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ブックマーク / mubou.seesaa.net (15)

  • エンジニアにクソスペックのPCが割り振られていた現場についての個別事例について: 不倒城

    目次・記事一覧(1) レトロゲーム(185) 日記(767) 雑文(511) 書籍・漫画関連(55) 子育て・子どもたち観察(115) ゲームブック(12) フォルクローレ・ケーナ・演奏関連(86) FF14(40) レトロでもないゲーム(333) 始めたばっか(12) アナログゲームいろいろ(37) 人狼(48) ネットの話やブログ論(60) 三国志大戦(20) 無謀的世評(52) ゴーストライター(16) 大航海時代ONLINE(38) FF3(6) Civ4(18)

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    laiso 2018/11/26
  • ただ茫然とHagexさんについてのニュースを眺める: 不倒城

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    laiso 2018/06/25
    "テロに対してあるべき態度は、ただただ毅然としていることだ。いつだってそうだ。"
  • 「自分には楽しめないことを楽しんでいる人にいちいちケチをつけたくなる症候群」: 不倒城

    に名前をつけたい。何だろう、局外者シンドローム? まあ、なんというんでしょう、自分や他の誰かに何かしらの被害が及ばない限り、たくさんの人が楽しそうなのは基的にいいことなんじゃないかと思うんです。 勿論、「自分は何故楽しくないのか」を分析することは重要な思考法だし、それを外に向かって投げるのも自由だと思いますが。 ただ、わざわざ皆が楽しんでいるところに突っ込んでいって、楽しんでいる人達に向かって全力で水をぶっかけたがる人を見ると、ぬるま湯精神の保有者としては、何もそこまで特攻精神に溢れんでも、とか思わないでもない訳です。特攻戦法に士気使い過ぎだと思わないでもない訳です。Rホウ徳ですか君は。 ということで、しんざきはあんまり興味がないことはがんがんスルーしますけど、お祭り自体はもう幾らでも発生するといいんじゃないかと思いますよ。火事にならない程度に。

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    laiso 2009/08/11
    いっちょかみの一種かなあ。
  • 「彼氏が○○してた。別れたい・・・」ネタは何故流行ったのか?: 不倒城

    いや、凄く局所的・瞬間的な流行だけど。ぼちぼち一段落したっぽいのでちょっと考えてみる。 元ネタ 改変ネタまとめ (参照:元ネタの元ネタについて) まず元ネタを検証してみる。彼氏が軽自動車に乗ってた。別れたい… 軽だと信号待ちで並ばれた時なんか恥ずかしいww 下向いちゃうしww 男にはせめて普通車乗って欲しい・・・ 駅とかで迎えにこられたら・・・・もう最悪ww せめて普通にエスティマやハリヤーぐらいは乗って欲しい。 常識的に考えて欲しいだけなんです! 軽で迎えにこられた時の恥ずかしさとか分かる? あのね?たとえば週末10??20人ぐらいでバーベキューとか行くでしょ? それぞれ彼氏の車とかで来るわけじゃない? みんな普通にランクルやマジェやセルシオやエルグラで来るわけでしょ? 軽でノコノコついてったら大恥かくでしょうがww 特徴をまとめてみると。 ・一行一行が適度に短い。ワンフレーズに近い。

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    laiso 2008/11/14
  • 不倒城: 言動の変化はダメなのか、という話。

    なんだか腑に落ちない。 まず、事の始まりは「むだづかいにっき」のえっけんさんのエントリーである。 「ブログは記事単位で読まれるもの」だからして、その記事内において発言内容が変わるのであれば、確かにこれはちょっと問題でしょう。しかし過去ログでの発言とのい違いがある可能性はあります。それは否定しません。その時に考えた事と、現在の発言内容にい違いがあることは、別に恥ずかしい事とは思いませんが。 話を整理しよう。上記のエントリーの具体的内容に関しては、よそ様のブログの事件なので細かい踏み込みを避ける。ただ、基的には ・以前書いたこととくい違うことを書いている、ということに関する批判 という様なコメントとそれに伴う議論があったんだと考えていいだろう。 むだづかいにっき様のコメント欄にも書いたが、何故かネットでは物凄い精度で「思考の一貫性」が求められる様に思う。2ちゃんねるの様な批判のライブラリ

  • 不倒城: 「読んで面白い」情報より「知って面白い」情報が求められる

    コメントで書こうと思っていたのだが、なんかこねくりまわしている内によそ様のコメント欄に放り込んでいい長さではなくなってきたので、粛然と独自エントリ(またかい) なんか言葉の話の難しげな話題なので、お好きな人だけどうぞ。 モウビィ・ディック日和様に頂いた、前回の「「文章力」の落とし穴」宛てトラックバックへのコメント。 以下、コメントとして書き始めたので敬態。 -------------------------------------------- 件のエントリーは、ちょっと検討不足の部分があって恐縮なのですが、少々補足を。 まず、「装飾」という言葉に関して「パフォーマティブ」という例示をされています。補記2で言及して下さっている様に、私は正直、件のエントリーを書いた当初はそこまで考慮していませんでした。 「パフォーマティブ」という表現が「装飾」や「修辞」の内に入るかどうかはちょっと未整理とい

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    laiso 2005/11/03
  • 不倒城 : ギャグマンガ考・悲哀篇

    奥様の友人の方から、こんな話を聞いた。 知り合いから一冊、「面白い」というマンガを借りた。タイトルは「極道一直線」。以前私もちらっと触れたことのある、スピリッツ連載の三上龍哉氏の漫画である。 笑えるという触れ込みだったのだが、どーもなかなか読み進まない。どこが面白いのか良く分からない。 結局読み終わらない内に相手の人から「どうだった?面白かったでしょ?」と聞かれ、ハタと困った、という様な顛末。 考えるところは二つある。 一つは、人がギャグで笑える範囲というのはどれだけ共有可能か、という点。 もう一つは、ギャグ漫画自体のもつ特殊性とリスクについて。 なんかとっくの昔に誰かがやり尽くした考察だったりせんかと不安ではあるが、まあいいや。順番に行こう。 ・あなたはドリフで笑えるか。 先に結論から言ってしまうと、笑いのツボってものは実はけっこーーー範囲が狭いんじゃないか、という様な感触がまずある。つ

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    laiso 2005/11/03
  • 不倒城 : 「文章力」の落とし穴

    すいません長文です。 まなめさんの「304 Not Modified」様で、ちょっと考える話を見つけた。 ブログは文章力を上げるとは限らない そして、そのような文章を毎日書いていたおかげで、日語だけで表現しきれなくなったのです。今はメールやブログなど、毎日何かしら書いている人が多いのではないだろうか。しかし、文章力は上がっているとは思えません。むしろ、下がっているのではないかと思っているくらいです。そして、その原因はおそらくネット上で使われる顔文字や2ch語の影響が大きいと思うのです。ブログで毎日文章を書く人は、正しい日語を使うべきだと思います。 なんだか盛りだくさん。考えたい材料が多過ぎて一度には消化し切れない。必然的にまとまらないエントリーになりそうな予感がする。激しくする。 実は私、最初この記事を読んだ時に妙な違和感を持ったのだ。何でかはすぐ分かった。私がもっている「文章力」とい

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    laiso 2005/10/14
  • パーマンを知らない世代に関する考察。: 不倒城

    はじめに断っておくが、割とテキトーな話なのでご期待されぬ様に。 奥様の友達が、塾だか家庭教師だかで教えている人々の中で、「パーマン」を知らない人がほとんどだったとか。20歳くらいの人の間で、辛うじて知っている人が一人だったのだとか。 母集団の数も性格も知らないのでよーわからんが、そんなモンなのだろうか。言われてみると私も、かつてサークルの後輩連中と話していて、相手がオバケのQ太郎を知らなくてちょっと驚いた覚えがある。 いわゆるジェネレーションギャップというものなのかどうか分からないが、漫画やアニメにおける世代格差というものは意外に起こりやすいものらしい。まあ考えてみると、6年あれば小1の人は中学生になるのだ。知っているアニメや漫画がそっくり様変わりしていても不思議ではない。 実際、私はパラソルへんべえを見たことも読んだこともない。モジャ公は多分原作は古いと思うのだが、私は読んでない。ポコニ

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    laiso 2005/10/08
  • 人は何故、「読むと不快になる文章」をわざわざ読みたがるのか。: 不倒城

    なんでだろう。 例えばブログ界隈をうろついてみる。何かを批判しているブログであるとか、何かにケチをつけているエントリーであるとか、つらつらと探してみる。 そういったブログのコメント欄など見ていると、頭が沸騰した様なコメントをつけている方がしばしば見られる。いわゆる「炎上」しているブログに限らず、ごく普通に運営されているブログの、ごく普通に批判を書かれているエントリーでもそういったコメントは見られる。その内容は批判ではなく、大体の場合罵倒や悪口雑言である。いや、まともな批判もあるにはあるのだが。 例えば、アンチ巨人のページをわざわざ見にいく巨人ファン。 例えば、ブログ論のページにわざわざ「ブログ論うぜぇ」と書き込んでいく人。 以前から不思議には思っていたのだが、未だにはっきりとは謎が解けない。つまり、「じゃあ見なきゃいいんじゃネ?」という疑問がどうしても私には拭い去れないのである。 という訳

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    laiso 2005/08/02
  • mixiとブログの比較論: 不倒城

    あんまりまとまっていないのだが。 タイトルは飽くまで途中経過であって、実のところ最終的なテーマはトラックバックについてなんである。というか、このタイトルだったらもうちょっと深く考えるべきだったかも知れない。やや反省。まあいいや別に。 トラックバックについては、「むだづかいにっき」のえっけんさんのエントリーを始め様々なお話を読んできたが、私個人の考えは正直未だに固まっていない。私の中でも、どう使ったものかいまいちスタンスが定まりきっていない様なところがある。 で、「どんなトラックバックをするのが一番建設的か」についてちょっと幾つか考えてみた。考えの発端は実は全然TBと関係なく、lstyさんのこちらのエントリーである。 だから、たまには意識して新規巡回先を増やさないと、閉塞感は高まるばかりで、公開はしてるけど、結局は「内輪の馴れ合い」なんて事にもなりかねない。 だからなんていうかね、建設的な反

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    laiso 2005/06/27
  • 不倒城: ひとり語りは面白いのかどうか、について。

    自分が書いた文章というものは面白い。 「むだづかいにっき♂」さんを読んで、こんなことを考えた。 当たり前のことであるのだが、それがどんなジャンルであれ、自分が書き残した文章を読み返すという行為は基的に楽しい。私の様なしょうもない雑文書き散らし人間でもそれは変わらない。その理由はいくつか考えられるが、やはり一番大きいのは、文章のバックボーンが非常にリアルに感じられるから、という点であろう。故に例えば、上記で越後屋さんが挙げられた「私の好きなべ物」というのも、人にしてみれば基的に面白い筈なのである。 文章というものは無から生じる。日記だろうが創作だろうが論評だろうが、始めにこねくり回されるのは飽くまで自分の頭の中、脳内の回路だか左脳だか右脳だか前頭葉だかという部分においての話であり、それは「書く」というプロセスを間に挟んで初めてテキストとして書き残される。故に、その文章を書いた「履歴」

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    laiso 2005/06/07
  • 「ブログブーム」の特殊性: 不倒城

    「むだづかいにっき」様より。 ブログブームってなんじゃ 最初コメント欄に書かせて頂こうと思ったのだが、こねくり回してる内に「これどー考えても人様のコメント欄に放り込んでいい長さじゃねえだろ」という内容になってしまったので、粛然と独自エントリ。この長文癖はどうにかするべきなんではないかとちょっと自分でも思う。 ブログを一過性のブームと考えている所は、とても冷静だと思うし、そのブームを終わらせたくないと言う気持ちは正直だと思う。 えっけんさんのおっしゃることは全体としてもっともだと思うのだが、何故だか、前提部分であるところの「ブログブーム」という言葉に妙なひっかかりを感じた。違和感というか疑念というか、何かがどーももやもやとしていて気持ちが悪い。取り敢えず、この違和感を整理をしてみることにする。 私の脳をちょっとひっかきまわしてみたところ、どうも下記の様な内容の違和感を感じている様だ。 ・この

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    laiso 2005/05/16
  • 「客観」と「主観」の戦闘力: 不倒城

    「数の力」の誘引というものは強いんだろうなあ、という感がある。 「むだづかいにっき」様の話がかみ合わない を読んで、例によって色々と考えた。 えっけんさんのおっしゃることは勿論、「そもそも人の話を聞かない人」に関して、 主張を全く変えるつもりのない人にとっての「議論に参加する意味」は、他人に自分の考えを押し付けることにありますが、そうした人の多くは、そもそも相手の主張をほとんど聞いて(読んで)いないものですから、あまり長居をされると煩わしいだけです。 骨子はこちらであろうし、これに関しては「同感です」という以上の言葉がない。不倒城などは幸か不幸か議論など滅多に起きないのでまだマシだが、むだづかいにっき様など大変だろう。 結局のところ、鏡の中の自分の目鼻を見て、非モテの原因となる致命的な部分はどの部位か、とか仔細に検討出来る人でないといい議論は出来ないということではあるまいか。自分に自信を持

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    laiso 2005/04/19
  • 不倒城: mixiと2ちゃんの比較論

    一年前くらいに皆がやっていた議論だったりしたらどうしようかとも思うのだが、まあ世の中既出を恐れていては知は進まない様なそうでもない様な。まあ思いついてしまったので思いついたままに書く。半分雑記なので箇条書きで。 2つの巨大コミュニティーサイトの相似と相違について。双方に対して勉強不足の面があるので、間違いがあったらご指摘願いたい。 ・ネットのトラブルには二つの尺度がある。 まずは一般論から。 ネット上で口論だの喧嘩だの荒らしだのが起こる原因は様々だが、起こる過程にはざっくりと言って二つのレベルがある様だ。つまり「存在」と「認識」である。 「存在」というのは喧嘩の種の側を言う。つまりは、トラブルの元になる様な発言とか議論とか、あまり穏やかではないテキストがネット上に転がっている状態のことである。 一方、「認識」というのは喧嘩の受け手の側を言う。上記の「存在」自体はネットを見渡せばどこにでもあ

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    laiso 2005/04/19
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