を抱えた方が子育てをするチャレンジの困難 感と捉えた方がいいのかもしれません。 そんなに育児の課題として大きくしない方がいいのかも。 でもでも、いずれにせよ、厳しい事実です。 子育てを支えていくこと、こどもの育ちを支えていくことの根幹は ひとりひとりの生を支えていくことになるのでしょうか? ランキングに参加しています。よかったらクリックを
前回の記事がけっこうたくさん読まれているようで驚いてい ます。 まだまだ「甘やかすな。」の世界で、支援や関わりってあるん だろうなあということでしょうか。 でも、きっと、それじゃよくないなと皆さんが思っているのでし ょうねえ。 昨今の大阪維新の会のいろいろを見聞してちょっと思ったの は「愛情不足!」っていうのは「甘やかすな!」と論調が似てい るということ。 「愛情不足!」っていうヒトに愛情や情感を感じることが少ない のは私だけでしょうか。 なんだろう。 なんとなくですが、許容度のせまさを感じるからでしょうか。 こどものトラブルの原因を全部、愛情不足で処理しようとしてい る狭量さを感じる気がします。 それは事実でもないし、フェアでもない。 リカバリーへフォローの視点もない。 愛情がもてないヒトもいる。 愛情を確保できない状況もある。 そうなるとダメなのか。 前回の記事にもちょっと書いたのです
前の記事とつながっています。 発達障害系のこどもの支援を巡って「甘やかすな!」という 方向に支援がゆがんでいくことがあります。 端的にいうと、特性が理解されにくいということにつきます。 ある一定の知的なやりとりや理解が示されたり、ある場面での 参加や達成がある一方で、対人的なトラブルがあったり、マイ ペースであったりすることは「わかっているのに…故意に問題 を起こしている」=悪意に捉えられがちです。 実は本当にわからない、できないというのは多くの実践の積み 重ねやケースとの出会い、試行錯誤や学びによって支援するヒ トの思考の枠組みがかわった時に理解されることが多いように 思います。 こどもに悪意がないなんてことばかりでもないと思います。 けれども、「悪意」とみえるものの構造をみた時に、そこには 未熟や理解の不足、受容や肯定の不足がみえるはずです。 「悪意」をひっくり返すのは拒否や叱責でなく
タイトルに迷ったのですがまた残念なお話です。 保育現場のスタッフとの会議です。 ある管理職の発言です。 加配職員を要求する理由についてこうおっしゃいました。 「障害のある子をどう育てるかよりも飛びだして行って しまったり危険で命の問題があるから現場としてはお願 いします。」 というのです。 それまでの会議ではまったく発言することがなかった このヒトの初めてのことばがこれでした。 こんなに残念な言葉をきいたのは久しぶりで、こんな 残念なヒトにあったのも久しぶりでこの地域は…と思って いましたがあ~あ~やっぱりと脱力してしまいました。 安全管理が必要な場面はあります。 そのことは否定しません。 でも、そのことは子育て現場の目的にはならないのです。 目的にしてはいけないのです。 その子の発達保障よりも見守りとは情けない。 こどもの育ちを支え、場への参加やヒトへつなげていくこ とで危険を回避するこ
ある会合でこどものタイプによって現場の直面する課題 は違うという話になりました。 ①境界知能のこどもの進路 生活力はあるけれど、認知・学習面での課題を抱えてい るこどもの進路は難しいといいます。 特別支援学校高等部ではミスマッチ、高校は間口は広げ てくれていない訳ではないけれどフォローがまったく不十分。 ちょっと何かあると停学退学になってしまう… ②高機能で過敏性の高いこどもの参加 これは私も感じていて以前も書いたかもしれませんが、安 定した参加が難しいおこさんが少なくないのです。 参加に対する願いもあり、部分的にできていたりするのです がとてももろくパニックや暴力につながりやすい。 日中頑張りすぎるのだから家庭での状態像が良くなかったり もします。状況によってはソーシャルワークも必要になること もあります。 ③LD傾向の強いこどもの個別支援時の目標設定 そこぬけに不器用だとか認知のゆがみ
巡回相談の記事にちょっと書いた現場の声を深めます。 ある先生がクラスつくりと絡めて、仰ったことを載せました。 「特別支援教育の先生は個への対応はヒントをくれるけ ど関連するクラスのこどもたちの反応へのヒントはくれな い。」 まあ、これはほんとにそうで、支援の方向が個への支援か らやっぱりその個を含んでみんなにとっていいという所の授 業のわかりやすさとクラス作りに発展、回帰していく現状に あって我々の助言もそういうものになっていかねばなりません。 ただ、私は違いますが、巡回相談員の大部分は自分の現 場を持っていないことが多く、相談のリアリティや有用性を どう作り出していくかは深いまなびが必要です。 そして、一方、思うのは… 「クラス作りと授業作りの助言はそもそも巡回相談員に 受けられるものなのか?」 ということなのです。 巡回相談は専門家による専門家の支援(コンサルテーション) ですが、クラ
ある就学、学籍をめぐる会議でのことです。 中学生のケースのことで議論になりました。 過敏で融通がきかないアスペルガータイプのおこさん。 学習面ではほぼ満点を取っているが、参加ができなく なってきていて不登校状態を呈している。 就学指導で学校は特別支援学級が適切ではないかと いう判断をしたそうです。 この判断はどうか?ということです。 勉強できるからこそ学力、学習の保障はどうするのか?と いう思いが首をもたげます。特別支援学級でそれができる のかと。 でも、私は思いました。これでいいのではないかと。 というのも彼が苦しんでいるのは参加の問題であり、それは 学校にこれなくなる程の困難です。 いくら勉強できるからと行って通常の学級に在籍することは 同調圧力が強まり苦しくなる。 ここは小集団で理解ある先生のもとで関係を基盤に学校に 来ることから参加をやり直す。 特別支援学級だから学習の保障ができな
学齢期の支援を巡って難しいのは「宿題」のこと。 日中の学校生活でけっこう配慮してくれる先生も宿題はみ んなと同じという場合が多いのです。 ・家庭で学習の補いをしてほしい。 ・家族に今の学習の内容を知らせたい。 そんな意図や思いが語られることが多いのですが… 家族とこどもにとって「宿題」をこなすことはかなり厳しい作 業だと思うのです。 まず、こどもにとっては ・学習が難しいヒトは家でも難しい。 ・昼間頑張ってきて、家でも頑張ることは難しい。 ・みんなと同じ量、質は難しい。 そして、家族は ・家での補いや先取りがこどものためと思うが、かなり 厚い個別支援が必要。 ・家族には宿題をみる以外にまわすべき生活がある。 ・なかなか積み上がってはいかない姿にイライラがつ のり、悪影響が多い。 よく考えてみれば、宿題を出されているのは家族なのです。 学校としてみればこどもを知る場面や向き合う場面をつく っ
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