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君主とアジアに関するlaislanopiraのブックマーク (11)

  • 歴史家サイモン・モンテフィオーリ「世界最強の一族はアジアにいる」 | 世界の王朝と権力者を研究して見えてきたこと

    英国の歴史家サイモン・セバーグ・モンテフィオーリの著書は48ヵ国語に翻訳され、世界的なベストセラー作家としても知られる。著作の主なテーマは彼の専門であるロシアで、これまでエカテリーナ2世、ロマノフ家、ヨシフ・スターリンなどの伝記を執筆してきた。 1500ページにわたる大作となった新著『世界——人類の家族史』(未邦訳)では、先史時代からウクライナ戦争に至るまでの人類史上において絶大な影響力を誇ってきた一族や王朝を分析している。 そんなモンテフィオーリが、古代ローマの後継問題からプーチンとの秘話、北朝鮮の金一族についてまでスペイン紙「エル・ムンド」に語り尽くした。 ——世界の家族史の大家であるあなたに、ご自身の家族史について伺います。あなたの先祖は1492年にスペインを離れたセファルディー(スペイン系ユダヤ人)ですが、具体的にはどちらの出身だったのでしょう。 私が調べたところによると、コルドバ

    歴史家サイモン・モンテフィオーリ「世界最強の一族はアジアにいる」 | 世界の王朝と権力者を研究して見えてきたこと
  • 即位礼正殿の儀で各国要人が集まる中、白い軍服のイケメンに目を奪われる人々→ブルネイのマティーン王子でした

    リンク www.instagram.com Mateen (@tmski) • Instagram photos and videos 1.1m Followers, 534 Following, 861 Posts - See Instagram photos and videos from Mateen (@tmski) 67273294

    即位礼正殿の儀で各国要人が集まる中、白い軍服のイケメンに目を奪われる人々→ブルネイのマティーン王子でした
  • ムガール料理の歴史 - インド宮廷料理文化の発展 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo from "Creamy, Meaty Richness Galore! These Are The Very Best Mughlai Restaurants In Delhi" So Delhi 様々な文化がミックスして花開いたインド宮廷料理 ムガール帝国は16世紀初頭から19世紀後半まで存在したイスラム系王朝で、強力な軍事力を率いて中央アジアからインドに侵入して南下しながら徐々に領土を広げ、一時は南インドの一部を除く全インド亜大陸を支配しました。 ムガール帝国の元でヒンドゥー文化、ペルシア文化、中央アジアの文化がミックスした独自の文化が花開き、特に建築の分野では有名なタージ・マハルなど壮麗な建築が帝国各地に建設されました。 文化の面でも、ムガール宮廷は様々な文化を吸収した洗練された宮廷料理を発展させ、その贅沢放蕩ぶりは帝国の傾斜をもたらすのですが、現在のインド料理にも大

    ムガール料理の歴史 - インド宮廷料理文化の発展 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 「古代天皇家の婚姻戦略」荒木 敏夫 著

    古代天皇家の婚姻の特徴はその強い閉鎖性である、ということを様々な史料を元に当時の東アジア諸国の婚姻関係との比較も交えつつ大局的に描いた一冊。一言で言うと「お兄ちゃんだけど政治目的さえあれば関係ないよねっ」って話(たぶん)。 倭・日の古代王権は濃密な近親婚によって強い結束力を保とうとした。皇族男性は外部からキサキを迎えることはあっても、皇族女性が非皇族と結婚することはほぼ無く、皇族女性は皇族男性と婚姻関係を結ぶという婚姻規制が存在していた。その特徴は、一つに異母兄弟姉妹婚による同世代婚、もう一つがオジ―メイ婚・オバ―オイ婚による異世代婚である。 六~八世紀を通じて、歴代天皇のキサキを整理するとその多くが異母姉妹か、畿内の諸豪族、一部のほぼ限定された畿内の外(「外国(ゲコク)」)の諸勢力から女性がキサキとなっていることが書で明らかにされている。 例えば天智天皇の子女四人の皇子と十人の皇女の

    「古代天皇家の婚姻戦略」荒木 敏夫 著
  • まとめよう、あつまろう - Togetter

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  • ブータン国王の演説を改竄するマスゴミ!? - Hagex-day info

    ブータン国王が来日して人気らしい。 「ブータンには秘密警察がいるらしい」という話を聞いて、昔から気になっているのだが、Google先生に聞いてもはっきり答えてくれない。FSB(ロシア連邦保安庁)ばりに酷かったら面白いのに… まあ、そんな与太話はおいて、ブータン国王が日を勇気づける立派な演説を行ったのに、国賊で朝敵で逆賊で売国奴の「マスゴミ」が、恣意的な編集を行い日人に真実を伝えていないとお怒りのブログを発見! ・日テレビがカットしたブータン国王の演説(フランシスコの大麻解放日記) そのカットされていない元ソースはどこにあるだろう? ブログ主ことフランシスコさんはどうやって見つけたんだろう… と思って検索すると、以下のサイトで演説の全文が確認できた(私がいうマスゴミゴミだ……ギギギギw)。 ・「国民総”幸福”量」を重んじるブータン国王が国会で演説 全文(ガジェット通信) フラ

    laislanopira
    laislanopira 2011/11/21
    マスコミではなくネット民のほうが改ざんしている
  • ブータンブーム!国王夫妻来日で火付いた - 国際ニュース : nikkansports.com

    国王夫の来日が、ブータン人気に火を付けた。同国のジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王(31)とジェツン・ペマ王妃(21)の日滞在で、ブータンの知名度は急上昇。都内のブータン友好協会には問い合わせが殺到し、旅行会社も国王夫来日記念ページを新たに立ち上げた。都内のブータン特集の展示会も利用者が増え、ブームが続きそうな気配だ。 ◆問い合わせ ブータン友好協会には今週、電話の問い合わせが100件以上あった。「旅行に行きたい」「情報を教えてほしい」など。このような問い合わせは、先週までは3日に1件程度だったという。ブータン総領事館にも、国王来日の感謝の言葉や、演説の感想が数多く届いている。 ◆旅行会社ページビュー 都内の旅行会社「風の旅行社」は、「ブータン国王夫来日記念 関連ページ紹介」と題したホームページを新設。結婚式の様子などを紹介している。ブータン特集のトップページは、最近3日間で

    laislanopira
    laislanopira 2011/11/21
    もとが3日に1件という過疎ぶりなので、100件問い合わせがあっただけでも300倍に
  • ブータン国王夫妻、雨の金閣寺を参拝 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    国賓として来日中のブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王(31)とジェツン・ペマ王妃(21)は19日朝、京都市を訪れ、雨の中、世界遺産・金閣寺に参拝した。 国王夫は和傘をさして、鏡湖池(きょうこち)の眺めや周囲の紅葉を楽しみながら散策。金閣の中では宝冠釈迦如来坐(ざ)像の前で静かに合掌した。 ブータンは敬虔(けいけん)な仏教国。夫を案内した同寺の有馬頼底(らいてい)住職によると、国王は王妃とともに境内の「平和の鐘」をつき、「どこかでいつも争いが起きている。仏教の力で世界が平和にならないといけない」と話していたという。 国王夫は午後から同市の京都伝統工芸館を訪問、夜は京都迎賓館での歓迎夕会に出席する。

  • ブータン国王夫妻 被災地訪問へ NHKニュース

    ブータン国王夫 被災地訪問へ 11月15日 10時27分 ブータンのワンチュク国王夫が15日朝、震災後初めての国賓として来日しました。国王夫は滞在期間中、福島県の被災地も訪れ、子どもたちと交流することにしています。 ブータンのワンチュク国王夫が乗った航空機は15日朝6時ごろ、成田空港に到着しました。ワンチュク国王とジェツン王妃は先月、結婚したばかりで、震災後初めての国賓として来日しました。民族衣装に身を包んだ国王夫は報道陣が英語で「ようこそ日へ」と呼びかけると、にこやかに英語で「ありがとう」と応じていました。ブータンは国民の豊かさを測る目安としてGNH=「国民総幸福」という指標を取り入れ、経済成長よりも国民が幸せと感じる幸福度を重視するユニークな国づくりを進めていることで知られています。国王夫は今月20日まで日に滞在し、野田総理大臣と面会するほか国会で演説を行う予定です。ま

  • ハワイ併合 - Wikipedia

    最後のハワイ王で「アロハ・オエ」の作詞・作曲をおこなったことでも知られる女王リリウオカラニ ハワイ併合(ハワイへいごう)または米布併合(べいふへいごう、英語: United States Annexation of Hawaii)は、1898年にアメリカ合衆国によって行われたハワイ共和国(布哇共和国)の併合である。項では、アメリカ合衆国がハワイを併合するまでの経過とその影響について説明する。 1993年にアメリカ合衆国議会によって発表された謝罪決議(英語版)により、1893年にアメリカ軍が指導したクーデターによるハワイ王国の崩壊が違法行為として認められた[1]。現在、ハワイ独立運動の提唱者はアメリカ合衆国のハワイ諸島の統治は不法な軍事占領と唱える[2]。 前史[編集] ハワイ王国の政策[編集] カウイケアオウリ(カメハメハ3世) ハワイ王国は、1839年にイギリスのマグナ・カルタを基

    ハワイ併合 - Wikipedia
  • アラブ世界の独裁政権が迎える転機 ありがとう、そして、さようなら JBpress(日本ビジネスプレス)

    (英エコノミスト誌 2010年7月17日号) 良かれ悪しかれ、エジプトとサウジアラビアに間もなく変化が訪れる。 アラブ世界で最も重要な2つの国の運命は、どちらも年老いた独裁者の手中にある。82歳になる元空軍司令官、ホスニ・ムバラク大統領は、1981年からエジプトを統治しているが、病状が深刻であることは広く伝えられている。 サウジアラビアのアブドラ国王も即位こそ5年前だが、それ以前からアラブ世界で最も豊かなこの国の実権を握っており、今や86歳の高齢だ。2人の独裁者は遠からずこの世を去り、その時、両国には変化がもたらされる。 もしかしたら、2人は思い通りに後継者に権力を継承できるかもしれない。ムバラク大統領は息子ガマール氏の世襲のために下地を固めてきた。アブドラ国王は、今も健在の兄弟18人のうち、スルタン皇太子を継承者に指名している。スルタン皇太子は以前から健康問題を抱えているが、同族の代わり

    laislanopira
    laislanopira 2010/07/20
    本当に倒れるべき独裁者、だけど今のところアメリカと仲がいいので倒れない
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