世界の至るところで大きな荷物や水の入った桶(おけ)などを頭にのせて運ぶ人たちがいる。かつては日本にもいた。 どういうわけか頭上運搬をする人は女性が多い(男性は肩に担ぐ傾向がある)。時には自分の体重よりも重い荷物を頭にのせて起伏の激しい道を歩くこともある。
世界の至るところで大きな荷物や水の入った桶(おけ)などを頭にのせて運ぶ人たちがいる。かつては日本にもいた。 どういうわけか頭上運搬をする人は女性が多い(男性は肩に担ぐ傾向がある)。時には自分の体重よりも重い荷物を頭にのせて起伏の激しい道を歩くこともある。
大日本主義とは、国力(軍事・政治・経済)の増強を最優先の国家目標とし、もって安全と繁栄を確立しようとする。吉田松陰を起点とし、藩閥と軍閥が推進した戦前日本の国家方針であった。 他方、小日本主義とは、質実(経済と生活の質)の向上を最優先の国家目標とし、もって平和と豊かな社会を実現しようとする国家方針である。戦後の日本国憲法によって規定されている。 本書は、上田藩(長野県上田市)出身の赤松小三郎(こさぶろう)らによる六つの憲法構想を比較分析し、結果として小日本主義、そして日本国憲法の思想的な源流を明らかにしている。いずれも天皇を絶対的な主権者とすることなく、具体的な議会像を示すもので、なかには民選議会や基本的人権を規定する構想もあった。
古文書からは一揆後も国人たちがやり取りを続け、つながりが残っていたことがうかがえる=京都府庁で2024年4月2日午後3時3分、中島怜子撮影 戦国時代、自治に初めて成功したとされる「山城国一揆(やましろのくにいっき)」(1485~93年)に関する古文書が大量に見つかった。一揆の原動力となった国人(地方在住の武士)らのやり取りが克明に記された新出史料。詳しい分析はこれからだが、専門家は「将来、教科書の記述が変わる可能性もある」とみている。 見つかったのは一揆で中心的役割を担った椿井(つばい)家に伝わる書状の写し124通。馬部隆弘・中京大教授が2021年、奈良県平群町教育委員会に所蔵されていた大量の古文書を見つけた。3年かけて調査し、椿井家の関連文書と特定した。室町・戦国期の書状を江戸時代の子孫が写したものとみられ、京都市東山区の八坂神社に残る原本7通と内容が共通していることから、本物と確認した
私が縄文時代や土偶の講演で必ず話す時代区分が、高校日本史教科書改訂で大きく変わった。縄文時代のはじまりが土器の出現を指標に、3千5百年も早まり、約1万6千年前に。弥生時代も、水田稲作のはじまりを指標に約4百年早まり、約2千8百年前にさかのぼることになった。 この約2千8百年前といえば、日本で一番有名な遮光器土偶が東北で作られている時期。縄文びいきの私としても、いくらなんでも早まりすぎではないかと思うが、これが最新科学の手法によって導き出された結果である。 本書には科学的な調査や論考を軸に、著者をはじめとする国立歴史民俗博物館が、弥生時代の新しい時代観をどのように再構築したかが記されている。だが、これがちょっと難しい。「土器型式」という用語で語られる項は、なじみがない人には暗号みたい。 そこを乗り越えると日本人起源論に迫れる。実に多様なDNAを持つ弥生人に驚く。弥生人の骨がもっとも多く出土す
疫学とは、人間の集団内で発生する病気の要因や分布を研究する学問を指す。19世紀半ばにロンドンで流行したコレラの発生源を特定したジョン・スノウや、1880年代に結核菌・コレラ菌を発見して近代細菌学を創始したロベルト・コッホによって疫学は発展した。コッホの弟子で、新千円札の顔となる北里柴三郎も代表的な疫学者である。しかし本書が主に扱うのは、そうした偉大な学術的発見を成し遂げた人々ではない。18世紀
歴史上の人物の評価は時代とともに変化する。研究の進展からだけでなく、時代の価値観の変化も一因だ。そもそも松陰や松下村塾の評価は生前にも揺れており、罪人として忌避する者がいる一方、出世につながると接近する者もいた。 著者は、松陰をいたずらに顕彰も批判もせず、淡々と史料を突き合わせ、思索し行動し苦悩する松陰の実像に迫っていく。そこからかえって時代が、人々が、松陰に何を仮託したのかも見えてくる。 吉田松陰が傾倒した水戸学は本来、尊王と同時に武家政権の君臣秩序も重んじていた。しかし『孟子』に影響を受けた松陰はより先鋭化していく。また、民政の重要性を認識したものの、華夷思想を抜け出すことは生涯なかった。
偉大な英雄か、傲慢なナルシストか。ダグラス・マッカーサーには、まったく相反する2つのイメージがつきまとう。本書は、こうした極論を排した端正な評伝である。成功の秘訣は、マッカーサーの生涯の中で最も重要な要素、すなわち、軍人という点に一貫して着目していることであろう。マッカーサーの父アーサーも優れた軍人だったが、フィリピン統治をめぐってウィリアム・タフト(のちの大統領)と対立し、陸軍参謀総長の道を
2021年1月6日、トランプ前米大統領の支持者らがバイデン氏の当選認定を阻止しようと連邦議会を襲撃した事件は世界に衝撃を与えたが、そこで大きな役割を担ったのが武装した極右民兵組織「ミリシア」だった。日本人にはあまり馴染(なじ)みがないが、ミリシアは米国人の銃を所有する権利を保障した憲法修正第2条で認められた合法的な団体である。 本書は憲法を盾に武装する人民組織に焦点をあて、現代の米国の暴力とポピュリズムの起源をたどった異色のアメリカ史で、価値ある一冊だ。著者は合衆国の建国前から存在し、独立戦争でも活躍したミリシアが極右民兵組織を生むまでの変遷の歴史を丁寧に紐解(ひもと)いていく。 本書の最後には、「合衆国憲法で銃の所有を市民の権利として認めるアメリカには、自由を守るためなら、暴力の行使もいとわない気風が満ちている」と書かれているが、米国の銃による暴力の問題を長く取材してきた評者も同様の懸念
四六判 / 462ページ / 上製 / 価格 5,280円 (消費税 480円) ISBN978-4-588-01091-0 C1322 [2019年02月 刊行] 「チチスベオ」は、18世紀のイタリアで、夫の同意のもと既婚貴婦人に付き従い、助ける任務を負った「付き添いの騎士」のこと。正式な夫妻の生活に割り込む特異な存在だが、その役割は組織化された三角関係の中で公然と承認されたものだった。しかし、複数の国に分かれていたイタリアが「統一国家」へと劇的に変貌する過程で彼らはその姿を消した。本書は、当事者や関係者の証言、日記、回想記、旅行記、文学や絵画作品など精査し、その歴史を探訪する。口絵付き。 ロベルト・ビッツォッキ(ビッツォッキ ロベルト)(Roberto Bizzocchi) ピサ大学教授(近代史)。専門は、中世から近代までの国家と教会の関係、近代における歴史文化史、家族史、ジェンダー関
韓国では3月1日が「三一節」という祝日に制定されている。K-カルチャーブームの大きな波が続く日本。日本人にとっても、覚えておかなければいけない「三一節」の意味を、今一度確認したい。 「三一節」で祝う「3.1独立運動」とは「三一節」とは、今から105年前、当時の韓国で起きた「3.1独立運動」を記念するものだ。1910年から1945年までの約35年間、朝鮮半島は植民地として日本に支配されていた。当時朝鮮の人々は、日本の圧政によって差別や搾取に苦しみ、劣悪な環境での生活を強いられた。日本語での教育が強制され、言葉や文化も奪われた。日本による容赦のない弾圧の中でも、朝鮮の人々は各地で独立を目指し抵抗運動を行った。その中で最も大きな勢いを持ったのが「3.1独立運動」だ。 1919年、33人の主導者たちが「独立宣言書」を想起し、3月1日にソウル(当時の京城)のパゴダ公園で行われた集会で宣言書が朗読され
かつて天皇は、人々の眼に見えない存在だった。京都御所を出ることすら、まれだった。だが、近代国民国家が形作られるなか、天皇は「見える」存在へと変化した。明治5年(1872年)から明治18年にかけて行われた「明治六大巡幸」は、それを如実に物語る。明治天皇はときに数カ月に及ぶ地方視察に出向き、「旅する天皇」となった。それは、近代国家の統治者としての天皇を、国民に可視化させる一大プロジェクトだった。
今から1000年の昔の日本は、いったいどのような社会だったのか? 天皇や貴族たちの生活は? はたまた、ドラマに登場する紫式部や藤原道長たちはどのような人物だったのか? 時代考証を担当する倉本一宏氏に、最新の研究成果も交えながら解説してもらった(後編はこちら)。 戦もなく、人々が比較的豊かだった平安時代はもっと評価されていい ――「光る君へ」の時代考証を担当することになった経緯を教えてください 2022年5月に「光る君へ」の内田ゆきチーフ・プロデューサーからご連絡をいただき、作品の内容について相談を受けて、それに応えるという日々が続いていたのですが、そのうちにスタッフのみなさんからも相談を受けるようになって、正式に時代考証を担当することになりました。 お引き受けした理由は、平安時代史、当時の政治状況や後こう宮きゅう(天皇のきさきや女官たち)の情勢、人々の生活を、より多くの方に理解してもらえる
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