日馬富士暴行事件を巡って22日、日本相撲協会役員室に呼び出され、弟子の貴ノ岩への聴取協力を要請されたにも関わらず、「お断りします」ときっぱり拒否した貴乃花親方(元横綱)。 続きを読む
大相撲の横綱 日馬富士が平幕の貴ノ岩に暴行した問題で日本相撲協会は、貴ノ岩の師匠の貴乃花親方に調査への協力を要請しましたが、貴乃花親方は協力を断ったということです。このまま貴乃花親方の協力を得られなければ実態の解明は大幅に遅れることが懸念されます。 日本相撲協会は外部理事や弁護士などで作る危機管理委員会が日馬富士の聞き取りを行うなど独自の調査を行っていますが、暴行を受けた貴ノ岩についてはいまだ本人と接触が出来ず聞き取り調査が出来ていません。 このため相撲協会の八角理事長は22日午後、貴ノ岩の師匠の貴乃花親方を呼んで危機管理委員会の調査に協力するよう直接、要請しました。 相撲協会によりますとこれに対して貴乃花親方は「お断りします」と述べ貴ノ岩の聞き取りを断ったということです。貴乃花親方は報道陣の問いかけには何も答えず会場をあとにしました。 危機管理委員会は今月19日に日馬富士の聞き取りを終え
大相撲の横綱日馬富士(33)が幕内貴ノ岩(27)に暴行した問題で、日本相撲協会は17日、貴ノ岩側から提出された診断書の内容について、髄液の漏れはなく、頭部骨折も確認できず、「疑い」だったことを公表した。傷害容疑で捜査を進める鳥取県警は同日、東京・国技館で日馬富士から任意で事情聴取。日馬富士は暴行について大筋で認めたという。 協会の外部理事を含む危機管理委員会(委員長=高野利雄・元名古屋高検検事長)がこの日、診断書を作成した福岡市内の病院で担当医から説明を受けた。 診断書には「#1脳振盪(しんとう) #2左前頭部裂傷 #3右外耳道炎 #4右中頭蓋(ずがい)底骨折、髄液漏の疑い」と記されている。担当医は「#4」の骨折と髄液漏はどちらも「疑い」であり、実際には起きていないと説明。「重傷であるように報道されていることに驚いている」と話した上で、誤解を招く表現だったことについては謝罪したという。 さ
日馬富士の暴行が問題になった酒席は秋巡業中の10月下旬、鳥取県内で開かれた。同席者や関係者の話を総合すると暴行時の様子が浮かび上がってきた。 席には日馬富士のほか白鵬、鶴竜のモンゴル出身3横綱や鳥取城北高相撲部出身の関脇照ノ富士、平幕貴ノ岩に加え、日本人力士や関係者ら10人前後が参加し、1次会から酒のピッチが上がり、盛り上がっていた。だが2次会へ移ると雰囲気が一変した。 貴ノ岩は日馬富士から兄弟子に対するあいさつが足りないなどと生活態度を注意されていた。その時、着物の帯に差していた貴ノ岩関のスマートフォンが鳴り、操作しようとした瞬間に全てが始まった。 日馬富士がテーブルにあるビール瓶で、近くに座っていた貴ノ岩の頭部を思い切り殴打。「人が話をしている時に…」と激怒し、流血して倒れた相手にのし掛かるようにしながら素手で激しく殴打を繰り返した。 同席者は「周りが気付かないほどの速さで『ゴーン!』
大相撲の東横綱日馬富士(33)=モンゴル出身、伊勢ケ浜部屋=が九州場所前の秋巡業中、同じモンゴル人力士の東前頭8枚目の貴ノ岩(27)=貴乃花部屋=に対して暴行を加えていたことが14日、分かった。日馬富士はこの日朝のけいこ後に謝罪、休場を決めた。「貴乃花親方、貴乃花部屋の後援会の皆様、相撲協会、私の部屋の親方に大変迷惑をかけたことを深くおわび申し上げます」と頭を下げた。 関係者によると、日馬富士は10月26日に鳥取市で開催された巡業のあと、力士同士の会合で酒に酔い、暴行に及んだ。貴ノ岩は巡業後、11月5日から9日まで福岡市内の病院に入院したという。九州場所は12日の初日から休場している。日本相撲協会からは2日目の13日に「脳振盪(しんとう)、左前頭部裂傷、右外耳道炎、右中頭蓋(ずがい)底骨折、髄液漏の疑いで全治2週間」の診断書が公表されていた。 診断書では、状態が安定すれば九州場所で復帰でき
結びの一番が意外な展開となった。横綱日馬富士(33=伊勢ケ浜)が西前頭筆頭の琴奨菊(33=佐渡ケ嶽)と対戦。日馬富士がやや早めに立ち合ったが、低い当たりの琴奨菊に中に入られると右手で相手の体をタップして「待った」の合図。しかし、立行司の式守伊之助も審判も止めることなく、棒立ちになった日馬富士があっけなく土俵を割った。日馬富士は土俵の外に出た後も右手を挙げて「待った」をアピールしたが、勝負判定は変わらなかった。不完全燃焼の相撲内容に場内は騒然とした。 山科審判長(元小結大錦)は「(日馬富士は)自分で突っかけてるからね。言葉は悪いけど、(琴奨菊に)入られたから待ったをしてみたという感じ。『(行司が)残った、残った』って言ってるんだから、力を出さないとだめ」と、立ち合いが成立していたことを説明した。 日馬富士は今場所初黒星。琴奨菊は初金星を挙げ、3連勝とした。
通算勝利数2位魁皇、同3位の千代の富士と比べても、白鵬の勝率の高さは歴然としている(本稿での勝率は休場も含めた数値) 【スポーツナビ】 数々の記録を打ち立ててきた白鵬に21日、新たな金字塔が加わった。大相撲7月場所で2人の偉大な先人たちを抜き去り、通算勝ち星1048勝で史上単独トップに立った。白鵬は現在、32歳と4カ月。魁皇が1047勝に到達したのが38歳11カ月、千代の富士の1045勝は35歳11カ月のときだった。 驚異的なペースでの記録更新はおのずとハイアベレージの勝率となり、昭和の大横綱大鵬の73.3%を数ポイントも上回る79%。通算勝ち星で頂点に立った白鵬は「気持ちいいです。いい相撲だったし、力のある攻防で喜びが昨日より倍増したかな」と、過去誰も味わったことのない喜びに浸っていた。 ■白鵬と主な歴代力士の通算成績 1位:白鵬 1048勝219敗58休 勝率79.0% 2位:魁皇 1
ある日、twitterで稀勢の里厚焼き卵をみた。どうやら稀勢の里の母校で稀勢の里の好物を集めた稀勢の里給食なるものが実施されているという。稀勢の里卵は稀勢の里メニューの一つで、細長い卵焼きに「稀勢の里関」という文字が整然と刻印されている。「稀勢の里関」の文字が刻印された卵が整然と並ぶ様子に言いようのない気持ち悪さを感じた。食べ物に不自然な加工をされているからかもしれない。マーブルチョコレートすら不自然な色が嫌で口にしないからかもしれない。 稀勢の里給食はほかにものっぺい汁、ポテトサラダ、イワシの角煮であった。イワシの角煮は銀色の袋に入っており、そこから黒っぽいキューブが出るさまは一瞬ディストピア小説を連想させた。実際食べたらおいしいのかもしれないが……。稀勢の里は休んだ子の分も食べるほど好きだったらしい。そう子供たちと共に給食を囲んでいた稀勢の里の母は仰っていた。 子どもたちは「今ケガして
取材・文 武田葉月(ノンフィクションライター) 新横綱の逆転Vに沸いた春場所。その千秋楽の相手が照ノ富士だった。日本中を敵に回しての孤独な戦いの最中、彼は何を考えていたのか。魂の咆哮! 5月14日、東京・両国国技館で初日を迎えた大相撲夏場所。新横綱・稀勢の里の“奇跡の逆転優勝”で沸いた先の春場所に… 続きを読む
大阪場所はダイジェストで見ており、生中継での館内の様子はあまりきちんと見ているわけではないので、これはあくまで印象に過ぎないのだが、気になるので書いておく。 14日目、ご当地場所である兵庫県出身の実力者、妙義龍は、7敗ともう後がない。14枚目だから、負け越せば十両に陥落する可能性も出てくる。対戦相手は、このところ力をつけて来た千代翔馬。勝負はあっけなく決まった。立ち合いから千代翔馬に突き落とし気味のいなしを食らったら、自分からバランスを崩すようにして土俵に崩れ落ちた。傷めている膝が堪えられないのだろう。 異様だったのは、この時の館内だ。妙義龍の呆気ない敗戦と負け越し決定にがっかりし、ため息をつくのはわかる。だが、館内はシーンと静まり返ったまま、千代翔馬が勝ち名乗りを受けても拍手もないというのは、おかしくないか。 千代翔馬は普通に相撲を取っただけで、非難されるような卑怯な手を使ったわけ
1敗で単独トップに立っていた大関照ノ富士(25=伊勢ケ浜)が、左肩付近の負傷から強行出場した横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)に本割と優勝決定戦で連敗し、15年夏場所以来2度目の優勝を逃した。手負いの相手との一番にやりづらさを聞かれると「特になかった。自分の問題です」と言い訳はしなかった。 14日目の琴奨菊戦で変化で勝った影響からか、この日も観客からは厳しい声が浴びせられた。 「目に見えるつらさと目に見えないつらさがあるんだよね。それを表に出すか出さないかです」とたまっていた気持ちをはき出すように話した。
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日本相撲協会は31日、元小結時天空の間垣親方(本名・時天空慶晃=ときてんくう・よしあき)が同日午前1時12分に悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去したと発表した。37歳だった。 間垣親方は現役だった2016年1月に悪性リンパ腫の治療で入院していることを公表。15年7月ごろから右脇腹に痛みが発生し、同10月から抗がん剤治療に取り組んでいた。土俵への復帰を目指していたが、5場所連続全休の末、36歳だった16年8月に引退を発表し、年寄「間垣」を襲名した。 引退会見時には抗がん剤治療を終え、腫瘍が小さくなったことを明言。時津風部屋の部屋付き親方として「若い人を指導しながら、ともに成長したい」と今後について話していた。その後は親方の業務をこなしていたが、昨年11月の九州場所から休場し、治療に専念していた。 部屋の力士には30日夕方に病状の悪化が伝えられていた。遺体は31日午前3時ごろ、東京・墨田区
毎場所予想だにしない展開が訪れるから,大相撲はおもしろい。昨年に琴奨菊・豪栄道が優勝したという予兆はあったが,「あの稀勢の里が」という話である。以前から言われていたように,稀勢の里に足りなかったものは精神面の強さであった。とはいえ精神は簡単に鍛えられるものではなく,最後まで何ともならないことさえある。その精神面が整うまで,稀勢の里の場合は約15年かかったということなのだろう。間に合っただけよしと見るべきなのかもしれない。 稀勢の里の横綱昇進問題で世間が割れているが,甘めの条件でもう1場所見るべきというのを基本線として,そこまで忌避感があるわけでもないというのが私見である。「綱取り要件で1場所敢闘すること」が綱取り場所の試練ではあり,突発的に綱取り場所になるのはやはり奇妙である。とはいえ昨年の年間最多勝は考慮されるべきであり,2差ついたとはいえ優勝次点・12勝で3横綱撃破というのも大きかろう
稀勢の里の優勝、長い長い長い間の重圧を思うと、この安堵と喜びは、稀勢とともに落胆し続けてきたファンにしかわからないものもあると思う。入門時から横綱候補と言われてきたその才能と努力がようやく報われたことを心から祝福したい。稀勢の里関もファンの方もおめでとうございます。 しかし、それと横綱昇進とは別問題だ。私はただただ唖然としている。40年相撲を見てきて、こんな事態は初めてだ。 いくつもの問題が重なっているのだが、まず最も不可解なのが、どうして昇進できるのか、その基準が明確に示されていない点だろう。昨年の年間最多勝であること、安定した成績や優勝争いの多さ、優勝次点の多さなど、理由はいくつも挙げられているが、問題はそれらの成績は今まで横綱昇進の条件として顧みられたことはほとんどない、ということ。 横綱昇進の基準は、1987年の双羽黒の廃業以前と以降とで分けられる。双羽黒(北尾)の廃業以降は
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