県民の4人に1人の命が失われた沖縄戦ののち、沖縄本島の中部に広大に米軍基地が建設されました。嘉手納基地です。 この嘉手納基地のゲート前に位置するコザ(現沖縄市)の街には、基地や兵士がもたらす繁栄を求めて南西諸島各地から人々が集まっていました。 戦後25年、日本復帰を1年5ヶ月後に控えた1970年12月20日未明、米兵が起こした交通事故をきっかけに駆けつけた群衆が米軍関係の車両を焼き討ちしたコザ騒動が起きました。四半世紀に及んだアメリカ統治への不満や怒りの爆発だったのでしょうか。 50年の時を経てコザ騒動を体験した人々の証言で振り返ります。琉球新報社との共同取材です。 基地の街を包んだ怒りの炎 「コザ騒動」 1970年12月20日未明。沖縄県コザ市(現沖縄市)で、5千人もの群衆が米軍関係者の車を次々と焼き払う事件が起こった。 「コザ騒動」として語り継がれる一夜限りの出来事。 怒りの炎に照らさ