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思想と本とこころに関するlaislanopiraのブックマーク (45)

  • 「読む」とき、何が起こっているのか?──『読めない人が「読む」世界:読むことの多様性』 - 基本読書

    読めない人が「読む」世界:読むことの多様性 作者:マシュー・ルベリー原書房Amazon読書は日常的な行為ではあるが、実はそのやり方は人によって大きく異なる。書かれている文字を読んで、その意味を理解したり解釈したりするっていうだけでは? と思うかもしれないが、そこに収まらない読み方をする人が多数いるのである。 書『読めない人が「読む」世界』(原題:Readers Block)は、型破りな方法で読む人を取り上げていく一冊だ。たとえば認知症の患者は、少しずつ記憶が抜け落ち、短期的な記憶力も低下していく。長篇がスラスラ読めた人であっても、認知症が進行するにつれ、一ページ分の記憶も持たなくなり、話の筋が追えなくなる。そうした人たちは単純に「読む」という営みから除外されるのかといえば、そうではない。 ある認知症患者は長篇を読む喜びを諦めた代わりに短篇をじっくりと読み、楽しむ方向に切り替え、物語の展開

    「読む」とき、何が起こっているのか?──『読めない人が「読む」世界:読むことの多様性』 - 基本読書
  • 『誤謬論入門 優れた議論の実践ガイド』を読んだ - こまぶろ

    3月に発売されたばかりの『誤謬論入門 優れた議論の実践ガイド』(原題:Attacking Faulty Reasoning)*1を読んだ。 誤謬論入門 優れた議論の実践ガイド 作者:T・エドワード・デイマー九夏社Amazon 原書は、非形式論理学・クリティカルシンキングの教科書として使われているもので、初版が1980年、今回の翻訳の底となっている第7版が2013年の出版と、帯に謳われている通りの「ロングセラー」のようである。 自分はこの分野が専門だったわけでもないのだが、論理学には学生時代少し興味があったし、どうすれば議論を実りのあるもの、平行線を辿らずに済むものにできるかということを意識する機会も多いので、この翻訳の紹介を見てすぐ予約購入した。 「前件否定の誤謬」や「規範的前提の欠如の誤謬」といった「論理学らしい」誤謬のほかに、「藁人形論法」や「お前だって論法」といったTwitte

    『誤謬論入門 優れた議論の実践ガイド』を読んだ - こまぶろ
  • ぼっちを救うためのストア哲学 - 本しゃぶり

    なぜぼっちは恵まれているのに苦しむのか。 それは心像に負けているからである。 幸福になりたければストア哲学を実践しろ。 暗く狭い場所にて 『ぼっち・ざ・ろっく!』の人気が凄い。 1話の時点からクオリティが高いなと思っていたが、回を増すごとにどんどん人気が高まっている。最近はTwitterを開くたびにファンアートが流れている印象がある。 もちろん俺も楽しんで見ているわけだが、つい思ってしまうことがある。作の主人公、ぼっちこと後藤ひとりに対して、「こいつ、持っているな」と。 『ぼっち・ざ・ろっく!』第1話 感受性。創造力。優れた容姿。生まれの良さ。練習を持続する意志。アリストテレスならば、彼女のことを「外的な善を持ち合わせている」と評するだろう。 だが何よりもぼっちは、卓越した演奏技術、すなわちギタリストの徳(アレテー)を持っている。これほど素晴らしいことがあるだろうか。 しかし当のぼっちは

    ぼっちを救うためのストア哲学 - 本しゃぶり
  • 『人生はゲームなのだろうか?』──思考演習なのはわかる。でもゲーム観が古く読みにくい - シロクマの屑籠

    人生ゲームなのだろうか? ――〈答えのなさそうな問題〉に答える哲学 (ちくまプリマー新書) 作者:平尾昌宏筑摩書房Amazon 上掲リンク先のに気が付いたのは、発売される直前ぐらいだったように思う。 「人生ゲームなのだろうか?」。 ゲームを愛好し、さまざまな事物をゲーミフィケートすることで効率化し、理解の助けにしている私のような人間にとって、これはフックに釣られるしかない、タイトル買いせずにいられないだった。もとより哲学者の先生が書いてらっしゃるなのだから、人生ゲームに相いれない部分があると導かれるのは読む前から想定されることではある。が、ゲームに関心があり、かつ哲学の道筋で人生について考えてみたい人なら、(私と同じく)手に取って読んでみたく思うかもしれない。 論理が首尾一貫し、思考のトレーニングとなる 前半において、このは、ゲームについて最初に以下のように定義を行う。 ゲ

    『人生はゲームなのだろうか?』──思考演習なのはわかる。でもゲーム観が古く読みにくい - シロクマの屑籠
  • 「こころ」の深層に触れる3冊 『なりすまし』『誰がために医師はいる』『ネオ・ヒューマン』 - HONZ

    情報の洪水の現在、私たちにとって何が正解でどれが間違いなのか。特に目に見えない「こころ」の問題はなおさらだ。 例えば1973年1月に『サイエンス』誌に掲載された米の心理学者デヴィッド・ローゼンハンの「狂気の場所で正気でいること」という現在でも版を重ね引用されている研究について。 これは実験者に偽の幻聴を訴えさせ精神病院に送り込み、統合失調症と診断させた実験で、正気な人とそうでない人とを区別する信頼に足る基準がないと結論付けている。 これに疑問を持ったのが『なりすまし』の著者だ。彼女はかつて精神病と診断されたが、実は自己免疫疾患だったことが判明し、治療で完全寛解した過去を持つ。興味を持つのは当然だ。 だがローゼンハンを含め関与した人の多くは鬼籍に入り、数少ない体験者の証言と残されたデータと突き合わせると多くの矛盾が生じた。彼がこの実験を行ったのはなぜか。権威を求めたのか、利益のためか、謎を解

    「こころ」の深層に触れる3冊 『なりすまし』『誰がために医師はいる』『ネオ・ヒューマン』 - HONZ
  • 人はなぜ遊ぶのか『遊びと人間』

    じゃんけんからサッカー、コスプレからワルツまで、古今東西、老いも若きも、人は様々な遊びを楽しんできた。「遊ぶこと」それ自体を目的とする行為を、なぜ人はするのか。 この疑問に対し、ロジェ・カイヨワが、神話や文化人類学、歴史学や社会学から解きあかしたのが『遊びと人間』だ。 「遊び」といってもその範囲は膨大だ。一人でするもの、複数でするもの、人数が決まっているものや、道具の有無、時間や場所が指定されているもの、厳密にルール化されているものから、自由度の高いものまで、つかみどころがない。 これを捌いていく手際が鮮やかだ。 まず、遊びを定義することで、外堀を埋める。つまり遊びとはこういうものなのだ。 強制されず、自由な活動 生活から隔絶され、予め決められた時空間に制限される 展開が決まっておらず、創意の工夫が残されている 富を生み出さない、非生産的な活動 ルールがあり、そのルールだけがその場で通用す

    人はなぜ遊ぶのか『遊びと人間』
  • 「右派が持っていて左派に決定的に足りないもの」とは一体何か?(ブレイディ みかこ,石戸 諭) @gendai_biz

    『ルポ 百田尚樹現象〜愛国ポピュリズムの現在地』著者でノンフィクションライターの石戸諭さんと、ベストセラー『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の著者で、新刊『ワイルドサイドをほっつき歩け』も大きな話題となっているブレイディみかこさんの特別対談、後編! 前編はこちら:安倍首相も小池都知事も「空虚だけど支持される」現実をどう理解するか 文学に人生を賭けようとした百田青年 石戸 僕は『ルポ 百田尚樹現象〜愛国ポピュリズムの現在地』の取材で、百田さんがあまり明かしてこなかったこと、しかし非常に大事なファクトを見つけました。彼は同志社大学の学生だった1980年に、『群像』の新人賞に小説を応募していることです。「古屋」という小説を書いていて、一次選考を突破し、紙面に名前も掲載されています。 当時の『群像』の新人賞は、百田さんが応募した前年は村上春樹さん、後年は笙野頼子さん、数年前には村上龍

    「右派が持っていて左派に決定的に足りないもの」とは一体何か?(ブレイディ みかこ,石戸 諭) @gendai_biz
  • 「いまを生きる」に自覚的になる『瞬間を生きる哲学』

    tumblr で知った仏陀の言葉が好きだ。 過去にとらわれるな 未来を夢見るな いま、この瞬間に集中しろ Do not dwell in the past, Do not dream of the future, Concentrate the mind on the present moment. そう、わたしは過去や未来ばかり見る。やったことを後悔し、不確かなことを心配する。ああすれば良かったと憤慨し、こうなったらダメだと心を痛める。 この、今を後回しにする生き方を批判し、「いま」「ここ」に充足する方法を考察したのが『瞬間を生きる哲学』だ。哲学や芸術から援用し、瞬間を生きるための具体的な技術を指し示す。 生のユーティリティ化 たとえば、今を後回しにして、「何かのため」に生きる生き方を、「生のユーティリティ化」と喝破したところがすごい。ユーティリティとは、「有用性」「効用」と訳され、何ら

    「いまを生きる」に自覚的になる『瞬間を生きる哲学』
  • 笑いのしくみを探る『喜劇の手法』

    笑うのは人間だけだとアリストテレスが言ったとか。 真偽ともかく、大きな口をあけて、アッハッハと哄笑するのは楽しい。いや、楽しいから笑うのか。この笑い、可笑しさ、ユーモアについて考えるのに、有用な一冊が『喜劇の手法』だ。 「人はなぜ笑うのか」という漠然とした疑問に対し、『喜劇の手法』は、喜劇を通じて笑いの仕組みに迫る。しかも、シェイクスピアやモリエール、ゴーゴリの作品から具体的な例を挙げ、劇作家たちが、どんな手法を用いて観客を笑わせるかを吟味している。 書がすごいのは、紹介される喜劇を観ていなくても面白さが伝わるところ。技法を分類し、それぞれにおいて特徴的なシーンに焦点を当て、その背景とともに脚を抜き出してくる。こんな風に。 だます(変装、一人二役、嘘、変身) 迷う(双生児、偶然の一致、反復、循環、逆転) 間違える(誤解、身代わり、自縄自縛、誤算) 語る(傍白、アイロニー、沈黙と間、機知

    笑いのしくみを探る『喜劇の手法』
  • 上西充子『呪いの言葉の解きかた』 - 紙屋研究所

    昨年ぼくは「ご飯論法」の命名者の一人として流行語大賞をいただいた。「朝ごはんをべましたか?」という問いに、米飯はべていないがパンはべたという事実を隠して「ご飯はべておりません」と答弁する……このタイプのごまかしを安倍政権がやっているのではないか、という欺瞞の告発が形になったものが「ご飯論法」というネーミングであった。 kamiyakenkyujo.hatenablog.com だがぼくの方の受賞はおまけみたいなもので、実際には、共同受賞した上西充子・法政大教授がこの手法を見抜き、暴いたことがまさに受賞の中心である。 受賞の時に会場の近くのスタバで初めてお会いしたが、その時も、上西はこの論法が従来の霞ヶ関文学による単なる「ごまかし答弁」「あいまい答弁」とはどう違うかを厳密にぼくに語っていた。ぼくのツイッターのタイムラインに上西のツイートが流れてくるが、“リベラルっぽいツイート”に雰囲

    上西充子『呪いの言葉の解きかた』 - 紙屋研究所
  • 秘密の悩みは、バーチャル師匠に相談せよ

    精神的にヤバいとき、どうするか? 自分ではどうしようもできず、かつ、誰にも相談できない悩みだったら、どうするか? そんなとき、バーチャル師匠を召喚する。いわば仮想的な師匠である。 バーチャル師匠とは あらかじめ「人生の師」を決めておき、困ったときに相談する。師から直接、教えを受けてなくてもいいし、生きている必要すらない。師を模範として慕い、学んでいればいい。それこそ、マスター・ヨーダを師としてもいい。私淑と呼ばれる方法で、『アイデア大全』(読書猿、フォレスト出版)から学んだ。 700年前の詩人ペトラルカも、私淑を実践した一人だ。 彼は詩人としての名声を博してはいたものの、うつ病に悩まされ、精神的危機に陥っていた。自己欺瞞による惨めさと、絶対に叶うことのない恋と、欲情が生み出したドロドロの愛憎関係に悩まされていた。 誰にも言えない悩みだから、脳内で相談する。彼にとっての、バーチャル師匠はアウ

    秘密の悩みは、バーチャル師匠に相談せよ
  • とてつもなく変態で、ありえないほど文章がうまい──『動物になって生きてみた』 - HONZ

    どうやったら、我々人間は動物の感覚にもっと近づくことができるのだろう。たとえばアナクマのように巣穴で眠り、森を徘徊して獲物を物色する。たとえばカワウソのように水辺に住んで魚やザリガニをべて生き、ツバメのように空を飛び、糞を撒き散らす。そうやって動物たちと同じように生きたら、彼らがみている世界を追体験できるのではないだろうか? そんな、言っていることはわからないでもないが自分でやろうとは思わないことをまともにやってしまった狂人が、書の著者であり、2016年のイグノーベル賞の生物学賞を受賞したチャールズ・フォスターである。狂人とは言い過ぎで、著者に対する敬意を欠いているのではないか? と思うかもしれないが、この記事を読み進めてもらえればその事実が把握いただけると思う。 人間とキツネなど他の動物たちとの間には境界があると著者はいう。それは当然だ。我々はキツネと子どもを作ることはできないし、カ

    とてつもなく変態で、ありえないほど文章がうまい──『動物になって生きてみた』 - HONZ
  • タグ : 私たちの気付かない漫画のこと 一覧ページ|Zing!

    情報コンテンツサービス終了のお知らせ 2020年9月30日(水)をもちまして、以下コンテンツを終了いたしました。 【終了するコンテンツ】 Zing! 長らくご愛顧いただきました皆さまに感謝を申し上げますとともに、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。 トップページ - サイトマップ - お問い合わせ

  • 『分析哲学講義』はスゴ本

    「哲学が何の役に立つのか?」という疑問が愚問になる時がある。 それは、否が応でもせざるを得ない思考の格闘が、ずっと後になって哲学と呼ばれる活動であることを知ったとき。似たような思考の罠はハマった先達がたくさんいて、そこで足掻き、抜け出すために様々な議論の道具、視点、レトリック、そして観念そのものが成果としてあることが分かったときだ。 書を読むと、自分で見つけて取り組んできた「問題」に、ちゃんと名前があり、応答(≠解答)があり、さらに批判と解釈が続いていることに気づく。このせざるを得ない問答に、たまたま哲学という名前がついているだけであって、役に立つ/立たない以前の話なんだ。もういい齢こいたオッサンなのに、この格闘は終わらない。なしですませられるなら羨ましいが、それは畜生にはニンゲンの悩みがなくていいね、というレベルだろう。考えることを、やめることはできない。 語りかける講義調で、ときには

    『分析哲学講義』はスゴ本
  • 世界との関わり方が変わる10冊 #2015 - RyoAnna

    今年の夏頃からブログの書き方を変えた。以前は読んだを紹介することに重きを置いていたが、いまはを媒介にして自分の感じたことを書こうとしている。すると自然に、記事のタイトルからの題名が消えた。 なぜを読むのか。それはひらめく準備をするためだ。直接関係がない知識でも、物事の原理を知っていると別の分野で繋がることがある。読んだ直後は役に立たなくても、時間が経つと繋がることがある。 今回は、世界との関わり方が変わるを紹介したい。人生の特効薬にはならないかもしれないが、読み終えると世界の見方が少し変わるはずだ。 デザイン 誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論 作者: D. A.ノーマン,岡明,安村通晃,伊賀聡一郎,野島久雄出版社/メーカー: 新曜社発売日: 2015/04/23メディア: 単行この商品を含むブログ (6件) を見る 上と下の向きが分からないUSB

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  • 我々の日々の半分は地球の暗い部分で過ぎる──『失われた夜の歴史』 - 基本読書

    失われた夜の歴史 作者: ロジャー・イーカーチ,樋口幸子,片柳佐智子,三宅真砂子出版社/メーカー: インターシフト発売日: 2015/01/24メディア: 単行この商品を含むブログ (8件) を見るじっくりと考えてみるまでもなくこの世界において夜は──「半分」を占めている。であればこそ、夜を抜きにして語られた歴史来の歴史の半分しか語られていないといえる。書『失われた夜の歴史』は、産業革命以前の「まだ、明かり(主に蝋燭)がそれほど多数に行き渡らず、高価だった時代」の中世ヨーロッパに焦点をあて、夜に人々がどのように生き、どのような行動が起こり、またどのような考えを抱いていたのかを様々な側面、一次資料から徹底的に洗いだした凄まじい力作である。 夜? 昔の人は寝てたんでしょ、と単純に思うかもしれない。もちろん、今とおなじく大半の人は寝ていた。覆しのようのない真っ暗闇の中で。強制的に執行され

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  • 本を読むときに何が起きているのか/ピーター・メンデルサンド: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 僕らはごく普通に「あのはわかりやすい、このはわかりにくい」などと言ったりします。 でも、そもそも「がわかる」というのはどういうことなんでしょうか? 作者の綴る言葉から何がわかればわかったと感じ、わからない場合はどういう意味でわからないと感じるのでしょう。作者の言うことがそもそもわからないのか、何を言っているかはわかっても、だから何なのか?がわからないのか。 そして、わかりやすさやわかりにくさは、そもそも、それぞれのがもつ特性なのでしょうか? あるは、ある人にはわかりやすく、また別の人にはわかりにくいかもしれません。ある人にとってわかりやすいでも、それがおもしろいかどうかはまた別物だったりするし、その面白さもまた人によって異なるでしょう。 百聞は一見にしかずと言い

    本を読むときに何が起きているのか/ピーター・メンデルサンド: DESIGN IT! w/LOVE
  • わたしたちの世界は、わたしたち自身だ『生まれながらのサイボーグ: 心・テクノロジー・知能の未来』 - HONZ

    作者:アンディ・クラーク 翻訳:呉羽 真、久木田 水生、西尾 香苗 出版社:春秋社 発売日:2015-07-24 「サイボーグ」といえばまず真っ先に、義体が当たり前になった近未来世界を描く攻殻機動隊シリーズや、そのままずばりタイトルに入っている石ノ森章太郎原作の『サイボーグ009』シリーズに代表されるイメージを思い浮かべる人が多いかもしれない。その特徴を一つ上げるならば、生身の人間ではなく一部だったり全体だったりが機械の身体に置き換わっていることだろう。 書が提示するサイボーグ観 ところが書が提示するサイボーグ観はアニメ・漫画的な「身体のどこかが機械に置き換わったもの」とは大きく異なっている。そもそも、元々「サイボーグ」が意味するところは、「サイバネティックな有機体」あるいは「サイバネティックな方法でコントロールされた有機体」を表す略語であり、『それは、人間─機械間の融合という考え方と

    わたしたちの世界は、わたしたち自身だ『生まれながらのサイボーグ: 心・テクノロジー・知能の未来』 - HONZ
  • 國分功一郎が選んだ、いま読むべき“哲学”にまつわる3冊|ブックス & ミュージック & アート(本・書評)|GQ JAPAN

    現代の政治ではなにが行われているのか。その原点を探るには、哲学を知ることが近道だ。哲学者・國分功一郎氏がさらっと読める良書をセレクト。 文・國分功一郎   写真・小嶋晋介 1 『斜めから見る─ 大衆文化を通してラカン理論へ』 著者 / スラヴォイ・ジジェク 訳 / 鈴木晶 ¥2,600 青土社 映画を通じて”哲学”を知る スロベニアの哲学者、スラヴォイ・ジジェクによる透視図法。難解と言われるラカン派精神分析学をわかりやすく解き明かす。ジジェクにはじめて触れるのにもちょうどいい一冊である。 2 『哲学初歩』 著者 / 田中美知太郎¥1,000 岩波現代文庫 入門書で基を学ぶ 哲学者・田中美知太郎による哲学の根問題を探り、哲学の究極において求められているものを探求する。初歩的な問題を解き明かしていく良書だ。著者は日西洋古典学会設立メンバーでもある。 3 『ソクラテスの弁明』 著者 / プ

    國分功一郎が選んだ、いま読むべき“哲学”にまつわる3冊|ブックス & ミュージック & アート(本・書評)|GQ JAPAN
  • レイプの遺伝子『暴力の解剖学』

    もちろん、レイプの遺伝子なんてものはない。だが、レイプは「遺伝」するのかという問いには、非難と議論の渦中から、様々な応答がなされている。 たとえば、『人はなぜレイプするのか』[レビュー]は進化生物学の観点から解き明かす。結論からいうと、養育の投資量の男女差になる。男は養育の投資量が相対的に少ないため、繁殖のため多数の相手に関心を向ける。一方で女は、妊娠、出産、育児に多大な時間とエネルギーを費やされるため、男選びに慎重になる。このセクシャリティの差が、レイプの究極要因だというのだ。 ただし、レイプそのものが適応かどうかについては判断を保留し、フェミニストの立場からの「学習理論」を紹介することで、バランスを取ろうとする。すなわち、レイプとは男性位の歪んだ文化によってもたらされたという立場だ。挑発的な表紙とタイトルとは異なり、慎重にロジカルに議論を整理している。 一方、『暴力の解剖学』は大幅に

    レイプの遺伝子『暴力の解剖学』