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吉増剛造に関するluccioraのブックマーク (3)

  • 吉増剛造著「我が詩的自伝ー素手で焔をつかみとれ」 - lucciora’s diary 蛍日記

    もう、遊ぶことのないフェニキアの舟のかわりに ーーー茴香(ういきょう)の黄色い花が咲いていた わたしたちの魂は、その石段を静かに下る ーーー下るほどに(空の道の)甘い香りがしていた。 吉増剛造 「死の舟」より 4月に出た「我が詩的自伝ー素手で焔をつかみとれ」が手元に届き、 ぱらぱらと、先へ先へと気が走り、ページをめくる。 吉増さんの若い頃の話や、作家やアーティストとの交友関係、女性観など、 かなり音で流れるように語ってくれていて、ファンとしては相当面白い。 それにしても、この帯の写真がすてきだ。 吉増先生はやっぱり顔が良いなー・・・。表はアラーキーの写した若い頃の顔、 そして、裏は今の顔。77歳になられたんだ。。。ある意味、この顔をみているだけで、 作家の生き様を十分に感じることはできると思う。 詩人というのは、仕事ではなく、生き方、存在の仕方そのものなのだ。 そう気づいたは、詩人の吉増

  • 声のマ、全身詩人、吉増剛造展。いってきました。 - lucciora’s diary 蛍日記

    声ノマ 全身詩人、吉増剛造展 2016.6.7 - 8.7(東京国立近代美術館) 行ってきました。 久しぶりの剛造ワールドに浸ってまいりました。 朗読パフォーマンスをする吉増剛造 Photo: Sayuri Okamoto 〈日記〉より 1961-64年 Photo: Kioku Keizo 《沖縄の炭坑夫さん》 制作年不詳 Photo: Kioku Keizo Ⓒ Gozo Yoshimasu 文字、文字、文字、文字...... 文字の氾濫。洪水。ですね。 詩の原稿や、二重露光の写真、銅板に文字を刻印した作品、 映像作品もあり、 久しぶりに吉増ワールドにどっぷり浸かってしまった。 日記がかなりたくさん展示してあるのですが、詩人としての 心の中の決意が固まって行く様がありありと感じられて、 それが私個人的にはとても良かったです。 20歳くらいの頃の日記とか、面白かったですね.... 全部見

    声のマ、全身詩人、吉増剛造展。いってきました。 - lucciora’s diary 蛍日記
  • カミュにとってのヴェイユ - lucciora’s diary 蛍日記

    孤独感とは何処からくるのだろう。 ネットをブラブラしていたら、カミュの言葉に出会った。 『意志もまた、一つの孤独である。』 カミュ カミュはよく知らない。中学生のころに、異邦人を読んだだけだ。 だが、シジフォスの神話についてのカミュの文章は読んでみたいと思った。 この神話自体は以前から知っているけれど、カミュはあの時代、あの年齢で何を考えたのか。そして46歳の時に事故で亡くなってしまったのだけれど。もっと長く生きていれば、作家として、様々な展開があったのではないだろうか。 シモーヌ・ヴェイユを発見し、そして彼女のを相次いでガリマール社から出版したのはカミュだったことを考えると、カミュという人も、ヴェイユの著作との出会いを通して、いづれ信仰に出会ったならば、全く違う世界観に辿り着いたかもしれない。 カミュは信仰を持たなかったが、人の生の不条理を見つめる中で、無意味を敢然と受け入れる姿勢を示

    カミュにとってのヴェイユ - lucciora’s diary 蛍日記
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