スペインのバレンシアで錆びついた古い鉄剣が発見されたのは1994年のことだ。古代の墓に突き刺さった状態で発見されたことから、かのアーサー王伝説の剣にちなんで「エクスカリバー」と名づけられた。 しかし、この剣の年代や詳細を特定することはできずその後30年間、謎のままだった。だが最近の研究でついにその謎が解明された。 イベリア半島がイスラムの支配下にあった10世紀頃のものであることが判明したのだ。
スペインのバレンシアで錆びついた古い鉄剣が発見されたのは1994年のことだ。古代の墓に突き刺さった状態で発見されたことから、かのアーサー王伝説の剣にちなんで「エクスカリバー」と名づけられた。 しかし、この剣の年代や詳細を特定することはできずその後30年間、謎のままだった。だが最近の研究でついにその謎が解明された。 イベリア半島がイスラムの支配下にあった10世紀頃のものであることが判明したのだ。
皆さんは、スペインの国旗をご存知でしょうか? サッカーの試合やスペイン料理の店先などでよく見かけると思います。 「赤と黄色のやつで、なんかごちゃごちゃした紋章が入ってるやつ」という感じでご記憶の方も多いでしょう。 あの複雑な模様の紋章には一体なにが描かれているのか。じっくり観察してみました。 というわけで、スペイン国旗に描かれている国章をじっくり観察してみます 国旗と市民旗がある スペイン国旗こちらです まず、そもそもの話として、この紋章の入った国旗は「政府機関などが使う旗」であって、一般用は紋章の無い「市民旗」を使うらしいのです。 知らなかった……。 スペイン市民旗……紋章がなくてもスペインぽさはある どうも、スペインの憲法では「スペインの国旗は赤、黄、赤の3本の横縞で構成されており、黄色の幅は赤の各2倍」と決まっており、その国旗に国章を入れるルールはまた別の法律で規定されているようで、
2008年、スペイン南部で5000年前(銅器時代)の墓が発見され、そこから古い遺骨のほか、水晶の短剣や象牙細工などさまざまな埋葬品が発見された。 当時、あまりの豪華さから男性の権力者の墓だろうと考えられていたが、最新の遺伝子技術で分析したところ、埋葬されていたのは女性であることが判明したそうだ。 これによりこの遺骨の呼び名は「象牙の商人」から「象牙の婦人」へと変更されたが、この女性の生涯については、ほとんどわかっていない。 だが、王や女王以前に存在したリーダーが女性だったという今回の発見は、古代の権力者が性別にとらわれず、個人の資質や能力、業績、人格に基づいていたことを示す、新たな証拠になるという。
この元記事は過去ログとして別リンクに移住させます ここは劇場版実写リトルマーメイドの配役発表時にお気持ちで暴れたオタクの跡地です。 劇場版公開で再バズするのが嫌なので消そうかと思ったけど、それはさすがに無責任っぽいので、というか昔ツイートを匿名掲示板に転載されたのがバズってトラウマなので、消さずに別ページに移送します。 まだ見たい人は以下を認識した上で元記事を読んでください。 インターネットで知らない人を担がないでください 私のことをすごい知識人と勘違いして担いだり反論したりする人が現れ始めて恐怖しかないので、日本公開前に元記事は別ページに移送する処置を取ります。 いやーなんかもう誰かのせいにしたいが自分の顔しか思い浮かばない。 まず大前提として、私は知識人ではなく匿名の限界オタク個人です。というか、発達障害+学習障害+精神疾患で無職、バイトはしたことあるけど所得税払ったことないです。すべ
英国の歴史家サイモン・セバーグ・モンテフィオーリの著書は48ヵ国語に翻訳され、世界的なベストセラー作家としても知られる。著作の主なテーマは彼の専門であるロシアで、これまでエカテリーナ2世、ロマノフ家、ヨシフ・スターリンなどの伝記を執筆してきた。 1500ページにわたる大作となった新著『世界——人類の家族史』(未邦訳)では、先史時代からウクライナ戦争に至るまでの人類史上において絶大な影響力を誇ってきた一族や王朝を分析している。 そんなモンテフィオーリが、古代ローマの後継問題からプーチンとの秘話、北朝鮮の金一族についてまでスペイン紙「エル・ムンド」に語り尽くした。 ——世界の家族史の大家であるあなたに、ご自身の家族史について伺います。あなたの先祖は1492年にスペインを離れたセファルディー(スペイン系ユダヤ人)ですが、具体的にはどちらの出身だったのでしょう。 私が調べたところによると、コルドバ
日本のスパイとして1941年にスペインの地を踏んだ須磨弥吉郎(すまやきちろう)は、莫大な数の美術品を溜め込んでいた。なぜ、彼はそれほどまで美術品に執着したのだろうか。スペイン紙が、スペイン美術のコレクターでもあった須磨にスポットライトを当てた。 フランコ体制下のマドリードに潜り込んだ一人の日本人スパイが、スペインの美術コレクションの一部を長崎県美術館に残し、その目録化が数十年にもわたっておこなわれてきた。 いわゆる「須磨コレクション」 は、1941~1946年のあいだにマドリードの日本特命全権公使を務めた須磨弥吉郎が、スペインやそのほかのヨーロッパ諸国で購入した15~20世紀スペインの祭壇画、レリーフ、版画、油彩画、少なくとも1760点で構成されている。バルトロメ・エステバン・ムリーリョ、ゴヤ、さらにホアキン・ソローリャ、マリアノ・フォルトゥーニ、ホセ・グティエレス・ソラーナ、アントニオ・
共栄主義者トモサカアキノリ @ACINOLI_II 何度も歴史の壮絶な破壊と背徳を眺めてきた 国家を奪われた民族たち タワンティンスーユ(インカ)、ハヴァイッイ(ハワイ)、ケーメト(エジプト)、ラコタ(スー)、ポェ(チベット) 歴史は理念などではない こうではなかった理想があり得る 我々は正しい道とその先へ飛び越えなければならない 2019-02-14 09:34:53 ナフタレン⌬⌬@諦念非人 @LeneC10H8 チェチェンイッツア:聖なる泉のほとりの水の魔法使い(マヤ語) ヤシュチラン:緑の石(同) ウシュマル:三度建てられた町(同) ティカル:水溜りにて(ユカテコ語) パレンケ:柵に囲まれた砦(スペイン語) テオティワカン:神々の都市(ナワトル語) タワンティンスーユ:四つの州(ケチュア語) 2022-01-20 01:10:25
全体が1人の女王で、頭がスペイン、右腕がイタリアで、シチリアは宝珠、左腕はデンマーク、ブルガリアやモスクワ大公国が足にあたる。
【マニラ=遠藤淳】フィリピンのドゥテルテ大統領は11日の南部マギンダナオ州での演説で「かつてマルコス大統領が国名を『マハルリカ共和国』に変更しようとしたのは正しかった」と発言した。現在の国名は植民地時代の名残だとして「いつか変えたらいい」と述べた。実現性は乏しいものの、国家としての自立を促す一手段として議論を呼びそうだ。フィリピンは1898年まで300年以上、スペインに支配され、国名は後にスペ
ローマ帝国から十字軍、そして現代のロヒンギャなど、宗教的迫害は古今東西を通じて国家の支配を盤石にするための手法として用いられます。新たな研究では、スペインの異端審問が特に苛烈だった地域では、経済活動や市民同士の信頼、学歴などのレベルが現代でも著しく低いということが示されています。 Extraordinarily, the effects of the Spanish Inquisition linger to this day https://theconversation.com/extraordinarily-the-effects-of-the-spanish-inquisition-linger-to-this-day-166170 異端審問とは、中世以降のカトリック教会に存在した「信仰に反する教えを持つ(=異端である)という疑いを受けた者を裁判する」というシステムです。異端審問は
by Miguel Angel Blanco de la Rubia スペイン・アンダルシア州セビリア県にある古代遺跡から、紀元前3000年の物とみられる「水晶製の短剣」が見つかりました。研究者は、発見された場所では水晶が簡単には手に入らないことから、「短剣は社会的地位がある人のための特別な品だった」と推定しています。 Scientists find amazing 5,000-year-old crystal dagger in Spain https://www.zmescience.com/science/archaeology/rock-crystal-dagger/ The Crystal Weapons of Prehistoric Spain - The Daily Grail https://www.dailygrail.com/2016/09/the-crystal-we
reddit.com/r/HistoryMemes/comments/jnjww7/map_of_the_world_but_only_with_the_countries_seen/ Comment by ManateeMan4 1 ポイント >>アイルランド「弾圧されたカトリック」 アイルランドの歴史の教科書をベースにしたら世界はもっと小さくなるはず。 12世紀頃、国王ヘンリー2世の時に、アイルランドはイングランドの支配下に入れられた。ヘンリー8世の離婚に端を発するイングランドの宗教改革が始まると、カトリック教会は国教会によって弾圧され始めた。17世紀半ばにはアイルランドはアイルランド・カトリック同盟を結んで国家を安定させていた。ところがオリバー・クロムウェルもかつてのテューダー朝と同様にアイルランド遠征を行い、カトリック教会は強制的に閉鎖されてプロテスタント支配が強まった。 アイルラ
硬直したカトリック保守体制の正体 スペインは1975年まで軍人フランシス・フランコの長期独裁体制下にありました。 当時のスペインはカトリック信仰に基づいた保守的・家父長的な規範が推奨され、国が隅々まで国民を監視し行動や発言、表現に介入してくる極めて息苦しい国でした。スペインは現在は世界でもっともフェミニズム運動が盛んな国の一つなので隔世の感があります。 フランコ独裁体制のスペインの歴史と社会についてまとめていきます。 1. フランコ将軍の反共和国反乱 右派と左派の対立 1930年に成立したスペイン第二共和政では、基本的人権の保障と農地改革の実施が公約に掲げられました。特に農地改革は待ったなしと言われ、農民の悲願でした。 政府は労働者・農民保護のための様々な政策を打ちますが、一部の労働者・農民は政府の対応は生ぬるいとさらに急進的な方策を求め反乱を起こしたため国内の治安が悪化します。 治安の悪
いまスペインの"カタルーニャ州(Catalonia)"の州都、バルセロナに住んでいる。ここではあえて、"カタルーニャ"という単語を強調しておきたい。 日本人にとってバルセロナといえば、真っ先に思い浮かぶのはサッカーのバルセロナFCだと思う。メッシやスアレス、かつてはイニエスタなど世界的スターが在籍していて、Googleで"バルセロナ"と検索するとサッカー以外の検索結果が見当たらないくらいだ。 それ以外だと、地中海性気候で過ごしやすい最高の天気、パエリアやイベリコハム、ワインなどの食事、世界的にも有名なサグラダファミリアやカサ・ミラなどのガウディの建築物.... など挙げればきりがないほど魅力的な街だと思う。実際にバルセロナに住んでいて、ほんとうに住みやすい街だとも思うし、街並みは美しい。 バルセロナは世界有数の観光都市であり、市民160万人に対して年間3,200万人の観光客が訪れている。1
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