タグ

hogeに関するluccioraのブックマーク (11)

  • 人生のほんとう/池田晶子著 備忘録2 - lucciora’s diary 蛍日記

    ひきつづき・・・ 『人生のほんとう』/池田晶子より 第5章「魂」より p144 私は輪廻転生の思想というのは 人間が自己の何であるかを考えていった場合に 必ず現れてくる根強い一つの型だと思っています。 自分の何であるか、この魂はなぜこうなのかということ、 その歴史を垂直方向に求めてゆくと 必ずこの表象が現れてくる。 表象というのは、必ずしも空想ではありません。 なぜ自分は自分なのかということを水平方向に、 親から生まれた、さらにそれを遡って家系とか祖先とか、 この世の時間軸を遡る方向ではなく、 今現在においてこの魂の何であるかを問うと、 現在というのはその意味で無時間ですから、 自分をどこまでも垂直に掘ることになる。 そうすると必ず超時間的な次元というものに出てしまう。 突き抜けちゃうんですね。 この自分は何なのかと問うていった場合に、さっき話したように、 あらゆるものが、流転する魂として

    人生のほんとう/池田晶子著 備忘録2 - lucciora’s diary 蛍日記
  • 相互的な出会いについて…「モカシン靴のシンデレラ」 - lucciora’s diary 蛍日記

    中沢新一著 「モカシンのシンデレラ」 ーーーーーーーーーーーーーーーー あらすじ ミクマク版シンデレラにおいて、「王子」は「ふつうの人には見えないひと」であった。 その人は偉大な狩人で、守護神は霊界の最高者であるヘラジカだった。この人のお世話は、一人いる妹が全部取り仕切っていた。 見えない人は、夕方になると狩りから戻ってきて湖へと下りる。その姿を見ることができた者が結婚することができるといわれていた。そのために、たくさんの少女たちが、この人の姿を見ようと様々に試みたが、誰一人として成功したものはなかった。 「見えない人」は家に入りモカシンを脱ぐと、他の人にも見えるようになる。しかしそのときに姿を見ることができても、結婚することはできなかった。 この村のを亡くした男の3人娘の末娘は、体が小さく、病気がちで、姉たちにひどい扱いを受けている。一番上の姉は、焼けた炭で末娘の手や顔を焼いたので

    相互的な出会いについて…「モカシン靴のシンデレラ」 - lucciora’s diary 蛍日記
  • シーシュポスの神話ー創造と苦しさと喜びと - lucciora’s diary 蛍日記

    カミユの「意思も一つの孤独である」という言葉に惹かれて、 私も 「シーシュポスの神話」を読んでみた。 ちなみに、その言葉に出会ったいくつかの記事の中のひとつが、下のブログだった。 カミュの言葉についての考察その他、映画をまたいで、テーマを探っていく 書き方がとてもおもしろかった。 http://camus242.blog133.fc2.com/blog-entry-191.html シーシュポスの神話。 感じるところはあるけれど、結局、 上のブログ以上のことは自分には書けそうにないと思った。 以前、テレビで、吉増剛造さんと羽生善治さんの対談があった。 その中で、詩を作ることにしても、勝つための将棋の手を考えることにしても、 終わりのない、苦しい作業、けれど喜びを見出す時もあるという2人の対話があった。 そこで、シーシュポスの神話について触れる場面があった。 2人の姿は、まさにシーシュポ

    シーシュポスの神話ー創造と苦しさと喜びと - lucciora’s diary 蛍日記
  • 声のマ、全身詩人、吉増剛造展。いってきました。 - lucciora’s diary 蛍日記

    声ノマ 全身詩人、吉増剛造展 2016.6.7 - 8.7(東京国立近代美術館) 行ってきました。 久しぶりの剛造ワールドに浸ってまいりました。 朗読パフォーマンスをする吉増剛造 Photo: Sayuri Okamoto 〈日記〉より 1961-64年 Photo: Kioku Keizo 《沖縄の炭坑夫さん》 制作年不詳 Photo: Kioku Keizo Ⓒ Gozo Yoshimasu 文字、文字、文字、文字...... 文字の氾濫。洪水。ですね。 詩の原稿や、二重露光の写真、銅板に文字を刻印した作品、 映像作品もあり、 久しぶりに吉増ワールドにどっぷり浸かってしまった。 日記がかなりたくさん展示してあるのですが、詩人としての 心の中の決意が固まって行く様がありありと感じられて、 それが私個人的にはとても良かったです。 20歳くらいの頃の日記とか、面白かったですね.... 全部見

    声のマ、全身詩人、吉増剛造展。いってきました。 - lucciora’s diary 蛍日記
  • 「砂漠はいつかお前にお返しをしてくれるだろう」 - lucciora’s diary 蛍日記

    「心」とは何かということに、つねに興味があったので、宗教・心理学のをいろいろと読みかじってきた。 サイコシンセシスは、イタリアのロベルト・アサジョーリが提唱したもので、 友人の言葉を借りれば 「ユングが地下の帝王だとしたら、アサジョーリはベランダ的だね。わりと楽しい気分になれる」と勧めてくれたことがあった。 そんなことで、日でも何人かのプロセスワーカーのワークショップに参加したこともあった。 アーノルドミンデルなどの「プロセス志向心理学」なども読む分には面白かった。 ピエロフェルッチは「内なる可能性」というを読んで結構良いなと思ったいたところ、イタリアで講演会をやっているのを偶然情報誌で見つけて参加した。 その時彼の話した「小話」が面白かった。 ほぼ忘れかけていたのだけど、思い立ってノートを探していたら見つかったので 記しておきたい。 ・・・・・・・・・・・・・ 昔、インドの砂漠に近

    「砂漠はいつかお前にお返しをしてくれるだろう」 - lucciora’s diary 蛍日記
  • ユング 魂の現実性(リアリティ)/ 河合俊雄著 備忘録 - lucciora’s diary 蛍日記

    魂のリアリティ カラバッジョ作 ナルシス 1597-1599年ごろ ユング派の心理分析家の河合隼雄さんが大好きで、も結構読んでいる。 人間の「心」というものの、深さ、複雑さ、重層的なあり方。 それらを知り尽くした隼雄さんの視線は、きれいごとだけでは済まない人生の様々な局面や困難について、どこか『母性的』な包容力を感じて、読んだ後包まれるような気持ちになる。 今回初めて、息子の河合俊雄さんのを読んでみた。 息子の俊雄さんには、どちらかというと、『父性』を感じた。 物事を論理的に理解し、道を示そうとするような透徹した理性。 ユング心理学のアプローチはずっと好きで、著作も興味深く読んできた。ある時期は私自身も夢分析を受けていたことがある。 ユング心理学の夢分析は、カウンセリングを受けたからといって、すぐさま自分が生きていく上で抱えている困難が、解かれるわけではない。 むしろ、時には心の深い底

  • カミュにとってのヴェイユ - lucciora’s diary 蛍日記

    孤独感とは何処からくるのだろう。 ネットをブラブラしていたら、カミュの言葉に出会った。 『意志もまた、一つの孤独である。』 カミュ カミュはよく知らない。中学生のころに、異邦人を読んだだけだ。 だが、シジフォスの神話についてのカミュの文章は読んでみたいと思った。 この神話自体は以前から知っているけれど、カミュはあの時代、あの年齢で何を考えたのか。そして46歳の時に事故で亡くなってしまったのだけれど。もっと長く生きていれば、作家として、様々な展開があったのではないだろうか。 シモーヌ・ヴェイユを発見し、そして彼女のを相次いでガリマール社から出版したのはカミュだったことを考えると、カミュという人も、ヴェイユの著作との出会いを通して、いづれ信仰に出会ったならば、全く違う世界観に辿り着いたかもしれない。 カミュは信仰を持たなかったが、人の生の不条理を見つめる中で、無意味を敢然と受け入れる姿勢を示

    カミュにとってのヴェイユ - lucciora’s diary 蛍日記
  • 映画『13歳の夏に僕は生まれた』 - lucciora’s diary 蛍日記

    ”一度生まれた者は、もう逃げも隠れも出来ない” 日ではあまり知られていないかもしれない。イタリアのマルコ・ジョルダーナ監督の『13歳の夏に僕は生まれた』。 同監督の2005年の作品『輝ける青春』では、ある家族を主軸にし、1960年代から現在までの時間の軌跡を辿りながら、イタリアの美しい風景や時代の描写とともに、若さの、人生そのものの輝きが存分に描かれていた。 魅力的な様々な登場人物たちそれぞれの苦悩と喜び、出逢いや別れ、人生のテーマなど、6時間という長編にもかかわらず、私にとっては全く飽きる部分の無い充実した内容だった。 その監督の作品ということで、ずっと観たいと思っていたので、今回もそのイメージを初めは期待しながら観ていた。 しかし、この作品は、それとはまったく違うタイプの印象を残した。 この映画には答えは無いし、映画を見た後の心地よい充実感?のようなものもない。 しかし非常に考えさせ

    映画『13歳の夏に僕は生まれた』 - lucciora’s diary 蛍日記
  • http://lucciora.hatenablog.com/entry/preview

  • 人生のほんとう/池田晶子著 備忘録 3 - lucciora’s diary 蛍日記

    引き続き・・・人生のほんとう/池田晶子著 より p150 ヘラクレイトスの断片を、もう一つ紹介しておきます。 この人は魂についての言葉をずいぶん残していて、それは非常にうまいなと思います。 ピュタゴラスよりも、私は面白く感じます。 「生きているあいだも死んだ後も、目覚めている時も眠っている時も、 また若かろうと老いていようと、同じひとつのものがわれわれのうちに宿っている。 なぜならこのものが転じて彼のものとなり、 逆に彼のものが転じてそれとなるからである。」 これなんか「胡蝶の夢」と同じような論理性をもっていますね。 「自分」のひっくり返り方です。魂にとっては生きても死んでも同じだよ、と。 ★★★ 彼岸と此岸。 こちら側から、向こう側へ。 向こう側から、こちら側へ。 流れている。 いつかその流れから、ふっと抜けでることはあるのだろうか… ★★★ ・・・この哲学では神はまず「流れる」実体とし

    人生のほんとう/池田晶子著 備忘録 3 - lucciora’s diary 蛍日記
    lucciora
    lucciora 2016/09/04
    [][備忘録][中沢新一][ヘラクレイトス]
  • 人生のほんとう/池田晶子著 備忘録4 - lucciora’s diary 蛍日記

    ひきつづき…『人生のほんとう』より 語りのレベル p172 私はさきほど、「善く生きる」といいましたが、同時に「どうでもいい」と言っています。 これは矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、矛盾していません。 あるいは矛盾しているといってもいいです。実際、矛盾しているんだから。笑 池田の言うことはどうも矛盾しているのではないか。 いつも何か違うことを言っているように聞こえるかもしれません、ひょっとしたら。 けれども、物語を語ることは、どのレベルでものを言うかということです。 つまり存在イコール自己、この「イコール」さえ理解できていれば、 私の言うことが矛盾していないことが分かります。 何を言ってもいいんだ、どのレベルで語っているかの違いに過ぎないんだということが わかるはずです。 ちょっと説明的に言うと、人間はいろいろなレベルを一人の個人が持っています。 つまり個人の某としての存在、あ

    人生のほんとう/池田晶子著 備忘録4 - lucciora’s diary 蛍日記
  • 1