吉田義之(1908年)『人寿説』より、「小彦名命、炎帝神農氏及びヒポクラテスの肖像」。 ヒポクラテス崇拝(ヒポクラテスすうはい)は、江戸期以降の日本における、西洋医学の祖であるところのヒポクラテスを信仰の対象とする習俗のことである。 旧来の日本において、漢方医は中国神話の神農や、日本神話の大己貴神・少彦名神といった薬祖神を祀ることが多かったが、これに対して新興勢力の蘭方医は、ヒポクラテスを自らのシンボルとして用いた。江戸期の日本においては神農画が多く描かれたが、幕末から明治期にかけてはその延長上のものとしてヒポクラテス画が描かれ、信仰の対象となった。 日本における薬祖神[編集] 薬祖神祠。神農・少名彦・大己貴命に加え、ヒポクラテスを祭神として扱っている。 ヒポクラテス崇拝以前より、日本においては医療の始祖と語り継がれる各種の神(薬祖神)が信仰されてきた。伝統的に信仰されてきた薬祖神は、中国