欧米の日本史関係研究者の「日本の歴史家を支持する声明」がでた。新聞で大きく報道されている。 日本の一人の歴史家として感じるのは、まず、日本のマスコミはアメリカからのニュースを事大主義的に大事にするということである。馬鹿ではないか。 歴史家の仕事は過去を共有する(記憶が同じ)ということを目指すということである。未来を共有する、未来と希望を共有することによって人間は集まるというのはしばしば幻想であって、実際には過去を共有することによって、人間は同じ未来に入っていく。走馬燈のように人生の諸局面が目前にあらわれてくるというが、それは過去を俯瞰する形で人間の知識・意識・感情がスピードをもって自己点検のサイクルに入ることをいう。 宇宙の晴れ上がりというのはビッグバンのあとにくるというが、過去の晴れ上がりということがあるだろうというのが歴史家の確信である。晴れ上がった過去を眼前にして、未来へ進んでいく。
『中世の国土高権と天皇・武家』という本をだすことになり、はじめにとおわりにを書いた。 以下ははじめにである。 今日、編集者の人に会うのだが、何といわれるか、楽しみである。 はじめにーー本書の書名について 本書は、平安時代と鎌倉時代最初期の天皇・院と武家が、この列島の支配の根源においていた国家的権能、国土高権がどのようなものであったかを論じたものである。土地制度、山野河海領有、「地本・下地」などの土地範疇論から法史論、さらには政治史にいたるまで対象はさまざまであるが、すべて「国土高権」ということをテーマとしている。 前提にあるのは網野善彦・戸田芳実などの学説であるが、ともかく、国土高権の対象として、未開であったり、村落の間での争いがあったりする境界領域が重大な位置をもっており、その検討は当時の社会の歴史を考える上で必須の手続きである。平安時代の王朝国家にせよ、鎌倉時代の武臣国家にせよ、それが
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く