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鹿児島と歴史に関するlaislanopiraのブックマーク (30)

  • 刀剣は行方不明の旧国宝・伝則重か? 「刀剣乱舞」俳優も驚き | 毎日新聞

    戦後、連合国軍総司令部(GHQ)により接収され所在不明だった旧国宝の日刀「無銘伝則重(のりしげ)」と刀身や装具の特徴が一致する刀剣が、オーストラリアで確認された。かつて鹿児島神宮(鹿児島県霧島市)が保有していた実物の可能性が高いとみられる。ネットオークションで落札した愛刀家の男性が、史料を分析するなどしてその来歴に迫った。 記事後段では鹿児島県出身で、ミュージカル「刀剣乱舞」の小狐丸役の北園涼さんが驚きと喜びを語っています。 ある刀剣との出合い 「これまで見た刀剣の中では最も質が良い」。メルボルン在住の弁護士、イアン・ブルックスさん(66)は、10代からの日刀ファンだ。日課であるオークションサイトのチェックをしていた2018年10月、一振りの刀剣に目を奪われた。 刀剣は、米ニューヨークの個人が出品していた脇差しだという。刀装具である鐔(つば)は柳の木の下を走る馬の群れの細工があり、「桂

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  • https://twitter.com/vegandiva33/status/1568518440318803968

    https://twitter.com/vegandiva33/status/1568518440318803968
    laislanopira
    laislanopira 2022/09/15
    こういう古建築が高値で売買され、こういうところに住むのがステイタスとされる社会になってほしい
  • 豊臣秀吉が妻の北政所に宛てた自筆の書状見つかる 鹿児島 | NHK

    鹿児島市にある県歴史・美術センター「黎明館」に預けられた島津家一族の資料の中から、豊臣秀吉がの北政所に宛てて書いた自筆の書状が見つかりました。 書状は、朝鮮半島に兵を出した文禄・慶長の役の際に、秀吉が城を築いた現在の佐賀県の名護屋から北政所に宛てて書かれたものです。 天正20年(1592年)6月3日に書かれたと推定されています。 手紙には、「当年中には唐国、明を取り唐国に遷ったら迎えを遣わせる」と書かれ、文末には「まんどころ殿太閤」と記されています。 東京大学史料編纂所の協力を得て、筆跡などの研究を進め、秀吉の自筆の書状だと確認したということです。 この書状は5月31日から「黎明館」で開かれる企画展で展示されます。

    豊臣秀吉が妻の北政所に宛てた自筆の書状見つかる 鹿児島 | NHK
  • 旧国宝の刀 オーストラリアで発見か 戦後GHQ接収で所在不明に | NHK

    かつて国宝に指定され、戦後GHQによる接収で所在不明となっていた鹿児島県の神宮の刀と特徴が一致する刀が、オーストラリアで見つかり、所有者はNHKの取材に対し、将来は返還する意向を示しました。文化庁は「おそらく物だと考えていて、非常に喜ばしい」とコメントしています。 鹿児島県霧島市の鹿児島神宮に奉納され、戦前は国宝に指定されていた「刀 無銘則重」は、戦後、GHQに接収され、その後所在不明となっていました。 オーストラリアの愛刀家、イアン・ブルックスさんは、この刀と4年前にインターネットのオークションで購入した刀の特徴が一致していることに気付き、調査を始めました。 その結果、刃の長さや、鐔(つば)に彫られた銘が一致したほか、さやに巻きつけられていたとみられるラベルに、判読不明な2文字に続いて「・・島神宮」という文字があることがわかりました。 さらに、鹿児島神宮と連絡をとったところ、このラベル

    旧国宝の刀 オーストラリアで発見か 戦後GHQ接収で所在不明に | NHK
  • 垂直の空堀が迷路のように巡る「南九州型城郭」が恐ろしい! :: デイリーポータルZ

    全国に三万以上もあるといわれる城。その大部分は中世に築かれた山城であり、険しい地形を利用して土を掘ったり盛ったりして造成されている。 それらの中でもシラス台地が広がる九州南部の中世城郭は一味違う。垂直に切られた空堀がまるで迷路のように入り組んでおり、他地域の城には見られない独特の迫力を醸しているのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:日焼けの色はぶなしめじ! > 個人サイト 閑古鳥旅行Twitter 空掘を巡らせて敵を阻む土の城 一般的に城というと堅牢な石垣や荘厳な天守がそびえる姿を思い浮かべるかもし

    垂直の空堀が迷路のように巡る「南九州型城郭」が恐ろしい! :: デイリーポータルZ
  • 『大久保利通と東アジア: 国家構想と外交戦略』(吉川弘文館) - 著者:勝田 政治 - 岩川 拓夫による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

    著者:勝田 政治出版社:吉川弘文館装丁:単行(200ページ)発売日:2016-01-20 ISBN-10:4642058192 ISBN-13:978-4642058193 近代的外交 柔軟に築く大久保利通は西郷隆盛たちとともに「維新三傑」の一人として挙げられる。しかし、彼の業績を簡潔に説明することは難しい。鹿児島において大久保の業績の多くは「西郷に付随するもの」であるかのごとく記されていることもある。 書は大久保利通を中心とした明治政府の初期外交の歩みをまとめたものである。日はペリー来航以降、押し寄せる外交問題の数々を、消極的な表現をするならば、その場しのぎで対応することが多かった。それに対し、大久保は対外戦争を引き起こさないことを主眼としながら、各地の問題を順序立てて対応していったのである。対外戦争も他国の植民地化も目指さず、国境・国民の内外の線引きを行い、富国強兵を主導するもの

    『大久保利通と東アジア: 国家構想と外交戦略』(吉川弘文館) - 著者:勝田 政治 - 岩川 拓夫による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
  • 鹿大院生が国内初発見のカサゴ 100年の歴史覆す(MBC南日本放送) - Yahoo!ニュース

    近海に広く生息する魚のカサゴ。こちらは鹿児島大学の大学院生が、薩摩半島近海で見つけたものです。実はこのカサゴは国内初確認で、この100年のカサゴ研究の歴史を覆す大発見だったことが分かりました。 鹿児島大学大学院で魚の分類などを研究する和田英敏さんです。先月、日魚類学会の学術誌に和田さんが発見したカサゴに関する論文が掲載されました。和田さんが国内で初めてとなる2種類のカサゴを薩摩半島近海で見つけたのです。 今回、確認されたカサゴのうち1種類は口の中がまるで墨を塗ったかのように黒いことから、「スミクイアカカサゴ」と命名。もう1種類は体長7センチほどと小型で、体が赤いことから、「アズキカサゴ」と命名されました。 実は今回、この2種類のカサゴを見つけ、研究を進めたことが、これまでのカサゴ研究のおよそ100年の歴史を覆すことになりました。 今からおよそ100年前、カサゴは3種類に分類されていま

    鹿大院生が国内初発見のカサゴ 100年の歴史覆す(MBC南日本放送) - Yahoo!ニュース
  • 贋金つくる『薩摩という「ならず者」がいた』 - HONZ

    明治維新とはこんなヤンチャだったのか! 書は従来型の明治維新史観をくつがえしてくれる。明治維新というと、日が独自に近代化をはたした成功体験として語られるのが一般的だ。志や行動力で時代を切り開いていく若者たち、との司馬遼太郎史観ストーリーで描かれることが多い。著者はこれを「日人を元気にする歴史観」といい、高度成長期の日人に響いた歴史観だったと評する。 一方、現実はどうだったのか。血と汗だけで革命を起こせるのだろうか。改めて当時を振り返ると、カネにまつわるストーリーが見え隠れしてくる。そのなかでも驚くのは、薩摩藩による「贋金作り」。江戸幕府のヒエラルキーでは外様扱いだった薩摩藩は、列島最南端で大犯罪をしていた。贋金を、作って作って作りまくっていたのだ! この天下の大犯罪は歴史を動かし、薩長連合の成立、戊辰戦争勝利、明治維新へと導いていく。もちろん教科書では語られない歴史だ。「カネは戦争

    贋金つくる『薩摩という「ならず者」がいた』 - HONZ
  • 【追加あり】「薩摩・島津の捨てがまり」が言われ出した起源の考察

    だんちょう @no_yabo アルメニア国防省長官「今日、私たちはカラバフで戦術的に撤退し、敵はその放棄された場所を占領しようとして罠にはまり撃退され、最後には逃げ出しました」 アルメニアが戦術的撤退したとされる地域に残した軍事物資等、アルゼ軍がこれらを鹵獲して勝利を確信しているところを包囲・逆襲したと…。 twitter.com/ParssPlus/stat… 2020-10-06 02:45:45 Pars Plus @Pars_Pluss Ermenistan Savunma Bakanlığı Sekreteri: "Bugün Karabağ'da taktiksel şekilde geri çekildik. Düşman terk edilmiş konumları işgal etmeye çalıştı ve tuzağa düştü. Düşman kaçtı."

    【追加あり】「薩摩・島津の捨てがまり」が言われ出した起源の考察
  • 唐物抜荷事件 - Wikipedia

    唐物抜荷事件(からものぬけにじけん)は[注釈 1]、江戸時代後期の天保6年(1835年)、天保11年(1840年)の二度に渡って新潟町を主な舞台として発覚した、中国製品(唐物)の抜荷事件である。事件の発生地である新潟では事件後新潟町が上知され、薩摩藩や琉球王国、蝦夷地、そして長崎で抜荷対策が強化される等、各地に事件の影響がおよんだ。 事件の背景[編集] 薩摩藩の財政再建と抜荷[編集] 薩摩藩は慢性的な財政難を抱えていたが、近世後期に入ると財政難はより深刻化し、文化4年(1807年)には藩の負債が126万両に達した。危機感を抱いた藩主島津斉宣は側近たちとともに藩政改革を始め、その中で琉球王国の対中国貿易の拡充、介入の強化などによって利益を確保するという財政改革を目指すものの、人事面や制度改革の進め方について前藩主の島津重豪の反発を招き、結局斉宣主導の藩政改革は挫折し、斉宣は隠居に追い込まれた

  • 鹿児島の肝付町、内之浦湾に面した山腹にある巨大な『50』の文字

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    鹿児島の肝付町、内之浦湾に面した山腹にある巨大な『50』の文字
    laislanopira
    laislanopira 2019/09/22
    まるで大文字
  • 有毒の植物「ソテツ」を知恵と工夫で食用にし「命の恩人」として大切に育てている奄美大島の人々 : カラパイア

    ドキュメンタリー映画の製作を手掛ける『Great Big Story』のYOUTUBEチャンネルにて、「毒のある植物を毒抜きしてべる日文化」としてソテツと奄美大島の人々が紹介された。 Cooking With Poison in Japan 奄美大島の人々とソテツの歴史 ソテツは有毒性で、そのまま摂取すると体内でホルムアルデヒドに変化し、急性中毒症を起こすと言われている。そんな危険な植物を、島民は手間暇をかけて毒抜きをし、調理してべる。そこには、奄美大島の歴史が深く関わっていた。 種子を含めた全草に毒が含まれているソテツを安全にするために、島民たちは試行錯誤して完全に毒抜きする方法を学ばなければならなかった。 その努力が実を結び、今日もソテツの調理は奄美大島の伝統として生き続けている。それは、島民が自分たちの歴史を決して忘れず、先人を尊重していることに等しい。 地元で製塩業を営

    有毒の植物「ソテツ」を知恵と工夫で食用にし「命の恩人」として大切に育てている奄美大島の人々 : カラパイア
  • 行幸に沸いた島~陛下と沖永良部島(おきのえらぶじま)~

    1984年大阪生まれ。2011~2019年までベトナムでダチョウに乗ったりドリアンを装備してました。今は沖永良部島という島にひきこもってます。(動画インタビュー) 前の記事:30年前の友人友人の「復活の呪文」でクリアする > 個人サイト AbebeTV おきのえらぶ島移住録 べとまる 舞台は沖縄寄りの鹿児島の離島 タイトルにある通り舞台は島。名前は沖永良部島、おきのえらぶじまと呼ぶ。鹿児島県に属するけど、沖縄島から与論島を挟んでふたつ隣で、シーサーも見かけたりと文化的には沖縄寄り。太古にサンゴ礁が隆起してできた島で、国内二番目の規模を誇る鍾乳洞がある。最近はケイビングがよく話題になったり、大河ドラマ「せごどん」にも登場したので知ってる人もいるかもしれない。 ウミガメが産卵に選ぶほどきれいな海 滞在中にちょうどテレビで放映されていたケイビング(洞窟探検) ここが母の出身で、自分もまた、幼

    行幸に沸いた島~陛下と沖永良部島(おきのえらぶじま)~
  • 18歳で出会ったが薩摩藩と会津藩という理由で結婚が許されず37年越しに愛を実らせた55歳カップル #新婚さんいらっしゃい

    弾正 @naoejou 18歳で交際開始 ↓ 4年後、鹿児島の彼女の親に結婚の挨拶 ↓ 父親「(彼の出身が会津だから)娘とは結婚できん!!」 ↓ 2人は破局 ↓ 破局から33年後結婚💒 感動したけど、当にこういう話あるんだなぁ😥 #新婚さんいらっしゃい pic.twitter.com/Cpx9ttlyVw 2019-02-17 17:29:53

    18歳で出会ったが薩摩藩と会津藩という理由で結婚が許されず37年越しに愛を実らせた55歳カップル #新婚さんいらっしゃい
  • 薩摩を侮辱する短歌を投稿 安倍首相がまた無教養をバクロ|日刊ゲンダイDIGITAL

    「我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山」――。この短歌は、安倍首相が27日、総裁選の出馬の決意と共に自身のツイッターに投稿したもの。もともとは幕末の志士である平野国臣が詠んだ歌だ。この歌意を巡って、「安倍首相は意味を理解しているのか」と嘲笑する声が飛び交っている。 「我が胸の――」は、関西吟詩文化協会によると<私の心のうちにある熱い尊王攘夷への情熱にくらべてみると、あの黒黒と噴き上げている桜島の煙など、まだまだ薄いものよ>という意味。この歌は、福岡藩士だった国臣が薩摩藩(現・鹿児島県)で攘夷活動をしようとしたが拒まれたため、薩摩への失望を込めて詠んだと言われている。要するに、薩摩にとって良いイメージではないのだ。 安倍首相が嘲笑されているのは、総裁選出馬に先駆けて「薩摩と長州で力を合わせ、新たな時代を切り開いていきたい」などと語り、わざわざ鹿児島県の桜島をバックにして総裁選への出

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  • 「薩摩・長州で新時代」=安倍首相:時事ドットコム

    「薩摩・長州で新時代」=安倍首相 2018年08月26日19時20分 安倍晋三首相は、自民党総裁選への出馬を表明する舞台に鹿児島県を選んだ。首相の地元の山口との「薩長同盟」が明治維新の契機となったことにちなんだとみられる。出馬表明に先立つ26日午後、鹿児島県鹿屋市の会合で講演した首相は「しっかり薩摩藩、長州藩で力を合わせて新たな時代を切り開いていきたい」と力を込めた。 枝野立憲代表、安倍首相の薩長発言批判=「国民分断は間違い」 ただ、薩長が中心の新政府軍が戊辰戦争で会津藩などを攻め立てた歴史があり、旧幕府軍側だった地域で反発が出る可能性もある。 講演で首相は、自らが鹿児島県の特産品「大島紬(つむぎ)」のネクタイを着用していることもアピール。同県出身のサッカーの大迫勇也選手にも触れ「まさに『半端ない』という感じだった。私たちもああいう風になりたい」などと語った。(2018/08/26-19:

    「薩摩・長州で新時代」=安倍首相:時事ドットコム
  • 西郷の墓地で大久保の法要「待った」 反発受け名称変更:朝日新聞デジタル

    明治維新の立役者である薩摩藩の大久保利通の没後140年の法要を、西郷隆盛が眠る鹿児島市の墓地で催そうとした有志のグループが反発を受け、法要の名称などを変更していたことがわかった。西郷と幼なじみだが、西南戦争で西郷を敗死させた大久保への風当たりは今も強い。法要は西南戦争の戦没者を政府軍、薩摩軍問わず追悼するものとして、6日に開催される。 大久保と西郷は同じ鹿児島・加治屋町の出身。徳川幕府を倒し、明治維新を成し遂げた2人だが、新政府の政策をめぐって対立。1877年に薩軍を率いて反乱を起こした西郷を鎮圧した大久保の人気は、西郷に比べるといま一つだ。 明治維新150周年の今年は、西南戦争の翌年に東京で暗殺された大久保の没後140年にもあたる。 そこで、西郷らが葬られている同市の南洲墓地に昨年9月、政府軍と薩軍を一緒に弔う慰霊塔を建立した有志の団体「西南之役官軍薩軍恩讐(おんしゅう)を越えての会」が

    西郷の墓地で大久保の法要「待った」 反発受け名称変更:朝日新聞デジタル
  • 忘れゆく国で:戦後72年/1(その1) 特攻題材、自己啓発 | 毎日新聞

    慰霊の地で「活入れ」研修 太平洋戦争末期に旧陸軍の特攻隊の基地だったことで知られる鹿児島県南九州市知覧町。飛行機ごと米艦に突っ込むよう命じられ、飛び立っていった若者たちの記憶が刻まれている。この慰霊の地が今、感性を磨き、士気を高める研修に使われているという。自らに活を入れるとの意味で「活入れ」と呼ぶ人もいる。何が起きているのか。私は現地へ飛び、研修に参加した。 7月11日午後3時。鹿児島空港で迎えられ、小型バスに乗り込んだ。広島市の人材育成会社「ザメディアジョン」が主催する1泊2日の知覧研修。費用は1人3万7800円だ。ほかのメンバーは、神奈川や広島などから集まった経営者や会社幹部ら20~40代の男女計8人。「新しい挑戦への決意を固めたい」「自分の生き方を考える場になる」。車内での自己紹介では前向きな言葉が相次いだ。

    忘れゆく国で:戦後72年/1(その1) 特攻題材、自己啓発 | 毎日新聞
    laislanopira
    laislanopira 2017/08/13
    地獄の特訓より受けたくない
  • 再来年の大河ドラマは「西郷どん」 | NHKニュース

    再来年(平成30年)に放送されるNHKの大河ドラマは、鹿児島の下級武士の家に生まれ明治維新で大きな役割を果たした西郷隆盛の生涯を描く、「西郷どん」(せごどん)に決まりました。原作は林真理子さん、脚は中園ミホさんが務めます。

  • 「かつお節と日本人」宮内 泰介、藤林 泰 著

    お吸い物、麺類のスープの調味料として出汁をとったり、料理に混ぜたり、サラダなどのトッピングにしたりと、現代日生活に欠かせないかつお節だが、この誕生から一般化の過程は、日、沖縄、そしてインドネシアやミクロネシア連邦に至る広大なかつお節ネットワークの形成を特徴としている。 現在のかつお節の原型が誕生した江戸時代中期から現在までの三百年、日から東南アジア諸地域までの四千キロに及ぶかつお節ネットワークはどのようにして形作られてきたのか、かつお節生産に携わった様々な人びとのオーラルヒストリーを丁寧に集めつつ、その緩やかなグローバル化の過程を鮮やかに描いた一冊である。新書ながらなかなか読み応えあって面白かった。 干物や燻製などのかつお節の原型はかなり古くから存在していたが、現在のようなかつお節が生まれたのは江戸時代中期、十七世紀末の土佐だったと言われている。土佐から紀州へと製造法が伝わり、大

    「かつお節と日本人」宮内 泰介、藤林 泰 著