メディアプロデューサーであり、登校拒否、ホームスクーラーの先駆け的存在だった羽仁未央さんが亡くなられた(享年50歳)。羽仁さんは、本紙「不登校新聞」創刊1周年記念号に登場するなど、本紙との関係が深かった。ご冥福をお祈りします。 ――羽仁さんは、不登校の大先輩とも言えますが、いつごろから? 学校を辞めたのは小学校四年生、九歳のときでした。その前はパリにいたのですが、そのころから学校には行きたくなかったんですね。 小学校二年生で日本にもどってきて、一年ちょっとで学校に行かなくなりました。学校にとくにイヤな思いがあるわけじゃないんですが、とにかく毎日同じ所に行くということがイヤだったんですね。 でも、それがなかなか、うまく説明ができなくて、病気になればと、水ぼうそうにかかった友だちの家に行き、むりやり水ぼうそうにかかったりもしました。 ――お父さんは味方だったんですよね。 最初は、父も理解できな