今月(5月)1日、水俣病の患者・被害者団体との懇談の場で、環境省側が持ち時間を過ぎたとして団体側のマイクの音を消し、発言を遮った問題。今回のような問題は、水俣病の長い歴史の中で繰り返されてきました。「…
今月(5月)1日、水俣病の患者・被害者団体との懇談の場で、環境省側が持ち時間を過ぎたとして団体側のマイクの音を消し、発言を遮った問題。今回のような問題は、水俣病の長い歴史の中で繰り返されてきました。「…
不知火海とともに生きた詩人・作家、石牟礼道子(1927~2018)。『苦海浄土』をはじめとする彼女の作品に、浄瑠璃、説経節、近代以前の地誌や紀行文など、広く〈古典〉と呼びうるジャンルやテ… 不知火海とともに生きた詩人・作家、石牟礼道子(1927~2018)。 『苦海浄土』をはじめとする彼女の作品に、浄瑠璃、説経節、近代以前の地誌や紀行文など、広く〈古典〉と呼びうるジャンルやテクストからの影響や引用が認められることはつとに知られている。 しかしながら、その実態はいまだ明らかにされていない。 石牟礼道子は、〈古典〉をいかに受容し、自らの文学をものしたのか。 石牟礼の思想と文学は、〈いま〉を生きる表現者たちにどのような影響を与えたのか。 日本文学・民俗学・歴史学・演劇学・環境文学を専門とする研究者と、詩・音楽・能楽・染織・演劇に携わる表現者が、その答を探る。 論文、エッセイ、インタビューに加え、
ゴリラ30連マグフルオート @Goliback1234v >>江戸時代に入り各地で海苔の養殖が行なわれたが、タネ(胞子)代 が 高く、天候や海水温度にも左右され海苔漁民達は海苔養殖に先行投資 しても回収が伴わずに経済的に危険でリスキーな職業と見られていた。 いわゆる相場商品であり「運草」とも呼ばれていた。 web.archive.org/web/2014051715… 2023-02-25 14:18:54 リンク 歴史好き≪ナンチャッテ≫100kmウォーカーの憂鬱 37話・ドリュー女史 日本の海苔漁民を救った英国人女性科学者 - 歴史好き≪ナンチャッテ≫100kmウォーカーの憂鬱 - Yahoo!ブログ 海苔は古来は7世紀頃から食材であっとされるが戦後まで1300年間 もの間、貴重な高級食材でありつづけた。 江戸時代に入り各地で海苔の養殖が行なわれたが、タネ(胞子)代 が 高く、天候や
戦時中、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(熊本県合志市)の入所者に対し、陸軍が「虹波」(こうは)と名付けた薬剤を投与する人体実験を行い、9人が死亡したことを示す文書群を、同園が初めて開示した。同園での人体実験で死者が出ていたことは知られているが、1次資料の全容が明らかになったのは初めて。死者や重体患者が相次いでも軍嘱託の医学者たちが投与を続けたことが記されており、専門家は「当時の医学倫理に照らしても残酷な人体実験で、文書群を検証すべき」と話している。 京都新聞社と熊本日日新聞社が情報公開請求した。虹波は写真の増感材として開発された感光色素を合成した薬剤。防衛研究所戦史研究センター(東京都)所蔵の旧陸軍資料によると、虹波の研究目的は「戦闘に必要なる人体諸機能の増進」「極寒地作戦における耐寒機能向上」などとされている。実験は機密軍事研究の一環だった。 今回開示された恵楓園の虹波関係簿冊は25点
日本の城跡から見つかった謎の地下室 ユダヤ教の沐浴施設の可能性 https://t.co/83Q7HbQURc — 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) September 19, 2022 熊本県人吉市の人吉城跡敷地内に「謎の地下室」の遺構があるのはご存じでしょうか? この地下室は何のための施設だったのか――。遺構の謎に迫るシンポジウムが24日、同市内で開かれる。 遺構が発見されたのは約25年前。当時からこの謎に取り組んできた郷土史家らが、東京大の市川裕・名誉教授(ユダヤ教専攻)や岡美穂子・准教授(日本キリスト教布教史専攻)、山形大の松尾剛次・名誉教授(日本宗教史専攻)を招き、見解を聞く。 郷土史家らがこれまで市川名誉教授らから得てきた情報によると、人吉城跡の地下遺構は「大きさや構造からユダヤ教の身を清める沐浴施設ミクヴェといっていい」という。 なぜ、ユダヤ教なのか。
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地震で倒壊し、空き地になった町屋の跡地を指さす地元の元自治会長、毛利秀士さん=3月30日、熊本市中央区新町 2016年4月の熊本地震で被災した熊本城が、天守閣の復旧を終えて勇壮な姿を取り戻しつつある一方で、お膝元の新町・古町地区(熊本市中央区)は急速に城下町らしさが失われている。伝統的な木造住宅「町屋」は被災して解体され、地震前からほぼ半減。マンションや駐車場に姿を変え、空き地も目立つ。風情ある街並みを残し、現存する町屋の活用を後押ししようと、市は対策に本腰を入れ始めた。 【画像】熊本地震で倒壊した町屋(2016年) 「ここも、あそこも、何があった場所か分からない。お城は元に戻っているのに」。町屋があった空き地を見て、地元の元自治会長毛利秀士さん(78)はつぶやいた。 新町・古町地区は、熊本城を築城した加藤清正が整備した。かつては問屋街。町屋は老朽化と住民の高齢化に伴い徐々に減り、熊本地震
終戦から今年で75年です。今回の熊本豪雨では戦争遺跡にも被害が及びました。その一方で、被災した民家から戦時中の暮らしを物語る貴重な資料も発見されました。 長い年月が過ぎた今も戦争の痕跡が残る熊本県内。 (人吉海軍航空基地資料館 手柴智晴 学芸員) 「魚雷が作られていた場所はコンクリートで被覆されています」 ここは錦町にある人吉海軍航空基地跡。町が管理する「戦争遺跡」です。山間部にあるこの場所も豪雨で被害を受けました。これは兵士が身を寄せ生活していた「兵舎壕」。入り口に土砂が流れ込みましたが地下壕そのものに影響はありませんでした。 (人吉海軍航空基地資料館 手柴智晴 学芸員) 「上から土砂が崩れてきて、間接的な被害はあったが、直接地下壕そのものは被害を受けていないのでちゃんと災害に強いように作られているんだなと感じましたね」
熊本県人吉市の人吉城跡敷地内にある「謎の地下室」について、ユダヤ教研究の権威とされる日本人学者が同市の松岡隼人市長に「ユダヤ教の身を清める沐浴(もくよく)施設(ミクヴェ)と類似している」との仮説を伝えていたことがわかった。松岡市長が17日の市議会で明らかにした。専門家の仮説が示されるのは初めて。改めて注目が集まりそうだ。 江戸時代の築造とされる「謎の地下室」は、人吉・球磨地域を約700年にわたって治めた相良(さがら)家の家老職、相良清兵衛(せいべえ、1568~1655)の屋敷跡で1997年から98年にかけて見つかった。 南北8・5メートル、東西9メートル、高さ3メートル以上。石積みの壁に囲まれ、床には地下水をためる長方形の貯水池が掘ってあり、床へ続く階段状の通路と、貯水池の底へ下りられる水中階段があった。郷土史家らから「隠れキリシタンの遺構」や「ミクヴェ」などの説が出ていたが、古文書などに
水俣病患者の苦しみや祈りを共感をこめて描いた小説「苦海浄土」で知られる作家の石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さんが10日午前3時14分、パーキンソン病による急性増悪のため熊本市の介護施設で死去した。90歳だった。葬儀は近親者のみで執り行う。喪主は長男道生(みちお)さん。 熊本県・天草に生まれ、生後まもなく対岸の同県水俣町(現水俣市)に移住した。短歌で才能を認められ、1958年、詩人谷川雁(がん)氏らと同人誌「サークル村」に参加。南九州の庶民の生活史を主題にした作品を同誌などに発表した。68年には、「水俣病対策市民会議」の設立に参加。原因企業チッソに対する患者らの闘争を支援した。 水俣病患者の心の声に耳をすませてつづった69年の「苦海浄土 わが水俣病」は高い評価を受け、第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、「いまなお苦しんでいる患者のことを考えるともらう気になれない」と辞退した。以降も
熊本県内最古の磨崖仏群とされる、熊本市北区植木町円台寺の円台寺磨崖仏群で、仏像の顔が崩れ落ちるなどの被害が見つかった。県警山鹿署は何者かが壊した可能性が高いとみて器物損壊容疑で調べている。 磨崖仏群は、平安時代の終わりから鎌倉時代の初頭に岩壁を掘って作られたとみられ、阿弥陀如来坐像(ざぞう)と阿弥陀如来立像、阿弥陀三尊像、三重塔、14カ所に描かれた仏像の絵で構成されている。絵の部分には、当時の極彩色で彩られた部分も残る。これらの貴重さが評価され1965年に県指定史跡に指定された。 市文化振興課によると、6月5日、坐像の頭部が落下し砕けていることを市職員が確認した。当初は年月の経過による劣化が原因と考えていたが、同月23日には、立像が首元から二つに折れ、三尊像の中央の阿弥陀如来の顔の部分が壊れていることを市職員と地元の自治会長が新たに確認した。 立像は固定されていた位置から引っこ抜かれて落ち
熊本市現代美術館の指定管理者、市美術文化振興財団は18日、誤って変色させた高知県指定文化財の屛風(びょうぶ)絵5点を修復し、作品を収蔵、管理する同県香南市の文化施設に返したと発表した。「現在施せる限りの処置をした」としているが、完全には修復できず、財団は「申し訳ない」としている。 屛風絵は幕末の土佐の絵師金蔵(きんぞう、通称・絵金〈えきん〉)が描いたもので、「鎌倉三代記 三浦別れ」など5点。夏祭りの夜に家などの軒先に飾られ、「香南の宝」として大切に保管されてきた。 財団によると、屛風絵は2010年7月、企画展のために借り、防虫処理の「燻蒸(くんじょう)」をした後に緑色の部分が黒く変色した。処理を委託した熊本の業者が、研究機関が美術品には使わないよう注意喚起しているリン化アルミニウムを含む薬剤を使用したといい、緑の顔料に含まれる銅が酸化したとみられる。学芸員は作業に立ち会わず、使ってはいけな
かくれキリシタン関連の資料を数多く収蔵する熊本県天草市有明町の民間キリシタン資料館「サンタマリア館」(浜崎献作館長)が、建物や収蔵品の売却先を探している。 昨年4月の熊本地震による風評被害などで、入場者が減少したことが理由で、資料館の閉館も検討している。浜崎館長(72)と父親の栄三さん(2009年に90歳で死去)が、親子2代で収集した約400点を展示。マリア観音や十字架を背負った加藤清正像、大江天主堂(天草市天草町大江)を建設したフランス人のガルニエ神父の遺品などが並ぶ。 郷土史を研究していた栄三さんは、キリシタン関連遺産の流出を防ぐために収集を始め、1987年に自宅に隣接した展示施設をオープンした。 「父親を見て、キリシタンの辛苦の歴史に魅せられた」と歯科医師の浜崎館長が引き継ぎ、旧館の老朽化に伴い、現在の教会風の建物を約8000万円で2012年に建設した。 資料館は国道沿いで年間入場者
メインコンテンツに移動 購読申し込み 7日間無料お試し close QRコードリーダーを QRコード読み込み結果 `P�F�U ���F�U �cfF�U K�F�U 熊日からのお知らせ 第71回 球磨一周市町村対抗熊日駅伝 第64回 熊日書道展《作品募集》 熊日情報文化懇話会 12日に例会 「これからの経済と私たちの暮らし」 経済ジャーナリスト・荻原博子さん 熊本善銀 「歳末助け合い募金」のお願い 28日まで受け付け 第45回熊日出版文化賞の作品募集 ホーム ニュース トップ 熊本 全国 エンタメ 動画 地方選速報 天気・気象 防災・災害 トップニュース 再春館は初黒星 バドミントンS/Jリーグ女子 マーベリックスが3連覇 社会人アメフト九州王者決定戦 熊日大賞にピアノ部門・泉家さん(マリスト高1年) 熊日学生音楽コンクール 女子組手で釜(佐敷中出)ベスト4 空手全日本選手権 男子・大野
一連の地震で大きな被害を受けた熊本城で、崩落した石垣の石から戦国時代に彫り込んだとみられる観音菩薩が見つかり、インターネットで話題になっています。 熊本城調査研究センターによりますと、この観音菩薩は、戦国時代に一般の人たちが先祖を供養しようと、「板碑(いたび)」と呼ばれる板状の石碑に彫り込んだものだということです。その後、江戸時代に、熊本城の石垣を造る際、急いで石を集めたために、身近にあった板碑を石垣の石に転用したものとみられ、およそ400年の時を経て今回の地震で出現したのではないかということです。 発見した加藤神社の湯田崇弘宮司は、フェイスブックを通じて「永い時を経て現れたこの観音様に思いをはせると胸が揺さぶられる」と思いをつづり、13日までの3日間に1600人以上の反響がありました。湯田宮司は「地震の被害が大きく、悲しいことばかりでしたが、観音様を見て自然と手を合わせました。私たちのこ
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