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思想と人生と批評に関するlaislanopiraのブックマーク (12)

  • コラムニスト・小田嶋隆が残した功績【追悼企画】──Vol.01:内田樹

    「鋭い批評性と親切心が同居する不思議な味わいがあった」小田嶋隆さんの訃報が届いたのは、禊祓いの行をしている途中だった。メールを読んでから道場に戻って行を続けた。小田嶋さんは、こういうのが大嫌いな人だったと思いながら、身勝手ながら供養のつもりで祝詞を上げた。 僕が最初に小田嶋さんの文章を読んだのは70年代終わりか80年代初めの、東京の情報誌『シティーロード』のコラムでだった。一読してファンになった。「若い世代からすごい人が出てきたな」とか「端倪すべからざる才能である」とか思って驚いたわけではない。ただ、「この人のものをもっと読みたい」とだけ思った。それだけ中毒性のある文章だった。それから彼の書くものを探して、むさぼるように読むようになった。 実際に拝顔の機会を得たのはそれから20年以上経ってからである。当時毎日新聞社にいた中野葉子さんが憲法9条をテーマにしたアンソロジーを編みたいというので僕

    コラムニスト・小田嶋隆が残した功績【追悼企画】──Vol.01:内田樹
  • 東浩紀による自伝的経営奮闘記──『ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる』 - 基本読書

    ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる (中公新書ラクレ) 作者:東浩紀発売日: 2020/12/11メディア: Kindle版この『ゲンロン戦記』は、ゲンロンという、SF作家養成や批評家養成スクールを開いたり、批評家や作家や哲学者らの対談イベントを自前のカフェで開いたり配信したりして利益を出している小さな会社を経営していた東浩紀氏の自伝的奮闘記である。経営であるというと基的には大成功を収めた人がその華々しい経歴やその経営哲学を語るものだが、作で描かれていくのは無残な失敗の連続だ。 それも、「それならしょうがねえよな」と同情してしまう失敗、というより理念や理想が先行してそのうえ行動力も伴っているがゆえに実態がまるで追いつかず、「そんなことやっているんですか……」と絶句してしまうような失敗が多。それを真摯に反省し、なんとかしようと奮闘し、また同じような失敗をして落ち込む……という繰り返しが

    東浩紀による自伝的経営奮闘記──『ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる』 - 基本読書
  • 『岡崎京子の研究』(アスペクト) - 著者:ばるぼら - 栗原 裕一郎による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

    著者:ばるぼら出版社:アスペクト装丁:単行(229ページ)発売日:2012-07-11 ISBN-10:4757220901 ISBN-13:978-4757220904 映画「ヘルタースケルター」のヒットで岡崎京子の名前を見ることが再び多くなった。一九八〇年代前半にミニコミや自販機エロなどからマンガ家としてのキャリアをスタートした岡崎は、九〇年代に入る頃にはカルチャースターとして独特の存在感を放つに至ったが、九六年に不慮の事故に遭って重度の障害を負い、以来、活動を休止している。 早いもので、もう十六年も経ってしまった(ALL REVIEWS事務局注:書評執筆時期は2012年)。 書は、作家研究とも一種の評伝とも見ることができるが、いずれにせよ読者が目を見張る、あるいは戸惑うのは、異様なほど詰め込まれた情報の量だろう。 「岡崎京子の前史」「~黎明期」「~初期」「~中期」「~後期」と

    『岡崎京子の研究』(アスペクト) - 著者:ばるぼら - 栗原 裕一郎による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
  • タグ : 私たちの気付かない漫画のこと 一覧ページ|Zing!

    情報コンテンツサービス終了のお知らせ 2020年9月30日(水)をもちまして、以下コンテンツを終了いたしました。 【終了するコンテンツ】 Zing! 長らくご愛顧いただきました皆さまに感謝を申し上げますとともに、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。 トップページ - サイトマップ - お問い合わせ

  • 先制第一撃批判――新芸術校成果展講評の余白に - REALKYOTO

    2016年2月26日に開催された「ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校」の第一期成果展「先制第一撃」の講評会に審査員として参加したのだが(他の審査員は岩渕貞哉と夏野剛、そして主任講師の黒瀬陽平とゲンロン主催者の東浩紀)、講評会という性格と時間の制約のため複雑な問題もかなり乱暴な形で語るほかなかった。講評会は公開され、ニコニコ動画でも中継されたので、誤解の余地を少なくしておいたほうがいいと考え、以下に私の発言の一部に補足を加えたものをあらためて公開する。 * 新芸術校の主任講師である黒瀬陽平さんは、どこかで授業を聞いて、ぼくは良い教師ではないと判断したらしい。それで、ぼくは新芸術校の授業に呼ばれたことがない。「そもそも良い教師・良い学校などという幻想を抱くべきではなく、すべての教師は反面教師でありすべての学校は廃墟であると考えるべきだ」という持論のせいかもしれませんが、確かにぼくは人にものを

  • 人生の一冊『生きがいについて』批判

    第2次世界大戦中、生還した戦闘機の研究において、意見の対立が生じた。被弾した箇所を補強すべしと主張する軍部と、そこを補強しても効果ないとする統計学者の対立である。 もちろんこれは、典型的な選択バイアスの話だ。得られたデータは帰還できた(=被弾しても生還した)戦闘機に基づくものだから、被弾箇所は致命的な部位ではなかった。従って、ケアするべきは被弾しなかった場所から逆推理することになる。これは、「苦情窓口に寄せられた要望」や「からのサバイブ」、そして「逆境を克服した生きがい」も同様である。諦念や絶望により、伝わらなかった事例は、予め除かれている。 神谷美恵子の『生きがいについて』は、生きるはりあい、生きる意味、人生のやりがいというキーワードとともに、古今東西の哲学者や聖者、賢人の言葉をひもとき、著者自身が勤務するハンセン病療養所の例と照らしながら、「生きがいとは何か」について考察する。 人は

    人生の一冊『生きがいについて』批判
  • 理由は「カネがないから」ではなかった!なぜか急増中の若手批評家が飯を食わないワケ

    職あればあり 人はべるために働くのか、それとも、働くからべなければならなくなるのか。そんな素朴な疑問を解き明かすべく、さまざまな職業に従事する人々のランチ人生を追いかける。「職」と「」の切っても切れない関係を解きほぐす、お仕事紹介ルポ。 バックナンバー一覧 「これは批評家に限らずではありますが」と断った上で、若手批評家の田中二郎さん(仮名、30代)が言う。 「もの書き業は全般に、文のプロレタリアートです」 身も蓋もないが、そういう側面は否めない。にもかかわらず、批評の世界だけはクビを傾げたくなる現象も起きている。 「どういう訳か、なりたい人はたくさんいるんですよ」 養成講座を開くと、たちまち数十人の若者が押し寄せる。マーケット的に言えば、需要はないのに供給ばかりが増えている状況だ。 「なんか、ヘンですね」 「そうなんです」 ネットのおかげで門戸は広がったが… デビューしても批評だ

    laislanopira
    laislanopira 2014/03/20
    キャラが立たないと注目が集まらず仕事が来ない。キャラさえ立てればアイドル化しても中身が自己啓発になっても…/ それでも自分の足場を問い直し、長いスパンで社会の認識を変える醍醐味
  • 『小林秀雄対話集 直観を磨くもの』文庫解説 by 石原千秋 - HONZ

    「わかる」ことと「わからないこと」のはざまで 恥ずかしい思い出話からはじめよう。 私にとって小林秀雄の批評は高校生時代の愛読書だった。当時は文庫でかなり出ていたから、文庫にあるものはすべて読んだ。初期の「様々なる意匠」も当然読んだ。それで、文学青年でもあった担任の国語の先生に、「こんど、「ようようなるいしょう」を読みました」と、自慢げに報告した。一瞬間があって、先生は「そうか」とだけ言った。 大学生になればさすがに、これはこの批評が書かれた当時流行していたイデオロギーを「さまざまなる意匠」にすぎないと喝破した、小林秀雄の原点をなした批評だとわかった。高校生時代の恩師の「そうか」という一言がここで効いた。恩師が賢しらに「さまざま」だと訂正しなかったことが、私のその後の理解を深めたように思う。 教育は、こういうものかもしれない。今度、小林秀雄の「対話集」を読みなおして、彼の放言に近い言葉の数々

    『小林秀雄対話集 直観を磨くもの』文庫解説 by 石原千秋 - HONZ
  • nix in desertis:一人ロマン主義全部(ターナー展)

    都美のターナー展に行ってきた。水彩画中心ではあったが,なかなか豪華で量もあり,満足のいくものであった。 ターナーというと,表題にした通り,一人でロマン主義を一通りやってしまったという印象がある。ロマン主義と一括りにはするものの,実際の中身は多種多様だ。これはロマン主義という言葉の多義性もあるが,何より「筆致・主題のどちらかが古典主義からもロココからも外れてたらロマン主義」みたいなところはあり,これが雑多になっている原因である。C.D.フリードリヒは,筆致はパリッパリの古典主義だが,主題が崇高に寄りすぎているのでロマン主義だ。一方ドラクロワは主題が比較的古典的でも,筆致が全く外れているのでやっぱりロマン主義である。 こんな人為的な分類無意味なんじゃないかと言いたくなるような状況だが,ひるがえって,ターナーはどっちも描ける。というよりも,最初は主題が崇高なだけであったが,歳をとっていくにつれて

  • 宇野常寛と脱洗脳――小さな成熟へ向かって - A Mental Hell’s Angel

    宇野常寛は東浩紀ファンを非モテ理論武装系レイプファンタジー人間として批判した。最初からレイプしたいのにそれを倫理的に偽装しているという捻れの問題化である。東からその実在性を再批判されていたが、Twitter、ブログ、オフ会などの僕の観測範囲内では、実在すると言って良い。東クラスタは私見では非モテかメンヘラ女子ハンターが多いように思われる。ちなみにザ☆ルサンチマンハンター小野というWEB漫画があるのだが、これは宇野常寛とその周辺の言説空間への批評として優れている。http://rusahan.web.fc2.com/ 宇野常寛はルサンチマンに対して「小さな成熟」を推奨する。例えば卑近な例を挙げれば、もし当は三次元の女と付き合いたいのに自分に嘘をついてエロゲをやっているのだとすれば、「素直」にそれを口にし漸進的に努力すべきだということである。これは決断主義的トークラジオAliveにて何度も主

  • 国際的穏健派の誕生:アメリカにいる日本人を観察してみて | quipped

    渡米してから13年近くなるのだが、つい最近まで、日から渡米してきた日人に会う機会がほとんどなかった。ぼくは高校はニューヨーク市で過ごしたし、大学は西海岸なので、物理的な意味での周囲には、たくさん日人がいたのだろうが、なかなか知り合うことがなかった。ひょっとしたら英語を覚えたり、アメリカで生活していくことに必死で、日人と時間を一緒に過ごす精神的な余裕がなかったからかもしれない。 何はともあれ、アメリカにいる日人を観察していて、気がついたことがある。彼らの価値観は、一世代前に渡米してきた日人のそれと、大きく異なっていることだ。ざっくり言ってしまえば、20−30年前に渡米してきた日人は、アンチ日の方々が多い。ことあるごとに日アメリカを比べ、いつも結論は、「これだから日は...」という批判的なものに収束する。それに比べ、この一年少しで出会った滞米中の日人は(舌足らずな表現に

  • ある中二病アニメオタクの半生 - あままこのブログ

    まどマギについてずーっと引き続きtwitterで愚痴っている中で、ふと、何で自分がここまでまどマギを大嫌いなのか、自分史と照らし合わせて考えてみたくなった。 そこでちょっと自分(1987年生まれ)のアニメ視聴史を振り返って、なんでこんなことになってしまっているのか、整理しようかなと思ったり。 幼少期(1987年〜1997年) まずこの頃に見ていたアニメは、主に下記の三種類に分かれる ジブリ系 子どもアニメ系(ドラえもん、クレヨンしんちゃん) 『無責任艦長タイラー』、『天地無用』などの90年代前半おたく系アニメ これらの内、ジブリ系はもはや説明不要だろう。要するにとなりのトトロとか、魔女の宅急便とか、あるいは天空の城ラピュタとか、そういうスタジオジブリの劇場アニメ作品である。 天空の城ラピュタ [Blu-ray]posted with amazlet at 11.09.09スタジオジブリ (

    ある中二病アニメオタクの半生 - あままこのブログ
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