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思想とギリシャに関するlaislanopiraのブックマーク (10)

  • File101. 異国の文化と自分との結びつきを見つめる時に読む本|昨日、なに読んだ?|佐藤 二葉|webちくま

    ピエルドメニコ・バッカラリオ、フェデリーコ・タッディア『だれが歴史を書いてるの?』/イオアニス・ゼレポス『ギリシャの音楽、レベティコ』 紙の単行、文庫、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだってを読む。気になるあのひとはどんなを読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストは漫画『アンナ・コムネナ』を連載中の佐藤二葉さんです。 5年前、ギリシャ旅の最中、アテネ近くの港町ピレウスのタヴェルナ(ギリシャの庶民的な飲店)で、ギリシャの姉と慕っているアンナさんを前にして私は泣いていた。 アンナさんは私のことを「魂が古代ギリシア人」だと言ってくれる。アンナさん以外のギリシャ人にも何度かそのようなことを言われていた(これは単純に、私が古代ギリシアの竪琴を演奏しているからだと思う)。そのことがきっ

    File101. 異国の文化と自分との結びつきを見つめる時に読む本|昨日、なに読んだ?|佐藤 二葉|webちくま
  • 無数の断片の中に潜り込みながら――ドクメンタのナラティブ・テクニック/河南瑠莉 - SYNODOS

    今年で14回目を迎える現代美術の祭典「ドクメンタ」。5年に一度、ドイツの地方都市カッセルでは初夏から秋の開催期間にかけて街全体が「100日間の美術館」と化すのだが、今回は「アテネから学ぶ」という主題のもと、カッセルに先立ちアテネで展示がオープンするという異例の2都市開催となった。 かつては敗戦国ドイツ文化・芸術復興の象徴として出発し、今日まで世界最大規模の国際美術展として躍進してきたドクメンタが、この度その舞台の半身としてアテネを選んだことは、それだけでも非常に示唆的だ。未だに金融危機の爪痕を濃厚に残し、バルカンに面したEUの門戸として大規模の難民が流入するギリシアには、今日のEU社会が抱える問題とその希望の針路が集約されていると言えるだろう。 芸術監督アダム・シムジック(Adam Szymczyk)によってこの度アテネに託された「芸術による再生」という期待は、あるいは戦後ドイツにおいて

    無数の断片の中に潜り込みながら――ドクメンタのナラティブ・テクニック/河南瑠莉 - SYNODOS
  • REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 「ドクメンタ」は、美術展ではない。

    藤幡正樹 カッセルにドクメンタを観に行った。思った以上に楽しかったので、ここに報告させて貰うことにした。実際、今年のドクメンタは全体的に不評のようで、友人によればドイツ中の新聞や雑誌が軒並みこき下ろしているらしい。「自己正当化の神殿」(Zeit紙)、「要するに、難しく見せるということが重要なのだ」(Der Spiegel誌)、「まごうことなき大失敗」(Die Welt紙)、「今回のドクメンタはとても難しい」(focus誌)、「もしかしたらアートの役割は終わったのか? メディアが伝えるドクメンタ」(HNA)、南ドイツ新聞は「観客に指図するドクメンタ—アーティストもキュレーターも啓蒙せずに単純なメッセージに走り、政治ショーと化している」。今年を「スーパー・アートイヤー」と題して特集を打っているFAZ誌は好意的ではあるが、「今年のドクメンタは何から何まで違う」「ドクメンタではなくモニュメンタ——

  • 「国際関係」か「民主主義」か?――英国のEU離脱と現代欧州解体の構造/白鳥浩 - SYNODOS

    2016年6月23日は、国際関係に関心のある人間にとっては、歴史上の大きな出来事の起こった日として、強く心に残る日となったといえる。英国は、欧州連合(EU)の一国という「国際的な地位」を、投票という「民主的な手続き」によって否定したのであった。つまり、英国はEUからの離脱を選択したのである。 投票結果は、残留が48.1%であったのに対して、離脱が51.9%という僅差であった。また、投票率は72.2%を数え、国民の関心の高さを反映するものであった。 この英国のEUからの離脱は、国民投票が現実味を帯びてきた2015年ころから、「ブレグジット(Brexit)」という言葉を用いて議論されてきた。これは欧州通貨危機、いわゆる「ユーロ危機」に関して、ギリシャがEUから離脱することを、切り離すという「グレグジット(Grexit)」として揶揄した用語を意識したものである。英国の決定は、現代社会にとってどう

    「国際関係」か「民主主義」か?――英国のEU離脱と現代欧州解体の構造/白鳥浩 - SYNODOS
  • Amazon.co.jp: 学術都市アレクサンドリア (講談社学術文庫): 野町啓: 本

    Amazon.co.jp: 学術都市アレクサンドリア (講談社学術文庫): 野町啓: 本
  • アレクサンドロス大王の基礎を作ったアリストテレスの世界観:日経ビジネスオンライン

    何年か前のことだが、ギリシア人の友人の逆鱗に触れてしまったことがある。雑談の途中で、アレクサンドロス大王の話になり、私が「彼は、ギリシアのポリスではなくて、マケドニア出身だったよね」と迂闊な発言をした途端に、彼が爆発したのだ。 BC356年に生まれ、同336年弱冠20歳のときに、マケドニア王に即位。その後、わずか10年余りの間に、インダス川からバルカン半島およびエーゲ海沿岸まで、あるいは黒海沿いからエジプトはナイル川流域まで、広大な世界帝国を打ち立てたアレクサンドロス大王。 彼の伝記の中で、史実に基づく部分が多いと考えられ、中心的な文献とされるアッリアノスの『アレクサンドロス大王東征記〈上〉―付インド誌』(大牟田章訳 岩波文庫)は、その結び近くで、「当時、人類のいかなる種族いかなる都市といえども、およそアレクサンドロスの名が響きわたらなかったところとてはなかったし、アレクサンドロスの名を耳

    アレクサンドロス大王の基礎を作ったアリストテレスの世界観:日経ビジネスオンライン
  • ミリンダ王の問い - Wikipedia

    ミリンダ王とナーガセーナ 『ミリンダ王の問い』(Milinda Pañha, ミリンダ・パンハ)は、仏典として伝えられるものの一つであり、紀元前2世紀後半、アフガニスタン・インド北部を支配したギリシャ人であるインド・グリーク朝の王メナンドロス1世と、比丘ナーガセーナ(那先)の問答を記録したものである。パーリ語経典経蔵の小部に含まれるが、タイ・スリランカ系の経典には収録されていない(外典扱い)。ミャンマー(ビルマ)系には収録されている。 戦前のパーリ語経典からの日語訳では、『弥蘭王問経』『弥蘭陀王問経』(みらん(だ)おうもんきょう)とも訳される。 概要[編集] インド・グリーク朝 インド・グリーク朝は、アレクサンドロス3世(大王)による大遠征の後、その遺民たちにより、アレクサンドロスのディアドコイ(後継者)の地位を巡って引き起こされたディアドコイ戦争の中で建国されたセレウコス朝シリアと、イ

    ミリンダ王の問い - Wikipedia
  • Amazon.co.jp: ギリシア哲学入門 (ちくま新書 901): 岩田靖夫: 本

    Amazon.co.jp: ギリシア哲学入門 (ちくま新書 901): 岩田靖夫: 本
    laislanopira
    laislanopira 2013/02/04
    ソクラテスの議論の方法、プラトンの正義、アリストテレスの民主主義。しかし古代ギリシャの求める有徳性の限界を示し、レヴィナスやヘブライの宗教による他者との向き合い方を導入する
  • 枢軸時代 - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2021年12月) ギリシャの哲学者たち ラファエロ・サンティ『アテナイの学堂』(1510-11、フレスコ) 枢軸時代(すうじくじだい、ドイツ語: Achsenzeit英語: Axial Age)とは、ドイツの哲学者であり、精神科医でもあったカール・ヤスパース(1883年–1969年)[注釈 1] が唱えた紀元前500年頃に(広く年代幅をとれば紀元前800年頃から紀元前200年にかけて[注釈 2])おこった世界史的、文明史的な一大エポックのことである。枢軸時代の他に「軸の時代[1]」という訳語があてられることもある。 この時代、中国では諸子百家が活躍し、インドではウパニシャッド哲学や仏教、ジャイナ教が成立して、

    枢軸時代 - Wikipedia
    laislanopira
    laislanopira 2012/10/08
    長く続いた高度だけど変化のない大河の文明を引き裂いて登場した精神革命の時代
  • プラトンは目から何か出てると考えていた/邪眼派のプラトンと犬目派のエピクロス

    --------「俊明、何事にもすべて泣かざりければ、犬目の少将といわれけるぞ」(『十訓抄』) 邪眼と犬目は、ともに禍いをもたらすとされますが、その「機能」は正反対だと考えられます。 イタリアでは、邪眼のために絵画の絵の具がはげ落ちると言われており、そのために美術館では、絵を5秒以上見つめることを禁じています。 おそらくは、邪眼に見つめられた人も、同じ作用を被るというのでしょう。 見ることが何か、相手を傷つけるほどのものを「被視体」に与えること----邪眼の「機能」はここにあります。 それに対して犬目とは、涙を欠いた眼のことです。 その意味では、水に満たされた我々の眼球よりむしろ、その名の通りに内部が「空洞」なカメラ(写真機)により近しいのかもしれません。 その空隙を埋め合わすがごとく、犬目は「被視体」から何かを(例えば見つめられた者の魂を)受け取る、あるいは奪い取ります。 古代ギリシャの

    プラトンは目から何か出てると考えていた/邪眼派のプラトンと犬目派のエピクロス
    laislanopira
    laislanopira 2010/06/12
    目から視覚以外の情報(悪意とか)が入る、目から情報が放てる(呪いとか)という妄想は私の中にも根強く残る/ 視線を向けることと意識を向けることの相似
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