2020年東京オリンピックのエンブレムについて、大会の組織委員会は、佐野研二郎氏のデザインしたエンブレムの使用を中止する方針を固めました。 大会のエンブレムを巡っては、ベルギーのグラフィックデザイナーが制作した劇場のロゴと似ているとして使用の差し止めを求める裁判が起こされているほか、佐野氏が組織委員会に提出した空港や街中での展開例の画像がインターネット上から無断で転用されているのではないかという指摘が出ていました。
完成すれば日本で最も高い高さ390メートルの超高層ビルが、12年後の完成を目指してJR東京駅の近くに建設されることになりました。開発を手がける不動産会社は海外から金融機関などを誘致し国際的な金融拠点にしたいとしています。 それによりますとJR東京駅の八重洲口の北側にある3.1ヘクタールの敷地を再開発して、新たに3棟のビルを建設します。 このうち最も高いビルは地上61階、地下5階で高さ390メートルと、大阪市にある「あべのハルカス」の300メートルを大きく上回って、日本で最も高いビルになります。 ビルにはこの周辺で最大規模の商業施設やオフィスが入るほか、敷地には大規模なイベントを開催できる7000平方メートルの広場も整備する計画です。 今回、再開発される区域の周辺には、日本銀行を始め国内の主要な金融機関の本社機能が集積していますが、三菱地所ではさらに海外から金融機関などを誘致し国際的な金融拠
警察に入った連絡によりますと、31日午前3時前、愛知県岡崎市のコンビニエンスストア「セブンイレブン岡崎上和田店」に包丁のような刃物を持った男が押し入り、店内の事務所に立てこもっているということです。 事務所にはほかに男性店員1人がいるということですが、けがをしているかなど、詳しい状況は分かっていません。 男は30歳くらい、身長は1メートル70センチから1メートル80センチ、口元にタオルを巻いているということです。 警察は男に対し、店から出てくるよう説得を試みているということです。
ほかの作品のデザインによく似ているとインターネット上などで指摘されていた東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムの制作者でアートディレクターの佐野研二郎さんが手がけた大手ビールメーカーのデザインについて、佐野さんの事務所は、共同で制作していたデザイナーが第三者のデザインをそのまま使っていたことを明らかにしました。これについて佐野さんは、ホームページ上で「決してあってはならないことで責任を痛感している」と陳謝しています。 これについて佐野さんは14日夜、事務所のホームページを通じて、共同で制作していたデザイナーが第三者のデザインをそのまま使っていたことや、佐野さんはこれについて報告を受けておらず今回初めて知ったなどとする調査結果を明らかにしました。 そのうえで、「法的問題以前に第三者のものと思われるデザインをそのまま使用すること自体が決してあってはならない。私自身のプロとしての甘さ、そし
戦後70年の終戦記念日にあたって、日本共産党は、日本軍国主義の引き起こした侵略戦争と植民地支配の犠牲となった内外の人びとに、深い哀悼の意を表明します。 いま、日本の政治は、戦争か平和かの歴史的岐路に立っています。戦争の惨禍と反省を踏まえて日本国民が得た世界に誇る宝――憲法9条を守り抜き、この条項を生かした平和日本を築くために、思想・信条の違い、政治的立場の違いを超えて、平和を願うすべての国民が力をあわせることを、心から呼びかけるものです。 本日、発表された「安倍談話」は、「侵略」「植民地支配」「反省」「お詫(わ)び」などの文言がちりばめられていますが、日本が「国策を誤り」、「植民地支配と侵略」を行ったという「村山談話」に示された歴史認識はまったく語られず、「反省」と「お詫び」も過去の歴代政権が表明したという事実に言及しただけで、首相自らの言葉としては語らないという欺瞞(ぎまん)に満ちたもの
戦後70年の安倍首相談話の全文は以下のとおり。 ◇ 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強
先日のブログでこれについて永江論を展開したのですが、同じような見解が意外と多いのに驚きました。 永江論は以下 そもそも集団的自衛権は、私も本当に必要なら憲法改正した上でやるべきだと思う。それをしなかったからもめた。しかし以下のようなかたちで中国を牽制するために急ぐ必要があったのではないかと。憲法改正に失敗したら一気に中国が侵攻拡大してくると考えてそのリスクを採らなかった。 安倍さんがキチガイで戦争に突き進みたいとかいう方たちに言いたいのだが、世の中にそんな人いないって。そんなの考えてるの過激派だけだって。内戦で革命起こしたいわけだから・・。 いま、南沙諸島での埋め立てとか空港建設など中国の侵略が日常的に急ピッチで進んでいて、アメリカや、日本やオーストラリアに東南アジア各国から助けを求められてます。日本も中古の巡視艇を供与したりはしてますが・・。 中国は自国の領土を主張してる範囲見てよ。これ
1961年以来、国交を断絶していたアメリカとキューバが20日、54年ぶりに国交を回復し、双方の大使館が再開します。 ワシントンでは20日午前、大使館の再開を記念するセレモニーが行われ、キューバ国旗の掲揚が行われる予定になっているほか、午後には国務省でケリー国務長官とキューバのロドリゲス外相が共同会見を開き、両国の国交が回復したことを世界にアピールすることになっています。 アメリカとキューバは国交の回復を受けて、今後、経済制裁の解除など関係正常化に向けた協議を加速させたい考えです。ただ、アメリカでは野党・共和党の一部の議員から、オバマ政権がキューバに妥協しすぎだという批判の声も上がっており、共和党が多数を占める議会での経済制裁の解除を巡る議論は曲折も予想されます。
電車内でぐずる子どもとその対応について困った人、困らされた人、それぞれいることでしょう。しかし小さな子どもを電車に乗せることには、教育的効果もあるそうです。そうしたとき、親はどうすれば良いのでしょうか。教育学博士の弘田陽介先生に話を聞きました。 なぜ子どもは電車でぐずるのか 電車に乗ったら子どもがぐずってしまい、困った経験のある人は少なくないでしょう。またそうなること、そうなったときの周囲の目が気になって、電車利用が不安な人もいると思われます。 しかし、そうなるのが「面倒だから」「大変だから」と、それを避けることも決して良くはないようです。親はどのように子どもと電車、社会と付き合っていけばよいのでしょうか。教育学博士で、大阪総合保育大学大学院の児童保育研究科専任講師、弘田陽介先生に話を聞きました。 -------------------- 小さいお子さんがおられる方のなかには、電車での移動
関東甲信は午前中から広い範囲で晴れて気象庁は午前11時に「関東甲信が梅雨明けしたとみられる」と発表しました。関東甲信の梅雨明けは平年や去年と比べて2日早くなっています。
107人が死亡したJR福知山線の脱線事故から25日で10年になります。兵庫県尼崎市の現場近くでは事故が起きた時間に合わせて追悼慰霊式が行われるなど、事故の記憶を語り継ぎ、安全の大切さを改めて考える一日になります。 事故から10年になる25日は現場近くのホールで追悼慰霊式が行われる予定で、事故が起きた午前9時18分に全員で黙とうをしたあと、JR西日本の真鍋精志社長がおわびと追悼のことばを述べることになっています。 事故を巡っては、検察審査会の議決によって業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴されたJR西日本の歴代の社長3人に対して、大阪高等裁判所は先月、1審に続いて無罪を言い渡し、検察官役の指定弁護士が上告しています。 電車が衝突した9階建てのマンションについて、JR西日本は4階までを保存する計画を決め、今年度中に着工して3年程度かけて整備する予定です。 25日は遺族らによる集会も各地で予定され
107人が死亡したJR福知山線の脱線事故から25日で10年となるのを前に、兵庫県尼崎市の現場では、遺族などがろうそくに明かりをともして亡くなった人たちを悼みました。 訪れた人たちは「決して忘れない」「安らかにお眠りください」などのメッセージを書き添えたろうそくを手向けて静かに手を合わせ、事故で亡くなった人たちを悼んでいました。 事故で親族を亡くした大阪・八尾市の上田誠さんは「およそ150人が訪れ、静かに追悼することができてよかった。10年は決して節目ではなく、きょう集まった人の輪を広げて来年以降も追悼を続けていきたい」と話していました。
事故当時は大阪芸術大学の3年生で、当日は、2時間目からの授業に出るために西宮市の実家を出ました。すごく天気が良くて山がとても綺麗だったので、「携帯で写真でも撮ろう」と携帯を取り出そうとしたら......ない。携帯忘れちゃったんですね。でも授業に遅れてしまうので、取りに帰らずに駅に向かいました。 JR西宮名塩駅に着いたら、目の前で快速電車が行ってしまって。「ああ、しまった」と思いながら次の電車を待っていたら、突然後頭部を叩かれて、びっくりして振り返ったら高校時代の友人でした。途中まで一緒に乗っていこうかという話になり、次に来た普通電車に乗車しました。 そのまま普通電車で大阪まで向かっても良かったのですが、授業に遅れることが気にかかり、川西池田駅で快速電車(事故車両)に乗り換えました。2両目が混んでいたので、1両目に乗ったことを覚えています。当時はホームの端に喫煙場所があって、そこでおじさんた
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