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ブックマーク / tm2501.com (5)

  • L型大学とは大学の存在意義をわかってない人が抱く妄想である! - 言いたくないけど、僕が青二才です

    「冨山和彦」という人がしたトンチンカンな提案が話題になってる。 中身は【大学を「グローバル(global)で通じる人材を育てる」G型と、「ローカル(国内)で仕事に就くための教育を行う職業訓練校」L型に分けて、徹底的に特化させよう】という提案で文科省の会議で出たそうだ。 https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/10/23/1352719_4.pdf 何が問題かというと、L型大学で教えることが別に大学で教わる必要のないことばかりで、それを「実践力」などとのたまう所だ。 例えば、法学だと道交法や大型免許取得を教えるべきで、文学・英文学の授業では海外からの観光客と話す英会話歴史うんちくを教えるべき…と述べた。 読めばわかるバカバカしさだが、釣られてやろうか

    L型大学とは大学の存在意義をわかってない人が抱く妄想である! - 言いたくないけど、僕が青二才です
  • うつ・ひきこもり・デブから立ち直るための体力作りのコツ

    体力づくりの上で大事な心得と、自分が実際にやってることについて人に話したら思いの外ニーズがあったからブログにまとめる。 前半は心得の話が中心、具体的に実践して体力をつけた時のウォーキングや筋トレの話は後半で。 社会復帰への壁は意外にも「体力」である一度、社会生活に疲れる・社会生活から離れてしまうと体力を使う用事がなくなる。 通学とか労働、それどころか同じ時間に特に好きでもないことを同じように繰り返すことは実は想像以上に体力を使う。 結果、引きこもりやうつ病にも頭がいい・才能あっても、体がついていかない・ついていくだけの体作りができないことに悩む。 体がついていかないし、ついていくだけの体を作ることが難しくて葛藤する。 運動部での経験・運動に明るい友達は役に立つ!幸か不幸か、僕には ・運動部で体を鍛えた経験 ・受験で激太りして体力が堕ちた経験 ・そこから痩せて長距離走のタイムを縮めた経験 が

    うつ・ひきこもり・デブから立ち直るための体力作りのコツ
  • フリーゲーム「死の就職活動」が色んな意味で生々しかった…

    就職活動のゲームといういかにも生々しそうなゲームをプレイした。 ゲーム画面はこんな感じ ※ごく一般的な最近の就活の風景です ・簡単なあらすじ 就職活動中の学生が「博多弁で鈍器と下ネタにはめっぽう強いヒロイン」と一緒に適性検査を突破していくゲーム。 ジャンルとしてはアドベンチャーでミニゲームが詰めあわせてできたようなゲーム。 「適性検査」という名前の通り、操作技術から知識や記憶力、シナリオクリアのための推理力まであらゆるゲームスキルが試される骨のあるゲーム。 タイトルがタイトルだけに「死にゲー」要素も多分に含んでいるが、死なずにクリアした時にのみ見られるエンドがあるらしい。 ただ、「無死エンド」を狙うとなると、難易度はとてつもなく高いのが悩みどころ。 タイトルオチのようにも見えるが、ゲームとしての完成度も楽しいので純粋にプレイをオススメしたい! ダウンロードはこちら 死の就職活動 作者のゲー

    フリーゲーム「死の就職活動」が色んな意味で生々しかった…
  • 「やりがい事が見つからない病」にかかる高校生活への傾向と対策

    昼間ネットを見てたら、こんなのが回ってきた。 これにはすごく考えさせれるし同情 pic.twitter.com/qeasOdaYF6 — しろろん (@9kro) 2014, 8月 22 熱中教室の茂木健一郎と現役東大生の会話の一部だが…言われてみると「やりたいことが高校時代に見つかった」と言う人をあまり見たことがない。 小中学校でやって来たことが認められて継続しているか、大学生以降に自分にやりたいことが見つかってがんばり始めるか…多くの場合そのどちらか。高校時代は夢を諦めたり、ハードルが高く見えて立ちすくむが多いように見受けられる。 この現象に対して傾向と対策を語っていく。 あなたは暗殺教室型?銀の匙型?この記事を書くにあたって超進学校出身のフォロワーさんと僕の間で意見が割れた。 自称進学校出身の僕…特に転校して組織レベルで自称進学校以外の何物でもない学校に所属してからは「この閉塞感はな

    「やりがい事が見つからない病」にかかる高校生活への傾向と対策
  • 僕は読書論が嫌い~いつから読書は読破数を争うスポーツになったの?~

    昨日ウォッチした記事に僕も言いたいことができたから読書についてああだこうだという話をさせてもらう。 読書家の俺が思う読書の弊害 たくさんを読めとか、100冊読んだとかいう言葉が並んでいるが…そんなことを目的にを読む人・を読めと命令してくる人が子どもの頃は大嫌いだった。 僕自身、を読みたいと思い始めたのは「国語の成績が良くなりたい」という不順な動機だが、読書量を重ねていくきっかけになったのは友人から「文体がキレイになった」と言われたことがきっかけだ。 それまでは、勉強の延長で「これをやらないと勉強の成績が上がらない」と後ろ向きな動機でやっていた。しかし、友人の一言をきっかけに僕はを読む姿勢を「自分が必要なもの・欲しい物を読む」ように変えていった。 でもウェブ媒体でも読みたいと感じるものはガツガツ読むようになり、その蓄積をいちいちメモするようなことはしなくなった。読書そのものが苦行

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