長崎原爆資料館(長崎市)は24日、「南京大虐殺」と表記した年表がある展示コーナー全体の在り方を検討する考えを示した。展示が準拠する検定教科書では「南京事件」とする出版社が増え、見直しの可能性を示唆していた。 資料館は24日開いた展示内容の審議会で、被爆者や市議らで構成する委員に意見を求めた。保守系団体「長崎の原爆展示をただす市民の会」の渡辺正光代表(84)は「核廃絶を訴える場所なのに、日本の加害行為に言及すれば原爆投下の正当化につながる」と主張。反対意見は出ず、篠崎桂子館長は「論点を整理し、検討状況を報告したい」と話した。 資料館は平成8年4月の開館時から、原爆投下に至る経緯や国際情勢を解説するコーナーを設置。「日中戦争~太平洋戦争終結」の年表に「南京占領、大虐殺事件おこる」と表記している。
さすがに『帝国の慰安婦』日本語版を「朝日新聞出版は金儲けのためなら何でも出す」とこき下ろすのはヒドイのでは。ちゃんとした学術書でしょ。 https://t.co/QvJCDeeInS
加藤勝信官房長官は8日午前の記者会見で、韓国の元慰安婦らが日本政府を相手取り損害賠償を求めた訴訟で、ソウル中央地裁が日本政府に賠償支払いを命じる判決に関し、日本政府として断じて受け入れられないと表明し、強く反発した。「極めて遺憾だ。断じて受け入れることはできない」と述べた。 同時に「韓国が国家として国際法違反を是正するために適切な措置を講ずることを強く求める」とも語った。加藤氏は外務省の秋葉剛男事務次官が南官杓(ナム・グァンピョ)駐日大使を同省に呼び、抗議したことも明らかにした。 日本政府は、他国の裁判権に国家は服さないという国際法上の「主権免除」の原則に基づき、訴えの却下が相当として、これまで審理に出席していない。加藤氏は「国際法上の主権免除の原則から韓国の裁判権に服することは認められず、控訴する考えはない」とも強調した。
故人を含む元慰安婦12人が日本国(政府)を訴えた損害賠償訴訟で、ソウル中央地裁が8日、原告側の請求を認め、日本政府に対し原告1人につき1億ウォン(約950万円)の賠償支払いを命じたことで注目の判決は日本の敗訴となった。今月13日にも元慰安婦ら20人が計約30億ウォンの賠償を求めた同様の訴訟が予定されているが、おそらく同様の判決が下されるだろう。 ソウル中央地裁の判決には三つの点で問題がある。 一つは、国際民事訴訟では被告が国(政府)の場合、外国の裁判権から免除されるとする「主権免除」の原則を順守しなかったことだ。即ち、国際法に反したことだ。これが逆の立場ならば、おそらく韓国は猛反発するだろう。 次に、2015年12月の「日韓慰安婦合意」に基づき、日本政府がすでに慰安婦らに対して「心からのお詫びと反省」(安倍総理=当時)を表明し、10億円を拠出しているにもかかわらず、原告1人にあたり1億ウォ
コロナ論2が届いた! 小林よしのりの事を“逆張りの人”と思っている方が結構いるみたいですが、違うんですよ。 約30年前、慰安婦問題で「ああ、日本軍が悪いことしたんだろうなあ」という世論を見事にひっくり返したのがこの人です。… https://t.co/c3CK2qlpZD
ベルリンの慰安婦像についての政調、外交部会・外交調査会・日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会合同会議で発言する名誉特命委の中曽根弘文委員長=16日午後、東京・永田町の自民党本部(春名中撮影) 自民党は16日、ドイツの首都ベルリン市ミッテ区の公有地に設置された慰安婦像の撤去が困難になった状況をめぐり、外交部会などの合同会合を党本部で開き、出席議員からは設置を防げなかった外務省への批判の声などが相次いだ。一方、韓国側では「韓国とドイツの市民社会の連帯の力」(ハンギョレ紙)と勝利が喧伝(けんでん)されている。 「いつもモグラたたきのように設置されては撤去を要求している…」 同党の「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」委員長を務める中曽根弘文元外相は会合冒頭でこう述べ、設置を未然に防ぐ対策が重要だと指摘した。ほかの出席議員からも「これは『歴史戦』だ。きれいな戦いだけしていてはダメだ」
「河野談話」もすでに歴史 ──解決不可能と思えるほど、日韓関係は悪いままです。 解決をいう前に、われわれが双方の現代史をきちんと把握し、理解しているのかどうか。歴史認識とは、過去の歴史的事実そのものをめぐる問題というよりも、過去の歴史的事実をそれぞれの時代に生きる人々がどのように考え、どの部分にどのような重要性を見いだすかという問題です。この点が、きちんと理解されていません。 ──確かに「そうだろう」「そうだったはずだ」といった思い込みで語られがちですね。 太平洋戦争中の問題である慰安婦問題を、「当時の人は慰安婦なんて知らなかった」として語る人がいます。戦後75年といいますが、その時間幅は奈良時代(710〜94年)とほぼ変わらず、明治維新(1867年)から太平洋戦争終結(1945年)までに匹敵する「一時代」なのです。でも、現代史なので自分たちから遠くないとの感覚があり、「知ってるよ」と安易
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