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哲学に関するhoihoiteaのブックマーク (5)

  • リアリストはなぜ話が通じないのか?|小野ほりでい

    どんな人も、何かを特別に重要だと考えることによって生きる糧にしています。その多くは、社会で成功してお金を稼ぐこととか、子供を育てることとか、あるいは信仰的なものかもしれませんが、もっと個人的なものに対する愛好を糧に生きている人はオタクなどと呼ばれたりしますね。 いずれにせよ、その「信じているものがある」から生きていける、という主観的な部分を取り沙汰すれば、どんな人もオタク的であるという言い方もできるかもしれません。 一方で、特別に個人的なものを糧にして生きている人にとって避けられないのは、「自分が信じている」ものの価値を冷笑されたり、否定されるという経験です。特に、趣味を持っている人は、以下のような物言いをする人たちに遭遇したことがあるかもしれません。 このような物言いをする人たちは、自分のことをリアリスト(現実主義者)だと言ったり、思っていたりするようです。リアリストにとって、自明に存在

    リアリストはなぜ話が通じないのか?|小野ほりでい
    hoihoitea
    hoihoitea 2021/03/12
    半分くらい分かる。
  • オルタナ右翼の源流ニック・ランドと新反動主義 - Mal d’archive

    イギリスの哲学者ニック・ランド(Nick Land)は、2012年、ネット上に「暗黒啓蒙(The Dark Enlightenment)」*1というテキストを発表し、新反動主義(Neoreaction:NRx )の主要人物の一人になった。詳しくは後述するが、この新反動主義のエッセンスがオルタナ右翼の中にも流れ込んでいるとされている。そのもっとも直截な例は、オルタナ右翼系メディア『ブライトバート』(Breitbart)の元会長であり、またドナルド・トランプの元側近でもあるスティーブ・バノンで、彼は「暗黒啓蒙」のファンであったことを公言している*2。 ■ニック・ランドの思想 ニック・ランドは、もともと大陸哲学とフランス現代思想の研究からスタートしており、初期にはジョルジュ・バタイユに関する著書もあるが、90年代中頃になると、のちに「加速主義(accelerationism)」と呼ばれることにな

    オルタナ右翼の源流ニック・ランドと新反動主義 - Mal d’archive
  • 構造主義についてがんばって書いた ~『寝ながら学べる構造主義』のレビュー~ - 本で死ぬ ver2.0

    学問は最近のものになるほど難しくなっていく。 もくじ 近代哲学が難しい理由 構造主義はかなり新しいから、かなり難しい じつはあなたも、「構造主義」的な考え方をしている 差別しない=構造主義的 人の思考は所属する社会の影響を受ける 構造主義・四銃士 ミシェル・フーコー ロラン・バルト クロード・レヴィ=ストロース ジャック・ラカン 今日の一首 後記 考えてみればそれは当然の話で、学問は積み上げていくものだから、すでに先人によって積み上げられているものがたくさんある場合、それらを土台に新しいことを考えているが現在の人々だからだ。 近代哲学が難しい理由 哲学も同じで、たとえば古代ギリシャのアリストテレスとかプラトンの考え方は、まだ非常に理解しやすい。 が、そこから時代を経てフッサールとかハイデガーとかサルトルなんかになってくると、いきなり「コイツ何言ってんだ」状態になってしまうのは、彼らがそれま

  • 1+1+1は2だと思う

    Vtuberの登場で、やっぱり顔はいいに越したことはない、って証明されたよね」 わたしたちはコメダ珈琲の新宿御苑前店で一服していた。いとうは爪で髪を掻きつつ続けた。 「ドゥルーズは『千のプラトー』で顔は記号だけど同時に身体でもあるから政治的なものだ、って言ったわけじゃない? で、顔の美醜を問うのはポリティカル・インコレクトだってことになった。けどこれは、まさに悪しき民主主義だよね。アリストテレスは『二コマコス倫理学』で、少なくとも顔の醜くないことを幸福の条件に挙げてるけど、古代ギリシャから現代までに民主主義が記号化してるんだよね」 他人がきけば白眼視するようなことを言う。そうした話ができるだけの知性を見積もられていることは心地いいが、いつもわたしがきき役だ。 いとうは神経質そうな険のある顔をしているが、ひとによっては美人とみるだろう。わたしは彼女の顔をみるたび、坂口安吾の『白痴』に書かれ

    1+1+1は2だと思う
    hoihoitea
    hoihoitea 2018/05/06
    ペダンティック増田。
  • なぜ私は私なのか - Wikipedia

    「なぜ私は私なのか」(なぜわたしはわたしなのか、英:Why am I me ?)は哲学の一分野である形而上学、または心の哲学の領域で議論される問題のひとつ。この問題は様々な形で定式化されるが、最も一般的には次のような形で表される問題である。 世界中に今現在、沢山の人がいる、また今までに数多くの人が生まれてきて、これからも多数の人が生まれてきて死んでいくだろう。しかしそれにも拘らず「なぜ私は他の誰かではなく、この人物なのか?」(Why am I me, rather than someone else?) この問いには色々な名称がある。たとえば「私の問題(わたくしのもんだい)」、これは日の哲学者永井均が使用する山括弧付きの〈私〉という表記法を使って「〈私〉の問題(やまかっこわたくしやまかっことじの-)」と表記されることもある。またオーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズが提出した「

    なぜ私は私なのか - Wikipedia
    hoihoitea
    hoihoitea 2018/02/02
    私が私を見つめてました。
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